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3話 死神と映画
梶君はすぐにお姉さんにココアと紅茶を注文し、彼はコーヒーを。
数分で出てきたドリンクを前に、神妙そうな顔で会話を始めだしたのだけれど。
「──で、佐伯はどうなるわけ?」
梶君の言う通りだ。
僕に死神が憑いているということは、そういうことだ。
『えっと、だいたいあたしが憑いて、8時間ぐらいで死ぬよねぇ』
今は8時半。
ざっくり、スタートが8時とすると、今日の午後4時ごろが僕の死亡時刻になる。
「佐伯の死因とかわかんの?」
『死ぬタイミングはあたしにしかわかんないけど、原因は知らない。でも、若い人が死ぬってことは、基本、事故だねぇ』
「なるほどな。佐伯、なんか聞きたいこととかないの?」
「えっと、なんで、僕は君が見えるの?」
『それはあたしにもわかんない。でも見えてくれて助かったよぉ』
ヴィオはココアのカップを持ち上げた。溶けかかったマシュマロが嬉しいのか、目元が緩みっぱなしでココアをおいしそうに飲みだした。
これって、姿が見えない梶君にはどう見えてるんだろ……?
「なに、佐伯? オレになんかついてる?」
「え、いや、なんか、変な現象とか起きてない、かなぁって……」
「いや? ココアが少しずつ減ってるぐらいだな。面白いな、減るんだな、カップも動かないで」
もう、どういう現象とか、考えるのはやめよう。彼女の動きは彼女の動き。それだけだ。
「あの、なんで僕が君のこと見えてると助かるの?」
『だって、手伝ってくれるじゃん、最後の時間まで』
「手伝うって、なにが?」
梶君の声に、ヴィオは眉をぴくりと揺らす。そして困ったように顔をしわしわにしてから話し出した。
『あたしさぁ……最後の寿命まで、生かせられたことがなくって……』
「なに言ってんの?」
梶君のツッコミが厳しい。
『死神が憑いてからの時間って、人生で一番、運がない状態なの。それこそ、石につまづいて死ぬぐらい運がなくなるの。だから、あたしたち死神は、最後の時間まで生きてもらえるよう、守るためにいるわけ』
「ってことは、今朝の事故も、佐伯の運がなさすぎて?」
『そういうこと。今朝の事故は、無事に助けられましたけどね!』
「だからガッツポーズしてたんだ……」
『当たり前じゃん! だいたいみんなさ、スタート不運であっさり死んじゃうからさぁ』
ため息まじりに彼女は言うけれど、
「なに、その、スタート不運って。スタートダッシュみたいな言い方だけど」
梶君がすかさずツッコんだ。
僕も確かに思った。なんだ、その、スタート不運って。
『え? 一番最初の、運がなさすぎて起こる事故のこと。みんな使ってるけど?』
その、みんな、って、死神じゃん……。
『でもさ、最後まで生かせられないせいで、あたしの寿命、これだけなんだよぉ』
彼女がローブの中から取り出したのは、黒いキャンドルだ。青く大きな炎がゆれている。
ただそのキャンドルは太さの割にとても短い。僕の親指の長さもないぐらい。
ヴィオは平たい円柱キャンドルを大事そうに撫でながら、『短いよねぇ』悲しそうに呟いた。
「短いね……。そんなに短くて大丈夫なの……?」
ヴィオは下唇をぷいっと出して、ふてくされた顔を作る。
『太さがあるから、まだ大丈夫! てかさ、ペナルティってひどくない⁉︎ 助けられなかった時間の分、あたしの寿命から引かれるなんてさ!』
「塵も積もれば、か……それ、相当、引かれてるよね」
『ゆきちゃん、うるさいっ』
梶君にローブの裾を乗せて喋るヴィオだが、梶君に声はしっかり届いている。僕らのやりとりにケラケラ笑いながら、僕の隣を指差した。指をくるくると回しながら、この辺りにいるんだろうと、喋り出す。
「オレもそのキャンドル、見てみたいわ。でもさ、佐伯の方が、もっと短んじゃね?」
「それは、たしかに」
ただ、そうだとして、僕は自分の寿命を見たいとは思わない。それを見ても何も結果は変わらない。それに、今日、人生が終わるのなら、それでいい。……それがいい。
テーブルに視線を落とした僕に、梶君の手がひらひらと揺れる。
「佐伯、大丈夫? なんか冷静すぎだし。気が動転してるとか?」
「いや、そんなことないよ。なんだろ。諦めの境地、みたいな」
「まじで? オレなら昼過ぎたらもうすぐ死んじゃう! って焦るけど」
「……僕は、あまり、生きるってことに執着してないのかもしれない。だから、その、僕はどこかでじっとして過ごすよ。さっきみたいな目に遭うのもヤダし」
「やり残したこととか、やりたいこととかさ、ちょっとはないわけ?」
