1 イザナギとイザナミ

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1 イザナギとイザナミ

 熊野国。  のちに大化の改新により、紀伊国牟婁郡と変わります。熊野の地名はなくなります。  さらに明治の廃藩置県により、熊野川の西側の和歌山県西牟婁郡と東牟婁郡、東側の三重県北牟婁郡と南牟婁郡に分かれます。熊野川は和歌山県と三重県の県境に流れる川。熊野の土地はバラバラとなります。  2度の中央集権化により熊野は、地名はなくなり、バラバラとなります。  そして三重県南牟婁郡の大部分が熊野市と変わります。熊野の地名は当地限定となります。熊野三山は和歌山県、花窟神社のある熊野市は三重県。ややこしい。  熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山。全国の熊野神社の総本社。熊野信仰の中心。有名。だけど熊野信仰はどんな信仰でしょうか。  熊野信仰は、精霊崇拝の原・熊野信仰の時代、祖霊崇拝の元・熊野信仰の時代、そして佛教(密教)の影響による現・熊野信仰の時代があります。とてもややこしい。  山名で、訓読のヤマと、音読のサンがありますが、佛教に関わる山はサンと読みます。山号。ゆえに熊野三山は現・熊野信仰の神社と思われますが、じつは違います。原・熊野信仰の神社と考えられます。  各時代に建った神社のうち、今回は原・熊野信仰の神社を考えます。 *  原・熊野信仰の神社の前に、ちょっとだけ、花窟神社を考えます。  熊野市は、大昔(大化の改新前)は熊野国の中心地で、昔(明治の廃藩置県前)は神宮の所領地でした。  日本書紀一書で、イザナミは紀伊国の熊野の有馬村に葬られたと書かれてます。  神話史話で、熊野の地名が初めて書かれてます。神代も現代も、熊野の地名は当地限定となります。  葬られた地に花窟神社が建ってます。祭神はイザナミ(伊弉冉尊)とカガヒコ(軻遇突智尊)。古社と思われますが、じつは明治時代の創建。創建当時の施設を除くと、なにもありません。本殿、拝殿もありません。墓石のような神体の巨岩(岩壁)だけがあります。黄泉国に通じる黄泉比良坂を塞ぐ為の巨岩といわれます。  神話で、イザナギとイザナミはオノゴロ島に降り、国(島)と神を産みます。オノゴロ島は淡路島の近所の沼島といわれます。最初にエナ(胎盤)として淡路島を産み、大八洲国を産みます。いろいろな神を産み、最後に三貴神とヒルコを産みます。立てないヒルコを海に流し、泣きやまないスサノヲを黄泉国に堕とします。火神カガヒコを産み、火傷を負ってイザナミは死にます。怒ったイザナギはカガヒコを斬り殺します。  疲れたイザナギは幽宮に幽(カク)れます。淡路島の伊弉諾神宮(淡路伊弉諾神社/兵庫県淡路市多賀/式内名神大社/淡路国一宮/官幣大社)が幽宮といわれます。 *  なんか知ってる神話と違います。じつは知ってる神話は古事記で書かれた神話。  古事記と日本書紀は、合わせて記紀神話といわれますが、日本書紀は六国史の一書で史話、古事記は神話となります。そして古事記と日本書紀で書かれた神代の話(神話)は違います。例えば三貴神は、日本書紀でイザナギとイザナミの子神ですが、古事記でイザナギだけの子神です。すでにイザナミは死んでます。ヒルコは、日本書紀で三貴神の兄弟神として産まれますが、古事記で最初に産まれます。  さらに日本書紀で書かれた事は事実と思われますが、じつは史実であり、事実でありません。いろいろな史料により書かれた日本書紀。いろいろな史料を読み比べ、複数の史実がわかったとき、とりあえず正史を決め、あわせて一書(ある史料によると)として異史も書いてます。事実はひとつ、史実はたくさん。