2 西と東の熊野・前篇

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2 西と東の熊野・前篇

 熊野の地名の所以は、諸説があります。  もとは隠野、籠野(コモリノ)で、神が隠ってる、籠ってる説。  もとは隈野で、山、または木が隈(コモ)ってる説。隈(クマ)のつく地名は、奥まった地を表してます。  のちに紀伊国牟婁郡と変わりますが、牟婁の地名の所以は室。囲まれた地を表します。  山や木の奥まった、山や木に囲まれた、神の隠った地が、熊野、または牟婁となります。しかし。なぜ、熊野は牟婁に変わったのでしょうか。  そして出雲国の熊野(島根県松江市熊野)の地名が移された説。 *  古事記で、イザナミは出雲国(島根県)と伯耆国(鳥取県)の境の比婆山に葬られたと書かれてます。諸説がありますが、有名な2説。  まずは葬られた地に比婆山久米神社(島根県安来市/式内小社)が建ってます。祭神はイザナミ(伊邪那美之尊)。比婆山の麓にあり、頂に墓地(奥ノ宮)があります。出雲国風土記で久米神社・熊野神社と書かれ、江戸時代までは熊野神社といわれました。  つぎは立烏帽子山(別名は比婆山)の頂にイザナミの墓地があり、竜王山の麓に建つ比婆山熊野神社(広島県庄原市)は遥拝のための神社といわれます。  ついで。なぜか宮内庁は神納山の神納峠にある墳墓をイザナミの墓地と決めてます。岩坂陵墓参考地(島根県松江市)。  とりあえず出雲国にイザナミの墓地はあります。なぜか出雲国に熊野もあります。そして出雲国に黄泉比良坂もあります。古事記で、出雲国の伊賦夜坂が黄泉比良坂と書かれてます。近所にイザナミ(伊弉冉命)を祀る揖夜神社(島根県松江市/式内小社/県社)が建ってます。  淡路国の海人族の祀るイザナミが、なぜ、出雲国に祀られたのでしょうか。熊野国で死んだイザナミが、なぜ、出雲国に祀られたのでしょうか。 *  島根県の県名の所以は出雲国島根郡です。郡域は島根半島。じつは、もとは島です。  ゆえに島(出雲国)の根元(原型)、原・出雲国(または原・西出雲国)といわれます。  出雲国風土記で、八束水臣津野命(古事記でスサノヲの4世孫神の淤美豆奴神と同神)は、国土が狭かったので、杭を打ち、網で高志国(能登半島の一部)を美保の崎(地蔵崎)に、新羅国(朝鮮半島の一部)を支豆支の埼(日御碕)に引いた、国を産んだでなく、国を引いた神話が書かれてます。  国土創成神話だけでなく、高志国と新羅国を出雲国の統治下にした神話も合わさってます。引いた時に打った杭が角盤山と三瓶山となります。  事実、角盤山と三瓶山の噴火による堆積物や沖積物が積もり、島根の島は半島になります。事実、出雲国は高志国と新羅国を統治下にします。  角盤山と三瓶山の噴火があった数万年数千年の事実を、いまだ島根の島が日本列島と離れてた縄文時代の事実を、出雲国が国土(統治領土)を広げてた古墳時代の事実を、奈良時代に、ひとつの神話として書いてます。じつに巧妙な表現。 *  紀伊国の国名の所以は木ノ国です。  紀氏が治めた国で紀ノ国の説もありますが、最初は木ノ国といわれました。木ノ国が紀ノ国、紀伊国と変わります。  神話で黄泉国の別名は、根ノ国、底ノ国。地上の紀伊国(木ノ国)の地下にあります。木ノ国の下の根ノ国。じつにベタな表現。笑えます。  古事記で、ナムヂは出雲国からわざわざと紀伊国へと行き、スサノヲの子神イタケル(古事記の大屋毘古神と同神)に導かれて根ノ国(黄泉国)へと堕ちます。イタケルは、紀伊国に木種を齎した神。ナムヂはスサノヲの修練を熟し、認められ、オオクニヌシとなり、出雲国に戻ります。黄泉比良坂を登った処に出雲国があります。  紀伊国で留まった地に建つ大國主神社(和歌山県紀の川市)。祭神はオオクニヌシ(大国主命)、天照皇大神、少名毘古那命。近所にイタケル(五十猛命)を祀る伊太祁曽神社(和歌山県和歌山市/式内名神大社/紀伊国一宮/官幣中社)が建ってます。  神話で、オオクニヌシは統治国を広げて葦原ノ中ツ国を造り、高天原から降りてきた天ツ神に国を譲ります。そして百不足之八十隈に幽れます。すごく曲がりくねった先の奥まった処。100回はないけれど80回は曲がった処。じつに微妙な表現。笑えます。  奥まった処、三瓶山の噴火でできた出雲平野に杵築大社が建ちます。杵築大社の先は島根半島。島根半島の根元に幽宮は建ってます。  のちに明治時代に杵築大社は出雲大社と変わります。  根ノ国(黄泉国)の入口は紀伊国に、出口は出雲国にあります。黄泉比良坂で紀伊国と出雲国は繋がってます。東の熊野と西の熊野は繋がってます。  海人族の祀る神のイザナミは出雲国と関わりませんが、黄泉大神イザナミは出雲国と大きく関わります。
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