9 熊曽国と熊野国・改

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9 熊曽国と熊野国・改

 改めてイザナミを考え直します。  まずは自然信仰と精霊信仰は、じつは異なります。  ナチュラリズム(ネイチャリズム)は自然崇拝と訳されます。山、海、河、日、月、星、雨、風、嵐、雷、動物や植物などの自然生物、岩石などの自然無生物(自然物)。自然の事物、事象を直接対象として崇めます。  のちのアニミズムの原始(プロトタイプ)といわれます。ただしアニミズムは人工無生物(人工物)も崇拝対象になりますが、ナチュラリズムは人工物はなりません。  アニミズムは精霊崇拝、地霊崇拝と訳されます。自然の事物、事象、万物(生物・無生物)に精霊が宿り、神(神格化)、そして人(擬人化)として扱い、崇めます。人と同じく喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだりする神。神が喜んだり、楽しんだりすれば恵まれます。怒ったり、哀しんだりすれば祟られます。  日本のアニミズムは、人工物も経年で精霊が宿ります。付喪神。  原・熊野信仰は自然信仰から精霊信仰へと変わります。さらに神(精霊)は内部に宿るから、外部から宿すへと変わります。では、外部は何処でしょうか。  神は天(アマ)の彼方から降り、宿します。天降(アモ)る。天下(アマクダ)る。 *  紀伊半島は、拒むような険しい切岸の海岸、熊野灘が続きます。平地が少なく、山地が多く、拒むような険しい岩壁が続きます。熊野カルデラが創った岩壁。  とくに熊野は岩壁が続きます。  そして紀伊半島は木々(森)が続きます。木ノ国。  常磐(トキワ)は永久不変な岩(磐)。転じて永久不変の事を常磐といいます。  常葉(トキワ)は常緑の木(樹)。冬も枯れない木。常磐木(常盤木)。  とくに熊野は照葉樹林(常緑広葉樹林のひとつ)が続きます。 *  かつて日向国といわれた宮崎県に、熊野と同じく明治に、宮崎県と鹿児島県にバラバラとなった地があります。諸県。  宮崎県東諸県郡綾町(日向国諸県郡阿陀能奈珂椰)は、加久藤カルデラの外輪山の険しい岩壁と、日向灘の険しい切岸に囲まれた宮崎平野の、かつて日向国の中心地。国内最大の照葉樹林があります。降雨が多く、熊野と似てます。  明治の廃藩置県で鹿児島県となりましたが、のちに宮崎県となります。  宮崎県東諸県郡、西諸県郡、北諸県郡はありますが、鹿児島県南諸県郡はなくなります。諸県といえば宮崎県(日向国)となります。熊野市と似てます。  かつて九州南部(鹿児島県と宮崎県)は、熊曽国といわれてました。唱更国(のちの薩摩国)と大隈国に分けられ、さらに霧島連山を国境に薩摩国と日向国に分けられました。  阿陀能奈珂椰という地名で、もとはクマソ(ハヤト)の国、アタの国、熊曽国とわかります。  日神生誕と天孫降臨神話のため、日向国は創られたといわれます。  霧島連山は、加久藤火山の噴火でできた加久藤カルデラの外輪山。加久藤火山の噴火はいつかわかりません。しかし霧島連山はいまだ火山活動を続けてます。  霧島連山の新燃岳は、約5600年前、約4500年前、約2300年前と大噴火があり、いまも火山活動を続けてます。  イザナギが黄泉国の穢を禊いだ江田神社(宮崎県宮崎市/式内小社/県社)の近所に弥生時代(約2300〜2400年前)の檍遺跡があります。かつて当地は檍原といわれてました。古事記の筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原は、日本書紀の筑紫日向小戸橘之檍原。神話に合わせ、明治に檍村と、のちに阿波岐原町と変わりましたが、檍原といわれてました。