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夏に出会った二人はそれからも仲良く遊んだ。一年間、学校に行かない代わりに母親からは計算ドリルなどが送られてくる。瞬が黙々と勉強している間、ごんべえは本をおとなしく読んでいた。当初は絵本ばかりだったが、外の山が紅葉真っ盛りになった頃には、児童本を読むまでになった。相変わらず冒険小説が好きなようで、瞬の体調が良いときには、庭先で冒険ごっこをしたりして過ごした。また、瞬がやっている勉強にも興味があるようで、簡単な計算を瞬がごんべえに教えてやることもあった。 「ごんべえは一度も、学校に行ってないの?」 一緒に計算ドリルをしながら、瞬がそう聞くとごんべえは小さく頷いた。 「うん。でも今こうして瞬が教えてくれているから、それで十分だよ」 ごんべえのお父さんもお母さんも、学校に行きなさいと言わないのかなあと瞬は不思議でたまらなかったが、それ以上は聞かなかった。 秋も終わりを迎えようとした頃には、瞬はすっかり元気になり食べ物の好き嫌いも改善されていた。 月に一回、母親の恵美子が家にやってきて、一緒に病院へ行く。ここ最近は病院へ行く度に数値が良い方向へ向かっているらしく、医師からは好き嫌いが減ったからかもしれないね、おばあちゃんに感謝だねと笑顔で褒められた。 「ニンジンも食べられるようになったとは驚きだわ。やっぱおばあちゃんの料理は美味しいのね」 病院の帰り道、恵美子がそう言いながら車を運転する。これならもう少ししたらうちで暮らせるようになるかもしれないねと言われて瞬はやった!と声を上げた。 家に帰ればゲームもあるし、友達と以前みたいに遊ぶこともできる。ミサの作る手料理は以前ほど嫌いではないが、やっぱり家での料理が恋しい。 (あ・・・) ウキウキした気持ちでいるとふと、ごんべえの顔が浮かんだ。自分が去れば、ごんべえはまた一人になってしまう。この田舎で友達もいなくて、学校も行けず。 チクリと瞬の心に針が突き刺さったように痛む。 (冬休みや夏休みになったら、会いに行けばいいか) 休みごとに会いに行って、一緒に遊べばごんべえだって寂しくないはず。手紙を出したりしてもいいし。 (いつでも会えるんだから) 瞬は窓の外の、稲刈りを終えた田んぼを見ながらそう思った。 その頃、ごんべえは一人、大きなケヤキに背を持たれて座っている。 ここはいつもごんべえの指定席だ。その場所から海を眺めるのが日課。サワサワと枝が揺れて風が吹く。もう風は冷たくなってきた。冬が近づいてきているのだ。 ふいにごんべえが上を向きながら、瞬に教わった口笛を吹く。初めは上手くなかったがだんだんと吹けるようになっていき、いまや瞬より上手くなっていた。 『上手に吹けるもんだねえ』 どこからかごんべえに聞こえたその声。声の主はこのケヤキだ。 「瞬に教えて貰った」 ケヤキに語りかけるごんべえ。 『瞬・・・ああ、夏前から来ている子か。でもあまり仲良くすると・・』 「分かってる。それに瞬はもう少ししたら元にいた場所に戻るから」 ごんべえはどことなく寂しそうな顔をする。 「いつものことさ。ただ・・今回はやばいかも。一緒にいすぎたのかな」 慰めるかのように、枝が揺れる。風がごんべえの白い髪を揺らす。少しだけ潤んだ瞳をグイ、と手で拭って、ごんべえは立ち上がった。 「うわあ。暖かいね」 大きな火鉢を前にして瞬が声をあげた。冬が本格的に訪れた頃、ミサは納屋から大きな火鉢を出して火を入れてくれた。瞬は初めて見た火鉢にストーブより暖かいねと大はしゃぎする。ごんべえは笑いながら、かじかんだ手を火鉢の前に当てて温めていた。 今日はミサが家にいる。ごんべえが来ている時間に在宅していることは珍しい。火鉢の灰の中に棒を突っ込んで、その先に餅を挟んで焼いてくれている。ほんのりと焦げ目ができて美味しそうだ。 「もういいかな。瞬ちゃん、砂糖醤油ときなこ、どっち?」 「僕、きなこ!」 台所に行き、きなこを準備して小皿を二枚持ってきて、瞬の前に出す。 「ごんべえちゃんも、きなこ?」 ミサがそう聞くと、瞬の隣にいたごんべえが何故か驚いたような顔をする。きなこでいいか、の問いに答えないごんべえを不審がりながら、代わりに瞬がきなこでいいよと答えた。 小皿に置かれた美味しそうな餅を、ごんべえはじっと見ている。手にして口に頬張ると暖かさが滲んできて体が温まっていく。 「美味しいね!ごんべえ」 瞬の笑顔とミサのしわくちゃの顔を見ながら、ごんべえはうん、と笑顔で答える。 餅を頬張りながら瞬は庭から見える海を眺めていた。瞬が初夏に見た、あのきらきたした優しい海ではなく、冷たそうでどことなく寂しそうな海。もう冬本番が近いのだと海が教えてくれているようだった。 瞬が家に帰る日が二ヶ月後に決まったと、恵美子から告げられたのはそれからまもなくして。新学期からは元の学校へ通えるようになるという。それを聞いた瞬は、嬉しくてつい、翌日ごんべえに上機嫌に話すと、少し驚いた顔をしたがすぐ笑顔になって良かったねと言ってくれた。 「今日は大きな木のとこに行こうよ」 珍しくごんべえが瞬に遊び場を提案してきた。いつもは瞬がリードして遊びを決めるのに。 「うん、いいよ。行こう行こう」 ふたりが行ったのは大きなケヤキのある丘だ。秋にはこの木の側で神楽が奉納され、祭りが毎年行われている。ごんべえと行く約束をしていたが、夜に出ることを禁じられて結局行かずじまい。もう少し大きくなってから、と言われたのでごんべえといつか行こうと約束をしていた。 「今日は、暖かいねえ」 いつもなら手がかじかむほど寒いのに、今日はまるで春のように暖かい。海も穏やかだ。 「なあ、ごんべえ。僕は帰っちゃうけど、夏休みとか遊びに来るから!手紙も出すからさ、お前一人になっちゃうけどさみしがるなよ」 瞬がそう言うとごんべえはそうだねと呟いた。 「じゃあ、面白い本も一緒に送ってよ。そうしたら全然寂しくないからさ」 ごんべえが寂しそうなそぶりを見せなかったので、瞬はほっとした。 恵美子に言って本屋でごんべえのために選んだ本を買おう。そして手紙と一緒に送るんだ。 瞬は春から始まるであろう家での生活に想いをはせる。
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