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6話 死神と駆けっこ
「これからどーすんのっ!」
「ここに集まってんだから、少し離れれば安全圏しょ! たぶん!」
『さすがトラちゃん、頭いいねぇ』
ヴィオはファントムの横を過ぎる度にひどい臭いがするらしく、ぐしゃりと顔を歪めて、涙目だ。
僕の首に腕を巻きつけて、キョロキョロと忙しなく鼻をひくつかせている。
僕が走るたびにフワフワとローブを揺らして風船みたい。
おかげであるはずない風の抵抗感を感じてしまう。
それでも僕は走る。
いや、止まれない!
「頑張れ、ゆきちゃん」
梶君はまだ余裕のようで、走る速度が変わらない。
僕は映画館を出た時点で、かなり足にキテる。
中・高と帰宅部の僕には、辛すぎる!
ただ怪我の功名というのか、映画館にファントム憑きの人たちが集結してくれたおかげで、街のなかにファントムが少なかった。
それにファントムが憑いている人の背中を介して移動もできなかったようで、映画館から追いかけてきたファントムもいなかった。
安堵の笑顔で梶君が僕に言う。
「ゆきちゃん、ファントム、だいぶいないよ」
「よかったぁ」
『でも、もう少し、人混みから離れよう』
僕たちは息を整えながら、繁華街を離れていく。
人の少ない場所をたどっていくと、着いたのは、河川敷の公園だ。
イチョウが黄色に滲み、枯葉がランニングコースにからまっている。
それを蹴散らしながら、川沿いのベンチをゴールに僕らは立ち止まる。
「……ここまでくれば……」
梶君はキョロキョロと視線を回す。
犬との散歩や、子どもたちの走る声は聞こえるが、どれも彼らの雰囲気は長閑だし、おかしな表情はない。
「よし、大丈夫、そう。よかった……はぁ……」
『ヤバかったね……あれだけのファントム、集まってるの初めてだったよぉ! ふうっ』
「僕にしがみついてただけじゃん。走ったフリやめてよ」
『いいじゃん! みんなで走った感じ、だしたかったの!』
走ったせいでかなり暑い。
バッグをベンチに投げ置き、握りしめてたマフラーをおろすと、学ランのボタンを外し、パタパタと上着を煽ぐ。
「あっちー! 風、気持ちいいー」
「本当に……こんなに走ったの久しぶりだよ……」
僕らはベンチにだらりと腰をおろした。
背もたれのある椅子でよかった。
笑っている膝がどうにか落ち着いた気がする。
『ね、ゆきちゃん、小腹空いちゃった。あそこのクレープ食べよ?』
指差した方を見ると、移動販売車がある。
車の横にのぼりがあり、「焼きたてクレープ」が風に泳いでいる。
何気なく時計を見ると、ちょうど昼を回ったぐらい。
僕の寿命はあと5時間、だ。
「よし! クレープはオレが奢るわぁ。死神に借り作っておいたらいいことあるかもだしー。ゆきちゃん、苦手なのある?」
「生クリームが苦手だから、それ以外がいいな」
「じゃ、ピザっぽいのにするわ。ヴィオちゃんは?」
『あたしはね、イチゴがたくさんのってるのがいいっ』
イチゴがたくさん、のってるのがいい────
リフレインする。
これは、スミレも言っていた。
そうか、彼女を見ると、スミレを思い出すんだ……。
「……はぁ……」
『どしたの、ゆきちゃん? 大きなため息ついて』
「ううん。君を見てると、過去がほじくりだされて痛いんだ」
『そっか。でも、過去って楽しくて痛いからしょうがないよね』
ヴィオはさも当たり前のように言って、クレープを注文している梶君に視線を飛ばす。
本当は見たいのだろうけれど、僕のそばから離れられないから、首を長くするしか方法がないみたい。
僕は胸ポケットから学生手帳を取り出した。
両親へ言葉を残すことを思いついたからだ。
……とは思っても、書くことが、全く思い浮かばない。
自殺するわけでもないし、正直、死ぬ実感というのも沸いていない。
だけど、間違いなく、僕はこの地上から消えるんだろう。
何より、僕には死神が憑いている。
「……うーん……ありがとう、だけでもいいかな……いや、足りないかな。というか、なんか、自殺っぽいな、これだと……自殺じゃないしなぁ……遺書って調べて見たらいいのかな……」
