氷解

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 翌朝、アラームで目を覚ますと、ベッドの横に敷いていた客用布団はきちんと畳まれていた。出汁の匂いに誘われてリビングに出る。台所の和希が「ヒロさんおはよう」と言った。 「勝手に朝メシ作っちゃった。食べる?」 「おお、ありがと」  米と味噌汁、ハムエッグ、青菜のおひたし。あまりよく眠れなかったので、胸がムカムカする。朝からこんなに食えないかもな、と思いながら箸を付けたが、味噌汁の素朴なうまみが思いのほか胸に沁みた。 「いつもこんなにしっかり朝メシ食ってるのか」 「うん、俺朝はがっつり食べたい派だから。ヒロさんは?」 「パンだけとかが多いかな」 「え、じゃあこれ、量多いよね。残していいよ」 「いや、美味いから食べる」  そう言うと、和希は「ありがと」とはにかんだ。  仕事に出る和希を「行ってらっしゃい」と見送る。あ、これなんか同棲してる恋人同士みたい、と思ってみても、気分は晴れなかった。  何をする気も起きずぼんやりとしていると、昼頃に電話が鳴った。母からだった。 「裕孝、蟹もう食べたんでしょう?どうだった?」 「ああ、ありがとう。美味かった」 「ちょっと多かったかしら」 「いや、ひとと分けたからすぐ食い終わった」 「あら、彼氏と?」  手慰みに含んだコーヒーを吹き出しそうになった。 「え、いや」 「あらあ、違うの?」  電話の向こうで母は呑気に笑っている。  カミングアウトしたのは成人してからだった。口を半開きにして固まった父の横で、母が発した第一声は「それで、今彼氏はいるの?」だった。拒絶されなかったのはいいのだが、時々思いがけないタイミングで突っ込まれるので対応に困ってしまう。 「あんた奥手そうじゃない、蟹で釣ればいいんじゃないのって思ったんだけど」 「釣るって……」  あけすけなもの言いに閉口したが、蟹を口実に家に招いたのは事実だから否定はできない。ホテルに行くだけならば即物的な理由で十分だが、部屋に来てもらうには何か別の、もっともらしい口実を作らなければいけないような気がしていた。 「彼氏できたら母さんに一番に教えてね。会いたいわ」  そんなことを言う母に適当に返事を返し、電話を切った。
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