檍は黐木や橿木などの別名といわれてますが、常緑の木(樹)はすべて檍。つまり檍の原。  檍遺跡は前方後円墳の墓地遺跡で、国内最大の木槨(木製墓室)が見つかり、有名な奈良県(大和国)の纒向遺跡の木槨を上まわります。大和国と、瀬戸内海の対岸の日向国の関係が考えられます。  葬られた人はだれでしょうか。  日向国諸県郡に霧島連山を神体とした霧島神社(小社)が建ってました。  霧島連山の火常峰(御鉢)の噴火で遷り、論社4社があります。  ホノニニギ(古事記:番能邇邇芸命/日本書紀:火瓊瓊杵尊)を主祭神とした霧島岑神社(宮崎県小林市/県社)と霧島神宮(鹿児島県霧島市)。イザナギ(伊弉諾尊)を主祭神とした東霧島神社(宮崎県都城市/県社)と霧島東神社(宮崎県西諸県郡)。本来の霧島神社も、本来の祭神もわかりません。  祀られてた神はだれでしょうか。 *  じつは霧島山という山はありません。加久藤カルデラの南側の山々(連山)をまとめて霧島連山といいます。第一峰の韓国岳(霧島岳西峰)、第二峰の高千穂峰。高千穂峰に連なる火常峰など。霧島連山も修験道が有名で、霧島神社も熊野那智大社と同じく修行場と変えられました。  霧島という地名(山名)は、イザナギがカガヒコを斬り殺した処で、きり嶼(シマ)という説もあります。  現代、再び加久藤カルデラ(加久藤火山)の噴火を書いた石黒耀の小説[死都日本]がありますが、[カグツチ]というタイトルで漫画化となりました。 *  熊野の、パンダの繁殖実績は風土だけでありません。良質の竹が熊野で採れます。竹は大陸から熊曽国(九州南部)、熊野国(紀伊半島)を経て畿内へときました。 *  熊野カルデラの噴火後、初めて紀伊半島に来た人は巨岩や奇岩に驚きました。  もしかしたら祖国(熊曽国)か。  初めて紀伊半島に来た人のあと。  改めて台風の海難で、紀伊半島に人が来ます。人を拒むような切岸、岩壁を越えたあと、木々(森)に驚きます。  何故、驚いたのでしょうか。  もしかしたら祖国か。  隈(コモ)る木の、冬も枯れない木の、常緑の木の奥に、神(祖霊)が隠ってる。西方の日の沈む祖国と繋がってる。  巨岩や奇岩に驚きませんが、地震や台風に驚きます。祖国に巨岩や奇岩はありますが、地震や台風はありません。  天へと聳えた常緑の高木に、高天原の日神に授かった稲穂を護るため、地の神、海の神、地震の神、台風の神を御する神を降ろします。  海の彼方を眺めれば、水平線で天(アマ)と海(アマ)は接してます。  神は、見えないアマの彼方に座(イマ)す。御座します。 *  熊野国(紀伊半島)と熊曽国(九州南部)は、カルデラという地形と、台風が多い気候だけでなく、ほかも似てます。鰻、茶、みかんなどの農作物。  照葉樹林文化論は、大陸から日本列島までの東西に延びる照葉樹林帯に同じ起源の稲作文化ができたと論じてます。  うーん。さらにトンデモっぽい再考となりました。すみません。  という事で続きます。 *  おまけの神社。  イザナギとイザナミは淡路国(沼島と淡路島)、または瀬戸内海の海人族(安曇氏)の崇める神といわれてます。そして淡路島の岩屋港に子神ヒルコを祀る岩樟神社が建ってます。淡路島の対岸の、蛭子大神を祀る和田神社(兵庫県神戸市/県社)や西宮大神を祀る西宮神社(兵庫県西宮市/県社)にヒルコの神話が伝わってます。  九州南部のヒルコ(蛭児尊)を祀る蛭児神社(鹿児島県霧島市/大隅国二宮/村社)に、やはりヒルコの神話が伝わってます。岩樟神社、和田神社や西宮神社よりも古く伝わる神話といわれてます。境内に天磐橡樟船が根づいた楠の神木があります。水棹が根づいた金筋竹があります。
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