とてもとてもややこしいです。  日本書紀一書で、古事記と同じくヒルコを海に流したあと、イザナミは国や神を産み、やはりカガヒコを産んで死にます。イザナギは、やはりカガヒコを斬り殺し、黄泉国に堕ちたイザナミを追います。しかし約束を違え、怒ったイザナミに追われます。怒ったり怒られたり、たいへん。巨岩で黄泉比良坂を塞ぎ、離別。怒ったイザナミは黄泉大神、黄泉国を治める神と化します。  花窟神社の近所に、カガヒコを産んだ地に建つ、産田神社(三重県熊野市/郷社)があります。祭神はカガヒコ(軻遇突智尊)とイザナミ(伊弉冉尊)。  イザナギは、粟門 (鳴門海峡)、速吸名門(豊予海峡)で黄泉国の穢を禊ぎますが、潮が速い為に儘なりません。潮の緩い橘の小門で禊ぎ、三貴神を生みます。古事記で筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原と書かれ、昔の日向国、今の宮崎県宮崎市阿波岐原町といわれます。江田神社(宮崎県宮崎市/式内小社/県社)が建ってます。  スサノヲは、海原を治めるようにイザナギに言われますが、断り、黄泉国に堕ちます。  スサノヲは、日本書紀で父神イザナギに堕とされますが、古事記と日本書紀一書で会ってない母神イザナミに会うため、みずからが堕ちます。 *  日本書紀で、沼島でイザナギとイザナミは国と神、三貴神を産みます。イザナミはカガヒコを産んで死にます。イザナギはカガヒコを斬り殺ろします。イザナギは幽宮に幽れます。すべて淡路国(沼島と淡路島)で行われます。  古事記と日本書紀一書で、沼島で国と神を産みます。熊野でイザナミはカガヒコを産んで死にます。イザナギはカガヒコを斬り殺します。橘の小門で禊ぎ、三貴神を生みます。幽宮に幽れます。淡路国、熊野国、日向国。瀬戸内海をいったりきたり、たいへん。  イザナギとイザナミは淡路国、または瀬戸内海の海人族が崇めた神といわれます。  神名のイザは誘うを、ギは男神、ミは女神を表すといわれますが、なにの神でしょうか。なにを誘う神でしょうか。  瀬戸内海の潮(凪と波)の神格化。舟を誘い、漁場に誘い、さらに海底に誘う神と考えられます。  淡路島の岩屋港に岩樟神社(兵庫県淡路市)という小さな神社が建ってます。祭神はヒルコ(蛭子命)、イザナギ(伊弉諾尊)、イザナミ(伊弉冉尊)。  聳える岩壁に洞穴があり、イザナギの幽宮といわれます。淡路島の神域です。  では、なぜ、皇祖神の祖神が海人族の崇める神なのでしょうか。  なぜ、イザナミは熊野国で死んだのでしょうか。  なぜ、イザナギは日向国で禊いだのでしょうか。  精霊崇拝の原・熊野信仰から祖霊崇拝の元・熊野信仰へと変わった理由。  同時に、花窟神社も変わります。  ということで続きます。 *  おまけの神社。多賀大社を考えます。  多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町多賀/式内小社/官幣大社)も、イザナギの幽宮といわれます。イザナギ(伊邪那岐命)とイザナミ(伊邪那美命)を祀りますが、本来の祭神はわかりません。なぜ、イザナギとイザナミを祀ったのでしょうか。じつは古事記の原本はなく、岐阜県羽島市の真福寺にある最も古い写本で、イザナギの幽宮は淡海の多賀と書かれ、淡海(近江)の多賀大社となりました。しかし日本書紀で、イザナギの幽宮は淡路の多賀と書かれてます。つまり誤写と考えられます。やはり幽宮は兵庫県淡路市多賀の伊弉諾神宮と考えられます。  多賀大社の神徳は家内安全、無病息災、夫婦円満。やはり誤写と考えられます。
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