『なに、ブツブツ言ってるの?』
「一応、両親に、なんか言葉があってもいいかなって……」
「なんで、そんなに死ぬ気満々な訳?」
出来立てのクレープを器用に3つ手に持った梶君が眉をひそめて僕に言う。
確かにそうかもしれない。
でも、思えば思うほど、僕は生きていちゃいけない気がしてる。
受け取ったクレープを3人で頬張りながら、僕はつい、言葉にしてしまう。
これは、僕の懺悔だ。
「そのさ、……僕のせいで、……僕が張り切ったせいで、幼馴染は死んだんだ。
……スミレって子でね、明るくて、いつも笑ってる可愛い子だった。
……僕は、名前を呼ぶのが苦手でさ、だけど、その日は名前を呼ぼうって決めてて。あれは張り切ってたと思う。
それでね、勇気を出して僕が名前を呼んだとき、……僕が呼んだせいで、車に……。
僕が張り切ると悪いことがあるって、ようやく気づいて……何もかも遅いけど、もっと早くに気づいてたらって、毎日、思う。
……だから、僕は張り切らないように、人の名前を呼ばないようにって、ずっと……」
話切った僕を、梶君とヴィオはドン引きの顔で見つめている。
最初に口を開いたのはヴィオだ。
『それさ、自意識過剰じゃない……? その子にだって、死神憑いてたんじゃないの?』
唇の端についた生クリームをべろりと舌で舐めながら、ヴィオが言う。
「で、でもさ、それでもさ、僕が呼んだせいだし……」
ヴィオはあからさまにため息をついてくる。
梶君はチョコクレープに乗せられたチョコレートクッキーをざくざく食べながら、
「オレの名前呼んでみ? オレ、絶対死なないし。なぜなら、オレには死神が憑いていないっ」
両腕を広げて話す梶君は自信に溢れてて、羨ましい。
だけど、この事実を知って、体験しているのは僕だ。
そんな勇気は、ない。
だから、ついムキになってしまう。
「……嫌だよ。嫌なことがあるから、嫌なの! 何か起こったら、やっぱり名前を呼んだからってなるじゃんっ」
「平気だって」
「僕は嫌だっ!」
強く言い切った僕に、食べかけのクレープを梶君が差し出してきた。
「ゆきちゃん、これ、食べてみる?」
「……え? いや、」
つい顔を上げた僕に、梶君は笑う。
「あのさ、……その、もう、ちょっとしかないじゃん。……だから、ちゃんとさ、……その、友達に、オレだって名前呼ばれたいじゃん」
梶君のその笑顔が泣きそうで、でも、明るくって。だけど、笑ってくれていて。
胸がぎゅっと絞められる。
息苦しい。心が苦しいんだ。
優しい気持ちが、痛いんだ……
「ゆきちゃん、名前、呼んでよ」
もう一度の言葉に、僕は喉が詰まる。
『──あたしの名前、呼んでよぉ』
スミレの声がする。
僕が名前を呼んで、いいんだろうか。
僕は息を吐く。
……もう、後悔は、作るべきじゃない。
言い訳かもしれない。
でも、僕は息を吸う。
ヒュッと音が鳴る。
そこまでしなきゃいけないことなのかもわからない。
だけど、最後ぐらい。
友達、らしく……一度ぐらい、友達、らしく、……したい。
「……か、梶、君……で、いい?」
思ったよりも小さい声に、自分でも驚いてしまった。
「ウケる! 声、めっちゃちっさ! しかも、苗字呼びだしっ」
笑われてしまった。
よほどおかしかったのか、目尻を袖で拭きながら笑う梶君を、つい睨んでしまう。
『ね、ゆきちゃん、あたしは? ね、あたしは?』
梶君を押しのけるように、僕の前に浮かんできた。
「君、死神だろ?」
『えー! ヴィオって呼んで欲しいっ』
「……なんか、それはちょっと」
『どういう意味⁉︎』
ヴィオは怒鳴るけれど、死神だから呼べない、ではなく、女の子の名前を呼ぶってことが、僕には難しい。
「ご、ごめんって……」
『ま、いつでも呼んでいいから!』
ヴィオは僕の肩を叩き、残りのクレープを食べ始めた。
僕も、チーズが固まってしまった脂っぽいクレープを頬張る。
塩っけがあって、ほんのり甘くて、いつもよりずっとおいしいクレープだった。
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