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彼の家、そして私の家
彼と二人で雨の中を一緒に一つの傘で寄り添って帰るのは表現する言葉が無いほど幸せだった。
お互い何を話すでもなく、ゆっくり歩いていく。
彼がいま何を思い考えてるのか…
チラッと彼の横顔を覗いてみても優しい笑みをこちらに向けて来るのですぐに目を反らしてしまう。
彼は優しく微笑むだけで何か言うわけでもなく、まるで中学生のときの純粋な恋愛をしてるような感じがして、なんだか照れてしまう。
近所と言っていただけあって10分もかからず彼の住むマンションが見えてきた。
松橋『あそこが僕の家ですよ。これからは和代さんの家でもありますけどね』
わっ…私の家?
そ…そんな…なんてことを言うんだろ!
いや…えっ?ちょっと…えっ?
私は凄く動揺している。
私の家なんて言われるとは思ってもいなかった。
が、しかし一緒に棲むとなるとつまりは半分はそういうことになるのか。
彼の家…そして私の家…
まるで夢のような話し…
こんなことが私の生きている間に、こんな時間が私の生きている間に訪れなんて…
私は人生を捨てたはずなのに、本当に夢じゃないのかしら。
着いた彼のマンションは15階建てでわりと新しいようだ。
彼の部屋は3階のエレベーターを降りてすぐ目の前だ。
玄関のドアノブに彼が手をかけドアを開けた。
松橋『さぁ和代さん』
彼がドアを開けたまま私を家の中へ誘った。
良い匂いがする。
男の部屋という匂いではない。
玄関を入り廊下を通って部屋に案内された。
松橋『和代さん、遠慮なく自由に寛いで下さい。何でも自分のものだと思って何も気を遣う必要は無いですから。』
彼の優しい気遣いに感動している。
夢見心地でフワフワしてしまう。
あの段ボールなどで作った寝床からこんなにも素敵な住まいに案内されて、しかも真人さんと同居出来るなんて、人生って平等じゃないと思って来たけど、トータル的にはちゃんと平等に幸せが訪れるものなのかしら…
今まで不幸を背負って生きて来た分、今度はこんなにも幸せな人生が待っていたってことなのかしら…
わからない…
この幸せがこのままずっと続くとも限らない…
今まで何度も何度も期待を裏切られて来たんだから…
この先またどんな落とし穴が待っているかも知れない…
幸せな反面、そこからまた地獄に突き落とされるのが恐くて急に不安になってきた…
あなたは…あなたは私を裏切らないで…
…さん?
…代さん?
大丈夫ですか?和代さん?
私『は、はい…大丈夫です…』
松橋『どうしたんですか?急にぼんやり考え込んで』
長く独りの生活をしてきたから自分の世界に浸ってしまう癖が抜けない。
私『ごめんなさい、何か幸せ過ぎちゃって…急に不安になっちゃって…』
松橋『和代さん、お風呂沸かすんでゆっくり温まって下さい。それまでそこのソファーに座ってて』
私『で、でも…こんな汚い格好で…汚れてしまうから立ってます…』
松橋『ハハハ(笑)そんなこと気にせず、言ったでしょう、自分の家なんだから気にしないで』
私『いや、でも…気にするなっていう方が無理です』
松橋『良いから良いから』
そう言って彼は私の背中を両手で後ろから押してソファーに座らせた。
落ち着かない。こんな汚ならしい私がこんな綺麗な部屋に座らされて場違いでそわそわしてしまう。
彼はテーブルの上に温かいコーヒーを置いてくれた。
松橋『和代さん、コーヒーはブラックでいいですか?』
私『は、はい…ブラックで大丈夫です』
彼の部屋は無駄な物を置かずスッキリとシンプルでソファーとテーブルとテレビ、そして仕事に使うのかパソコンを置く机と椅子。
間取りは…まだわからない…
とりあえず通されたのはリビングだろう。
松橋『あっ、そうだ!先ずは部屋の中を一通り案内しますね。
そう言って彼は私を連れて一つ一つ案内してくれた。