「ある、けど……。もう、叶えられないことだから。それなら、ないと同じだし」
僕がうつむいた瞬間、お姉さんの悲鳴が店内に響いた。
慌てて振り返ると、カフェの入り口で何やら押し問答している。
「……はいはい、どーも、すーいーまーせーんー」
モーニングの時間のはずなのだが、サラリーマンを帰してしまった。だけれど、あのサラリーマンに問題があったようだ。
「大河、ヤバイ、なにあれ? なんか、ふらふら背中について、うちに入ろうとするんだけど! あんなの来店させられないしっ」
「うっわ、ファントムじゃん」
梶君が店の窓越しにサラリーマンを見やり、嫌そうな顔をする。
「は? また人、乗り換えて、こっちに来る……?」
『あ、ファントムはね、一度狙ったら、しばらく追いかけてくるよぉ』
「「はぁ?」」
『人の背中を介してでしか移動できないけど。人混みだと移動しやすいからねぇ。あ、あたしはファントム見えないから。でも、ニオイはわかるんだ。それに、じゃじゃーん!』
彼女の背中から抜き出したのは大きな草刈り鎌だ。
どこにも引っかからないのが不思議だけれど、そういう存在感なのだからしかたがない。
『この鎌はね、ファントムを斬るための鎌なのです!』
「じゃ、それでここに来るファントムを斬っていけばいいんじゃね?」
手をパシリと叩いた梶君に、ヴィオはチチチと舌を鳴らす。
『1日1体までと決まってるのですぅ』
がっくりと肩を落とした梶君の奥で、お姉さんがクローズの看板を下げに行ってしまった。
「長居しちゃまずいよ。僕、人がいないところで過ごすよ」
荷物をかき集めて立ち上がった僕の肩をお姉さんが掴んだ。
「はい、落ち着いて」
ぐっと押され、無理やり席へと戻される。
「うちは店閉めればどうにでもなるし。……その、ここにいてもいいよ? でもさ、嘘か本当かわかんないけど、自分の時間、大事にしたほうがいい」
「で、でも、みんなに迷惑かけるし……」
僕の人生は主役じゃない。こう端っこでそっと生まれて消えていく人生だ。
そうあるべきなんだ。
だから今更、生き急ごうなんて……。
何より、何かすれば、もっとみんなに迷惑がかかる。
「なぁ、佐伯、どこ行くー?」
ぬるくなったコーヒーを大きく飲み込み、スマホをいじりながら梶君が言う。
「平日だからなぁ……あんましイベントやってるとこないからさぁ。せっかくだし、楽しもうぜ? 半信半疑っちゃそうだけど、とにかく楽しんで今日1日終わりたいし」
「だ、ダメだよ。僕、独りで……」
『あ、あたし、映画観たい! みんなで映画みようよぉ』
「お、いいね! やっぱ女子は恋愛系とかかな……。ちょ、調べるわ」
「何、言ってんだよ。僕は独りでいいし……」
『え? あたしはゆきちゃんの最後まで、ここにいなきゃいけないんですけどぉ? いっつも、ただ時間が過ぎるのを見てるだけだったから、今回ぐらい、いいじゃん! ゆきちゃんが残りの時間楽しまないなら、あたしがエンジョイするっ!』
そう言われると、返す言葉が見つからない。
ヴィオは心底嬉しそうにクルクル空中で回りながらはしゃいでいる。
『映画館だよー、映画館っ! めっちゃ楽しみっ! やったー!』
僕のテンションとは真逆だ。
つい、冷めた目で見ちゃうけれど、ぷかぷかとスカートの裾を気にしながら、僕と梶君の間を行き来する姿は可愛いらしい、かもしれない。
だけれど、映画館だなんて。
密室に閉じ込められる、と言い換えてもいい。
だいたい僕は、僕に憑いてる死神しか見えない。
「あの、映画館なんて、行って大丈夫? その、ファントムとか……」
「さっきみたいに、走って逃げればいいっしょ」
『だって。ゆきちゃん、心配しすぎだって。あたしさ、映画をみんなで見るってやってみたかったんだー。ちょっと早いけど、移動しちゃだめかな? もうソワソワが止まんない』
「移動しようか、ヴィオちゃん。もう映画館、開いてるね、うん。行っちゃお行っちゃお。ほら、佐伯も!」
僕が無造作に外して丸めたマフラーを手渡される。
僕はつい受け取ってしまうけれど、本当にいいんだろうか。
「大河、ならさ、この前見てきた映画のパンフ買ってきてよ」
「りょ」
飲み物のお金を出そうとする僕の手を、お姉さんはそっと握ってきた。
「うちの弟、構ってやってね。意外と寂しがりなんだ、あれでも」
「姉貴、なんか言った?」
「言ってない言ってない。……佐伯君、楽しんできてね」
そっと押し出された手が少し力強くて、笑っているのに眉がハの字で、僕は頷き返すことしかできなかった。
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