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もう、求めるものもない
「嘘だろ、嘘だ、嘘だ」
立ち上がると、ガタンと音がして、イスが倒れたような気がした。
頭が、世界が、ぐわんぐわんと回る。
大同は一歩下がると、倒れたイスに足を取られて、その拍子に後ろへ転びかけた。
「大同っっ」
鹿島の腕が伸びて、大同の腕を取る。
倒れる前に、テーブル越しに引き戻された身体がもう、自分のものではないような感覚に陥った。
「やめてくれ、やめてくれ、そんなのはやめて、く、れ」
「大同、」
「嘘だっ、やめろ、聞きたくないっ!」
テーブルの上を両腕でさらう。皿やグラスが床に落ちていくのが、スローモーションのように見えた。
それらが木っ端みじんに割れる。
落ちたもの全てが壊れたはずなのに、不思議なことにその音が、大同の耳にまでは届かなかった。
静寂の中。
鹿島の口が何かを言っている。いや、叫んでいる。
大同の身体は、その場に崩れ落ちた。
それなのに、魂は。そこに留まったような感覚だった。
目の焦点を合わす。そこには木目調の床板。
そして、顔を上げると。
そこには天井の染みと、油まみれのくすんだ蛍光灯。
蛍光灯の光をバックにして、よくは見えない鹿島の顔の影と、その光の対比が眩しすぎて、大同は目を瞑った。
(……ひなちゃん)
まぶたの裏に浮かんだ、その笑顔。
「ひなちゃん、ひなちゃん、……ひなちゃん」
何度も呟いた。
✳︎✳︎✳︎
「すまない、取り乱した」
「大丈夫か?」
揺れるタクシーの中、大同は濡れタオルを顔にあてがったまま、鹿島の肩に寄りかかっていた。
「大丈夫……じゃねえな、こりゃ」
顔に当てたタオルを押さえる手が微かに震えている。
「ひなちゃんの具合はどうなんだ、」
震える声。唇がパサパサに乾き、口の中の唾液を掻き集めて飲み込む。
「総合病院に入院してる。黙っていてすまない、大同。話さないでくれと、頼まれていたんだ。だけど、だけど俺は、」
「……わかってる」
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