先ず洗濯物を干すスペースとして使っているのか、洗濯物以外にタンスが二つ。
部屋の照明はよくクリスマスなどに使うカラフルなイルミネーションの電気を壁中に張り巡らして何とも幻想的だ。
次に案内されたのは…
セミダブルのベッドが置いてある…
彼の寝室だ…
ここはスタンドライトが置いてある。
ここに…いつも彼は…
私は…どこで…
リビングの他に部屋は二つ。
2LDKということだ。
次に案内されたのはダイニングキッチン。
よく掃除が行き届いていて彼の清潔感が感じられる。
料理は…きっとあまりしないのだろう…
調味料等はほとんど揃っていない。
カップボードというのも無く食器は備え付けの棚の中にでも収まっているのだろう。
彼が風呂場に向かった。
松橋『和代さん、お風呂沸いたからゆっくり浸かって来て下さいね。
とりあえず着替えは用意してないから後で揃えに行きましょう。
間に合わせに僕のを我慢して着てもらうことになるけど…』
そう言って彼はバスタオルを脱衣場に用意してリビングに戻って行った。
男女が同居するってことは…
全て晒すことになるのか…
今更だけど、プライバシーって…どうなるのかな…
とりあえずせっかくお風呂を用意してくれたのだからお言葉に甘えよう。
しっかり垢を落として綺麗にしなきゃ、この家には居られない…
私は数年ぶりの熱いシャワーを浴びて生き返る思いだった。
人並みの生活がこんなにも有難いものだと身にしみて感じられる。
いつもは川の水で身体を拭くくらいしか出来なかったから、風呂から上がった時は信じられないくらいに身体が軽く感じられた。
身体を拭き彼の部屋着を借りてリビングに戻った。
私『ありがとう…ございます。
お陰で生き返りました。』
松橋『礼なんて言わなくて良いですよ。自分の家なんだから当たり前じゃないですか。
さ、ドライヤーで髪を乾かして』
彼は私をソファーに座らせ既に用意してあったドライヤーで私の髪を乾かし始めた。
彼の魔法の手は私を優しく包んだ。
そのソフトなタッチは私を天国へ誘ってくれる…
全てにおいて彼は優しすぎる…
ドライヤーで髪を乾かしたあと、私の髪を優しくブラッシングしてくれた。
そしてそっと私の前に鏡を差し出した。
松橋『和代さん、とても綺麗ですよ。あなたは本当に綺麗だ』
私は気が動転してしまった。
鏡なんて見たくなかった。少なくとも王子様の前に居る私はお姫様のように綺麗な女だと思いたかったから…
だから自分の顔など見たくは無かった…
酷い顔だ…なんて醜い…
でも、自分の知ってる自分の顔より、何となく違って見えたのは気のせいだろうか?
自分の知ってる自分より少しだけ表情が明るくて…
ちょっとだけ乙女のような…
恋…彼に恋をしてしまって…それで表情がにやけてしまって…なんか自分じゃないような、女の顔になってるような…
松橋『さ、出掛けましょうか。和代さんの服揃えなきゃ。
あとは…とりあえず和代さんの寝る布団とかは…
僕のベッドで寝てもらいましょうか!』
やめてぇ~!
これ以上私の心臓を打ち抜かないでぇ~!
もう限界よぉ~!
そんな…いきなりあなたのベッドなんて…もう…ありえないわぁ~!
松橋『心配しないで、僕は来客用の布団一組あるから、和代さんはベッドでゆっくり寝てください』
ズドォー~ーーンと一気に高層マンションから投げ出されたかのような大きなショックに見舞われた。
私『は…はい…い、いや…無理です…私が…布団で寝ます…ベッドはやっぱり落ち着かないというか…布団の方が好きなんで…』
必死に動揺を隠した。
いったい彼は私のことを…どう思ってるんだろう…
まるでジェットコースターに乗ってるような気分になってしまう…
彼と居ると…とても心臓が持ちそうにない…
とりあえず彼に連れられ間に合わせの服と靴を買いに出かけることになった…
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