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薬指には
「大同さん、いつもこの時間に来るのって、」
「あはは、まあ俺も仕事あるし、ひなちゃんの家族にかち合わねえようにしてるしな」
「そんなことしなくていいのに、」
「いやいや、ひなちゃんとご家族の時間を邪魔しねえって、ねえちゃんと約束したからな」
ひなたが、少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
「え、そうなんだ?」
「あ、聞いてない?」
「……うん、聞いてない」
内緒だったのかと思ったが、もう遅い。内緒にする意味もないような気がしたが、大同は慌てて続けた。
「まあ、ひなちゃんの、彼氏にかち合ってもいけねえしな」
言ってから、しまった、と思う。
「大同さん、私、」
「あ、いや、悪りい。探り入れてるとか、そんなんじゃねえよ」
ひなたが、口を噤んだ。
「ごめんな、俺、余計なこと言った……」
いつもは面会時間ギリギリに来て、ひなたと当たり障りのない話を少し話してから帰るのだが、別れてから二年も経っているからか、大同はまだひなたとの距離を測りかねている。
そして、ひなたも。口数は少なかった。治療の副作用が重いのもある。話すのも億劫そうな姿を見て、大同は迂闊なことを言わないようにと、気をつけていた。ひなたの負担になってはいけないと、思っていたのに。
それなのに。
(あーあ、またやっちまった……)
空気が重くなったような気がした。
また弱音でも吐きそうになる自分に自信が持てなくなり、大同は居ても立っても居られなくなった。
「そろそろ帰るな。元気そうな顔見れて良かった」
立ち上がって、パイプ椅子を片付けると、カバンを手に取った。
「じゃあ、お大事にな」
踵を返して、ドアへと向かおうとすると、背中で声がして足を止めた。
「指輪、してない」
ひなたが、ぽつりと言った。その言葉の意味を理解すると、大同は振り返らずにそのまま言った。
「……結婚なんか、してない」
強く、責めるような声になってしまった。振り返って、ひなたを見る。
「もしかして、探り入れてくれたの?」
歪んだ顔で、ひなたに向かって問うていただろう。情けない顔をしている自覚があった。
ひなたは、困ったように表情を硬くした。その強張った顔を見て、大同はさらに情けなく思った。
「ごめん、嫌味みたいなこと言った。気にしないで。ほんとごめん」
「大同さん、」
「週末は彼氏来るだろ? 俺は来ないから、ゆっくり休んで」
じゃあな、と手を振って、病室から出た。廊下をずんずんと歩いていく。ナースステーションの前で、看護師に手を振ると、ちょうど来たエレベーターに飛び乗った。
そして。
「俺はバカか! 何やってんだ! バカすぎるだろ、くそっくそっっ」
カバンを床に放り投げ、頭をガシガシと両手で搔きながら連呼する。狭いエレベーター内を行ったり来たりしてから、もう一度腹の底からくそっ! と叫んだ。
口にすると、余計にその行動自体がバカらしくなった。すると、ようやく気持ちが落ち着いてくる。落ち着いてはきたが、もちろん自己嫌悪。
床に投げ捨てたカバンを拾い上げてエレベーターの壁に背中をもたせかけると、天を仰いでからため息をついた。
「ああ、くっそ。土曜と日曜め、お前らのせいで、ひなちゃんに会えないだろうがよ」
呟いてから、エレベーターが動いていないことに気づき、真っ白なボタンのままだった「1」を、バシンと押した。
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