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その涙の行方は
思いがけない言葉に、動揺した。
「結婚? ……いえ、していませんけど」
すると、横でうなだれていたこだまが、それこそ驚きの顔で大同の方を見た。
「あれ? おかしいな。大同さんはそのうち結婚するから……って、ひなたに」
「え、俺、全然そんな予定ないですよ。それいつの話ですか?」
「大同さんと別れた時に、」
「俺、そん時はひなちゃんとしか付き合ってなかったし、なんて言うか……ひなちゃんにはフラれた身で、」
「ナンパでチャラいから、すごくモテるって言ってました。あ、ごめんなさい、失礼でしたね」
「いや、別にいいですけど、はは……」
「だから、すぐに誰かと結婚してくれるだろうって、」
「…………」
頭をガツンと殴られた気がした。ショックだった。そんな風に思われていたのかと思うと、自分という存在に一気に嫌気がさした。
「こんな失礼なこと言っていいのかわかんないですけど……家族みんな、最初は大同さんと付き合うの、反対だったんですよ」
虚ろな目で、こだまを見る。
「ひなたは病気になってから、もしかしたら自分は結婚できないかも、って言ってて。色々失ったから、そう覚悟してたんだと思います」
「はい、」
「だから、父なんかはもう絶対に賛成できないって言って」
「……知ってます」
慌てて、挨拶にいって許しを乞うた日のことを思い出す。その時にもひなたの父親に、ひなたとは別の女性を探すようにと、暗にではなくはっきりと言われたのだった。
「でも、ひなたのこと、唯一無二だって言ってくれたからって、父が」
「言いました」
口角を上げ、唇だけで笑う。両手で包み込んでいたコーヒー缶は空になり、すでにその温度を失っている。
「それからは、ひなたと大同さんのこと応援してたんですよ。ひなたはいつも幸せそうだったから。でも、ひなたがある日、このままじゃいけないって。このままじゃ大同さん、家族を持てなくなっちゃうって言い出して」
「…………」
「それで決めたんです。私たち、今度はひなたとひなたの気持ちを、応援しようって」
こだまが立ち上がった。手を差し出す。大同が空になった缶を渡すと、ゴミ箱の方へと歩いていき放った。
「だから、大同さん。ひなたには私たちがついてるので。大丈夫ですから。どうか大同さんはひなたのことは忘れて幸せになってください。ひなたも、そう望んでいると思います」
お見舞いありがとうございました、そう言って頭を下げてから、談話室を出ようとする。
大同は、よろ、と立ち上がって、言った
「……ま、待って、ください」
こだまが、振り返る。
「お願いです、ひなたさんと一緒にいさせてください」
自然と頭を下げていた。
「お、お願いです、俺、ひなたさんでないと、」
その言葉に驚いたのは、自分だった。顔を上げる。自分でも知らないうちに溜まっていた涙が、ぽろ、と落ちた。
ああ、俺はまだひなちゃんを。
「今でも、」
好きなんだなあ。
「ご家族のお時間の邪魔も……どなたの邪魔もしません。だから、どうか、」
もう一度、深く頭を下げた。床に、ポタリポタリと涙が落ちて、灰色の染みを作っていった。
「もちろん、ひなちゃんにも迷惑掛けません。ひなちゃんの負担にならないように気をつけます」
この涙は、このままどこへいくのだろうか。床に染み込むこともなく、このまま時が過ぎれば、蒸発し空気へと溶け込んでいくのだろうか。
どこにも淘汰されることなく彷徨う、自分の魂のように。
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