52人が本棚に入れています
本棚に追加
その後、しばらくしてから拓海と美音も学校から帰って来た。リビングでくつろぐ櫂を見て二人ともホッとしているのが分かる。
「父ちゃん、お帰り」
「お父ちゃん、お帰りなさい」
「ただいま、二人ともお帰り」
そのまま二階に行く二人だ、相変わらず仲が良い。
美音はすぐに降りて来て晩ご飯の準備を手伝ってくれる。拓海は学習室で凪紗と真也の宿題を見るのがいつもの日課だ。
受験生になったからってそれは変わらないのがあなた達よね。
「お母ちゃん、今日はカレー?」
「そう、お父ちゃんが帰って来たからね」
昔、櫂から教わった我が家の定番カレー。長女にも伝授済みだ、今夜は櫂も好きなこのメニューで晩ご飯だ。
「お母ちゃん、後でルーの分量とか教えてね。私もあっちで作ってみたい」
「あら良いわよ」
美音が言う。拓海もこれはいっぱい食べてくれるからね。
夕食の時間にはお父さんも間に合って、今、お部屋で着替えている。今日は久しぶりに三世代揃っての晩ご飯だ。
ひと月前、櫂とお母ちゃんがしばらく帰らないと教えた時には、いつもは気の強い凪紗が急に泣き出した。
ちょうどその日の昼間に夏那が大学の寮に引っ越してしまい、拓海も美音も帰らないお家が幼心にとても寂しく思えたんだろう。
そこに大好きなお父ちゃんとおばあちゃんも帰って来ないことが、凪紗にはかなりショックだったのだ。
いつも明るく元気な凪紗は、三歳頃に大きな遊園地で置き去りにあった子だ。
身元が分かるものを何も持たず、遊園地のベンチで閉園時間を過ぎてもただぼんやりと座っていた所を保護された。
ちょうど用事で凪紗が保護された警察署を訪れていた櫂が、忙しく動き回る大人達の間にポツンと座って、泣くのを我慢しているような凪紗に出会ったのだ。
「あの子はどうしたんですか?」
近くにいた顔なじみの女性警官に聞くと、多分置き去りの棄児だという。これからとりあえず一時的にでも預かってくれる施設を探していると。
けど時間が時間でそれが中々見つからず、このままでは警察署の当直室で預からなければいけないかもとの事だった。
「一緒にあった着替えの入ったバッグには、身元が分かるものは何も入っていませんでした。でもあの子、全然泣かないでずっとああしているんですよ。どうやら親にじっと待てと言われたらしくて。目立たない背中とかに打撲創があるから、虐待を受けていた子かも」
櫂がそう聞き思わず視線の高さを合わせて笑顔でその頭を撫でたら、その子が急に泣き出した。
きっと本当は怖かったのと心細かったのと。泣きながら櫂にしがみついて来たのだという。
我慢して我慢して、そこで急に優しい手で撫でられたから我慢出来なくなっちゃったんだね、と女性警官が言った。
櫂はその子を抱き上げ、自分が預かると言って我が家に連れ帰って来たのだ。
三ノ宮という凪紗の名字は、凪紗が保護された際に持っていた着替えが入ったショッピングバッグの店があった場所の地名だそうだ。
凪紗の素性に関する唯一の手掛かりはそれと「なぎちゃん」という名前だけだ。
「お名前は言えるかな?おとしはおいくつ?」
「なぎちゃん、みっちゅ」
私の問いかけにそう応える「なぎちゃん」は、我が家の優しいお兄ちゃんお姉ちゃん達が出迎えてくれたこの家で、それからずっと楽しく賑やかに暮らしていた。
それがいきなりお兄ちゃんもお姉ちゃんもいなくなった。お父ちゃんもおばあちゃんいない。寂しくない訳が無い。
私はその日、凪紗を膝に抱いて真也を傍に置いて、これからの事をゆっくりと話して聞かせた。
