氷解

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 スマホの着信音で目を覚ますと、もう昼近くになっていた。着信はメールで、昔使っていたゲイ向けマッチングアプリがサービスを終了するという知らせだった。和希と出会ってからは開いてもいなかったが、登録したままだったようだ。アプリ自体が終わるならいまさら退会しなくてもいいか、と思い、メールだけ削除し起き上がった。窓の外は、まだ雨が降り続いている。  昨夜和希は、とりあえず様子を見に行くと言って帰っていった。「水浸し」というのがどの程度なのかわからないが、ちゃんと家で寝られたのだろうか。和希は美容師だから、土曜日の今日も仕事のはずだ。  遅いしどうなるかわからないから泊まっていけば、と言えたら良かった。でも、一台しかないベッドが邪魔をした。恋人同士だったら問題ないはずだが、この関係にそれが許されるのかわからない。何度もこの部屋に和希を招いたが、そのまま朝を迎えたことは一度もなかった。  洗濯や掃除をしていたらすぐに一日が過ぎた。時計を見れば十九時で、そろそろ和希の仕事が終わるころだ。スマホを開き、和希に「家は大丈夫そう?」とだけ送った。思ったより早く返事が返ってくる。 「家具は割と無事だったけど、床はかなり水浸し。明日業者の人が来るって」 「昨日はどうしたの」 「ネカフェに泊まった」  明日業者が来るということは、今日も宿はないのか。スマホを片手にためらっていると、和希から電話がかかってきた。 「ヒロさん返信早いから、見てるかなって思って」  電話越しの声は、いつもより柔らかく感じた。 「仕事は?」 「今終わったとこ。いやー、昨日はほんと災難だったわ」 「今日はどうする?」 「さすがにネカフェはきついからビジネスホテルに泊まろうかな。今から予約しようかなってとこ。しかし意外と高いね、ビジホって」 「じゃあ」  裕孝は細心の注意を払い、できるだけさりげなく言った。 「うち、来る?」  電話の向こうが沈黙した。間違えたか。時が戻ってくれればいいのに、と切実に願った。 「あー、でもうち狭いから」 「行く」  誤魔化そうとした裕孝の声にかぶせるように和希が言った。 「ヒロさんがいいなら行きたい。泊まらせて」  ちょっと必死に聞こえたのは、己の願望だろうか。わかった、と返して電話を切った。 「よっしゃ」  小さくガッツポーズをした拍子に、机に膝をぶつけた。結構痛かったが、口角は上がったままだった。
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