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3
「瞬に、見せたいものがあって」
ごんべえが急に言い出したのでなんだろう?と指さした方を覗いた。木の大きな幹に出来た穴。そこに何かが入っている。きらきらと輝いている。
「・・・おはじき?」
「うん。宝物」
「こんなとこに入れてんの?家に置いといたらいいのに」
「ここがいいんだ。瞬との秘密ね」
「秘密!男と男の秘密だな!大人になっても秘密だ」
ゆびきりげんまんをする二人。大きな木の枝から、まだかろうじて残っていた葉っぱが優しくひらひらと落ちてきた。
それからさらに一ヶ月が経って。冬本番の寒さとなった。
風邪を引きやすい瞬はなるべく外に出ないようにしていた。せっかく家に戻れるというのに体調を崩してしまっては元も子もない。暖かくして部屋の中でおとなしく過ごす。ごんべえは相変わらず瞬の家に来ていた。
「瞬、背が伸びた?」
こたつに入ってミカンを食べている瞬に、ごんべえがそう聞いた。
「そうかなあ、前背比べした後があっちの柱にあるよ」
柱に寄っていくと鉛筆で線が書いてあり、その横にはちょうどこの家に来た頃の日付が書かれていた。試しに今の慎重と重ねてみると確かに背が伸びている。
「よく分かったなあ、ごんべえ。僕最近、ニンジンも食えるし、好き嫌いなくなったからかなあ。早く大人になれるかな」
「どうして大人になりたいの?」
「大人になって、いろんなところに行ってごんべえに教えてやるんだ」
瞬が得意そうに笑ってそう言うと、ごんべえはひどく悲しそうな顔になった。そしてそのまま黙ってしまう。それに気づいた瞬はどうしたんだろうと首をかしげる。ふとみるとごんべえの指は小さく震えていた。
「ごんべえ?」
「・・・瞬、ごめんね。瞬が大人になったら、もう俺は会えないんだ」
下を向いたまま、とても小さな声でごんべえはそう言った。瞬は驚いて、思わず何で?と大声を出した。
大人になったら会えないってどういう意味なのか。どうして会えないのか。
「大人になったら、俺は瞬に見えなくなっちゃうんだ。子供の時にだけ、見えるの」
「はあ?何言ってんだよ?なあ、ずっと見えるに決まってんじゃん。今だって見えるし。なのに大人になったら見えないなんて分からないよ」
ごんべえは立ち上がると泣きそうな顔を瞬に見せた。こんな顔を、瞬は一度も見たことがない。
「ごめんね、もう会えない」
「え?なんでなんで?大人になったらごんべえに会えないなら、僕、このまま大人になんかならないよ、ニンジンも残したままにする!」
瞬は消えてしまいそうなごんべえを逃がすまいと自分も立ち上がる。するとごんべえの方から近づいてきて、その体を抱きしめられた。
「・・・ごんべえ?」
「だめだよ、瞬。君は大人になって。あちこち、冒険して」
痛いほど抱きしめられたかと思うと、しばらくしてごんべえは体を離した。
「ありがとう、瞬。たくさん本、呼んでくれて。勉強も楽しかったよ」
「なんでそんなこというの?これからも、夏休みも遊ぶんだろ?」
だんだんと瞬は泣きそうになってきている。まるで別れる前のような言葉に、不安でしかない。もう今後一切、会えないような予感がして。
「なあ」
こらえきれなくなってきた涙が頬を伝う。その涙をごんべえが指で拭いてくれたかと思った次の瞬間、額にキスをしてきた。
瞬が驚いていると、ごんべえは笑顔を見せて次の瞬間手を振ったまま、縁側でその体がふっと消えた。
その日の夜、瞬は夕食後高熱を出して寝込んだ。ミサが慌てて氷枕を作り、熱を冷まそうと看病している。額は冷たいのに体は熱い。久しぶりの発熱に、瞬は息が上がっている。
「瞬ちゃんつらい?何か飲む?」
「・・・おばあちゃん、ごんべえが」
「ごんべえちゃん?」
ミサがコップに水を入れて差し出す。瞬は布団から半身を起き上がらせてそれを飲んだ。
「ごんべえが、いなくなっちゃった。大人になったら見えないって、へんなこと、言ってた。子供にしか見えないから僕が大人になったら会えなくなるって」
ぼおっとする頭で、ひとりごとのように呟く瞬。ミサは一瞬、驚いてそのあと今までになく優しい口調で話し出す。
「瞬ちゃん、あの子はね『座敷わらし』だよ」
「・・なに?」
「家の守り神で子供の姿をしててね。幸せを呼ぶ神様だけど、その姿は子供にしか見えなくて。大人には見えない」
「・・・でもおばあちゃん、もちくれた。見えてたじゃん」
「ばあちゃんはね、見えてなかったよ。『座敷わらし』の話を昔聞いたことがあったから、きっと瞬ちゃんには見えてるんだなと思ってな。あの子の名前、なんだった?」
「ごんべえ・・」
「分かる?あの子は名前がないの。だから『名無しの権兵衛』のごんべえって言ったんじゃないかな」
瞬はそれを聞いてはっとした。じゃあ、家もなく名前もない。もう手紙を送ることも出来なければ、これから大人になっていく自分はもうごんべえに二度と会えないのだ。
「おばあちゃん、僕大人になりたくない!ニンジンももう食べない!ごんべえに会いたい!」
とうとう瞬が大泣きをはじめてしまい、ミサはつらそうに見つめた。この田舎でようやくできた友達。それなのにもう会えないなんて。
いままでごんべえは友達になった子供と必ず別れて来たはずだ。そしてその子が大人になってこの田舎に帰ってきても、自分が見えないなんて。ごんべえは今までどんなにつらかったのだろうか。
高熱とあふれ出る涙で頭痛が止まらない。ミサの膝を借りて瞬はいつまでも泣いていた。
(大人になんか、絶対ならないから!だから、ごんべえ!)
もうその声はごんべえに届かない。
ミサの家を離れる日が来た。あの日から瞬はごんべえに会えずじまい。発熱は翌日に引いたが、あれ以来瞬はすっかりニンジンがまた食べれなくなってしまう。ニンジンをよけて食べても、ミサは何も言わなくなっていた。
「瞬ちゃん、どこ行くの?もうお母さん来る時間なのに」
「すぐ、戻るから」
玄関先でミサに止められたが、瞬は靴を履き、手に持ったものを落とさないようにと気をつけながら駆けていく。たどり着いた場所はあの大きなケヤキの前だ。
はあ、と息を落ち着かせながら木の幹をぐるっと回る。
「あった」
そこにあったのはあの日ごんべえとみた大きな穴。キラキラと光るおはじきがあるはずだ。穴は同じもののはずなのに、おはじきは入っていない。瞬はそれすらも見えなくなるのかと落胆したが、握っていた手のひらを開き、中に持っていた缶バッジをその穴に入れた。その缶バッチは少年雑誌の付録で瞬が大事にしていたものだ。ごんべえに自慢したら、たいそううらやましそうにしていた。
「ごんべえ、これお前にやるから。これも宝物にして!大切にしてね!・・・バイバイ!」
そこにごんべえがいるかわからないけれど。ケヤキを見つめたあと、瞬はもと来た道を一目散に走って行った。
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