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君へと届きますように
大同はひなたの言う通り、パイプ椅子へと戻った。
「……くそっ、あんな奴、最低だ。ひなちゃん、あんなのが好きだったのか?」
さらに口から出そうになる罵詈雑言を飲み込んで、大同は耐えた。
「ふふ、本当だね」
「今でも、好きなのか?」
「匠さん、」
「今でも好きなのかよっ」
勢いよく出てしまった言葉に一瞬だけ、唇を噛んだ。我慢して我慢して我慢して。それでもいつかは言おうと思っていたことが、堰を切ったように口から出ていった。
「ひなちゃん、俺を好きだって言ってくれっ」
心の奥底に、沈めていた言葉。
「匠さん」
「お願いだよ、俺を好きだって言って、く、れ」
大同はひなたの手を握った。その手が前より細く冷たくなった気がして、その現実はさらに大同の胸を絞り上げた。
大同は、眉間にしわを寄せると、今度は言葉を絞り出すように言った。
「……なあ、ひなちゃん。俺と、生きてくれよ」
「た、匠さん、」
見開いたひなたの目から、涙が零れ落ちた。
「俺を好きだって言ってくれ。愛してるんだ。俺と結婚して欲しいよ」
ひなたの胸が、呼吸をするたびに、上下する。愛しい、その胸が。
「……でも、わ、私」
ひなたが言うのを遮って、大同は言った。
「なあ、ひなちゃん、聞いてくれ。俺、猫飼っててさ。すっげえ可愛い子なんだ。今度、写真見せてあげるな。でな、俺思ったんだ。子どもが持てないっていうなら、猫でも飼おうよ。子どもがいなくたって、それでも俺、ひなちゃんとは家族になれると思ってる」
大同は、握っていたひなたの手を、両手で包み込んだ。
「た、匠さん、」
「うちのチビ助見たら、ひなちゃんも絶対喜ぶよ。めっちゃ可愛いんだ。俺、すげえ可愛がってるよ。な、だから俺と生きること、選んでよ」
しん、と病室が静まり返った。
大同の息だけが上がって、少し肩を揺らした。
ひなたの唇。
色を失っていて、かさかさと乾燥している。その唇が、少しだけ開いたかと思うと、ふるりと小さく震えた。
ぼろぼろと。涙だけが。白い陶器のような頬を伝って、落ちていく。
静寂の中、大同は握ったひなたの手を、離さなかった。
「……私、」
ひなたの喉が、ぐうと鳴った。その喉元を、ぼんやりと見つめる。すると、頬を指先か何かでなぞられたような感覚があった。
大同の目から零れ落ちた涙が、頬を伝って流れていったのだ。一つ一つ、地球の重力に任せるように、それはひなたが横になるベッドへと落ちていった。
ひなたの止まっていた唇が動いて、大同は濡れた瞳で、ひなたへと視線を戻した。
「……私、こ、この先、」
「ひなちゃん、」
「この先、……どうなっちゃうか、わからない、から」
大同は、涙をそのままにし、ひなたの頬を両手で包み込んだ。
「ごめんな、ひなちゃん。先のことなんて、俺にもわかんねえ……でもな、今なんだ。今、ひなちゃんと一緒にいたいんだよ」
「ん、んう、」
ひなたが、嗚咽を止めようと、震える手で口元を押さえた。けれど、大同はその手をそっと握ると、ひなたの唇から離して握った。
「た、くみ、さん、んん、ひっく、」
ひなたが、しゃくり上げながら、涙でぐしゃぐしゃに潤んだ瞳を大同に寄せる。
その瞳は、まだ淡い。
「……また、また五年な、の。やっと、やっと三年経ったと思ったのに……っ、また五年、また一からなのおっ、」
「ん、ひなちゃん、聞いてくれ。そうだな、辛いよな。でもまた五年なのかもしれねえけど、俺と一緒に生きる五年なら、きっと楽しくてあっという間だ」
「……たく、みさん、」
涙を零しながら、大同はへら、と笑った。
「おっと、もう家族がどうとか言うなよ。俺の家にはチビ助がいるし、それに、ひなちゃんが俺の嫁さんになってくれるだろ?」
「うう、うえ、……ひっく、」
ひなたが、子どものように泣き出す。ベッドに腰掛けると、大同はそのひなたの手をそっと引いて、ひなたを抱き締めた。
「なあ、ひなちゃん。これってほんと、なんなんだろうな……今までこんだけ生きてきたのに自分でもよくわかんなかったんだけどな……でもな、俺、今までにこんなに大切で大事に思う人はいなかったんだよ。俺たち、ずいぶん長い間、離れてたよな。でもひなちゃんのこと、忘れることなんてできなかった。できなかったんだよ」
抱きしめている腕に、そっと力を込める。
「そんだけ……それだけ、俺にとってひなちゃんは、特別なんだ」
そして、耳元でそっと囁く。
ひなちゃんは俺の、唯一無二なんだ、と。
この言葉が、君のこの耳から入り、身体中を駆け巡り、どうか、どうか君の心へと届きますように、と。
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