拓海と美音は、来年から福島のお家でおじいちゃんおばあちゃんと暮らす事。
その次の年には凪紗も真也も、お父ちゃんお母ちゃんもにゃん太も、みんなで福島に引っ越す事。
お父ちゃんは暫くの間、お仕事で大阪と福島を行ったり来たりになる事。
必ず又、みんなで一緒に暮らせるんだと言う事を。
「カナお姉ちゃんは?カナお姉ちゃんを大阪に置いていくの?そんなの嫌だ!!拓兄もみぃ姉ちゃんもそんなに会えないなんて、きっと凪紗の事なんて忘れちゃう…!!」
カナお姉ちゃんは大学でちゃんと勉強したい事があるから寮に入ったんだよ。夏休みや冬休みはちゃんと私たちのお家に帰って来るんだよと言い聞かせる。
拓海も美音も、学びたい学校が福島にあるから行くんだよと。
「大丈夫よ、離れていたって夏那も美音も拓海も、いつまでも凪紗のお姉ちゃんとお兄ちゃんだよ。昂輝だってアメリカにいたって凪紗達の事を忘れたりしてないでしょう?」
「でも寂しいよ…みんな行っちゃうの…」
「じゃあ凪紗も来年、拓海達と先に福島に行く?」
「え?」
一年早いか遅いかだけだけど。
「お母ちゃんは寂しくなるけど、凪紗が行きたいなら良いよ」
こっちはチビ組三人で新しいお家が出来るのを待つつもりだったけど、凪紗ももう四年生だもんね。お母ちゃんがいなくても平気なのかな。
でもそれまで私たちのお話をじっと聞いていた真也が、急に凪紗の方に向き直った。
「なぎちゃん、行っちゃやだ」
言いながら俯いて凪紗の手をギュッと握った。
「なぎちゃんいなくなったらしんやがさびしい、なぎちゃん行っちゃやだよ…」
泣いているのかと思ったら、それは我慢してるみたい。昂輝と拓海に男はぴーぴー泣くなと仕込まれているもんね、本当は泣き虫だけど。
それでも、傍におじいちゃんがいると甘えてつい泣いているけどね。
それを見た凪紗が大人みたいなため息だ。
「行かないわよ…真也みたいな泣き虫、一人で置いていったらお母ちゃんが大変だもん」
あらあら、やっぱりお姉ちゃんだね。泣きそうな真也の手をギュッと握り返した。
「仕方ないわね、私は真也のお姉ちゃんだからちゃんとそばにいてあげる。二人で生まれてくるチビちゃんのお世話をしてあげなきゃいけないんだから」
やっといつもの凪紗だ。凪紗は私の膝から降りて、泣きそうだった真也の前にふんぞり返っていた。
「うちのプリンセスティアラ・ひかりは、私と真也とで守っていくんだからね!分かった!?真也もお兄ちゃんなんだからしっかりしてよ!!」
「うん、なぎちゃん!」
「凪紗お姉さまとお呼び!」
プリンセスティアラ・ひかり…誰だそれは、なんか一抹の不安がよぎったぞ。
確かに子供達がみんなで考えてくれた、生まれてくるチビちゃんにつける予定の名前は『ひかり』だ。姓名判断や占いの結果、正式には漢字の『光』になったけど、本当に素敵な名前だと櫂も喜んでくれた。
それを凪紗はプリンセスティアラ・ひかりと呼んでいるのか?そういや、凪紗はずっとチビちゃんはプリンセスなんちゃらが良いって言ってたけど。あれ諦めてなかったのか。
とりあえず、これで凪紗が納得してくれたなら…まぁ良いか。
それにしても凪紗もしっかり私の娘だわ。
ネーミングセンスがアニメちっく。チビちゃんがそのままマジカル・ステッキとかって魔法のアイテムを振り回しそうな。
「お母ちゃん、拓海達を呼ぶわよ」
美音の声で現実に戻る。いかん、回想シーンが長かった。晩ご飯、晩ご飯
「うん、お願いね」
私もお父さんとお母ちゃんを呼びに行った。
最初のコメントを投稿しよう!