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数年後。 「わー、だいぶこの商店街も寂れたなあ」 車の中から外の街を眺めながら、瞬は隣にいる恵美子に話しかけた。助手席の恵美子はくすっと笑う。 「もともと人が少なかったからね。それでもあんたがここにいたときは、商店街に行くっていったら大はしゃぎしてたって、おばあちゃん言ってたわよ」 そりゃあ娯楽がなかったんだもんと瞬は口をとがらせた。車を運転している瞬は大学二年生になっていた。もうすっかり持病は完治して、今は一人暮らしをしている。ミサの家から実家へ戻って何回かはこの街に来て、ミサに元気な顔を見せていたが、五年後にミサが亡くなってからはここにくることがなく、何年ぶりかの来訪となった。今日来たのはミサの家を解体するか様子を見に来たのだ。 瞬が運転する車は、海の見える丘にある家に程なくして着いた。ミサが綺麗にしていた庭は雑草が多い茂っている。主を失った家はなんてもの悲しいのだろうか。雑草だらけの庭から見える海。こんなにこの庭は狭かったかなと瞬は思いながら、後ろ髪を結わえていたゴムを外す。遠くからの風で髪がなびく。 ミサと過ごした一年間は、遠い過去になっていた。あの後、元の生活に戻り友達と遊び、学び、受験をして恋愛もした。この家で過ごした時間はあまりにも普段の生活とかけ離れていて本当にあった出来事なのだろうかと思うくらい、ぼんやりとした記憶しかなかった。 だけどここに着いた途端、懐かしさがこみ上げてきた。柱に書かれた線とその横の日付。ミサがこの家に来たときに身長を測ってくれた。その横にも線が書かれている。瞬はそのまま母屋横の納戸の扉を開けた。カビ臭い空気の奥に置かれた火鉢。 (ああ、そういえば餅を焼いて食べたっけ) 火鉢を見た途端、少し焦げ目のついた餅のイメージが脳内に浮かぶ。美味しいねと言いながら食べたのはミサと・・・ (あれ?) そうだ。そのとき、もう一人いた。ふいに瞬は思い出した。二人じゃなくて三人だったはずだ。だけどもう一人思い出せない。しわしわのミサの手と、きなこにまみれた餅は思い出せるのに。 家に戻る数週間前に高熱を出した瞬は、その当時のことが曖昧だ。もともと小さい頃の記憶は曖昧だが特にこの家でのことになると、断片的にしか思い出せない。だかここにきて思い出したのは、誰か一緒に遊んでいた子がいたと言うこと。そういえばさっきの柱の線はその子と背伸びをしながら書いた気がする。 (でも僕は学校に行かなかったから、友達なんていなかったはず) その場で考え込んでいると、奥の部屋から恵美子に呼ばれた。 「は?友達」 恵美子と片付けの作業をしながら、瞬はこの家にいたときに友達がいなかったか聞くと首を振った。 「このあたりは小さな子は瞬だけだったわよ。学校も遠いから・・・ああでもおばあちゃんがおかしなこと言ってたわね」 「どんなこと?」 「瞬が友達に本を読ませてやりたいから、家の本を送ってくれって言っているって電話があったわ。おばあちゃんがぼけてるのかしらって思ってたけど、本当にいたの?」 「・・本」 「たぶんこれかしらね、さっき奥の引き出しに入ってた。家に戻るときに忘れていったのかしら。おばあちゃんずっと、持っててくれたのね」 恵美子は立ち上がって隣の部屋から一冊の本を取り出した。ほこりを丁寧に拭いて瞬に渡す。その本は主人公が七つの海を冒険するといった内容の児童向け小説だ。その表紙を見た瞬間、瞬は思い出す。確かにいた友達を。 「かあさん、ちょっとだけ、出てきていい?」 「いいわよ。早く帰ってきなさいね」 その言葉を聞いて、瞬は恵美子から受け取った本を片手に玄関へ向かった。 (何で忘れていたんだろう) 瞬は走りながら思い出した友達、ごんべえのことを頭に浮かべた。 家に帰った後、瞬はごんべえのことなどもう忘れていたのだ。ただひとつ、瞬は未だにニンジンが食べれない。それはあのとき、大人になりたくないと強く思ったから。ニンジンを食べると大人になってしまうと幼い瞬が思い込んだせいなのだろう。 い草の香りのする和室で、妄想ごっこに付き合ってくれた。一緒にスイカを食べて種を飛ばし合った。少しはにかむように笑っていたはずのごんべえの顔が、どうしても覚え出せない。寒いねと火鉢の前で暖をとったり、一緒に本を読んだりしたのは思い出せる。そして今向かっているケヤキに、ごんべえの宝物があったことも。 「秘密!男と男の秘密だな!大人になっても秘密だ」 (そう約束をしたじゃないか。なのになんで顔を思い出せないんだ!) 丘の上のケヤキに到着して、瞬は木の幹をうろうろする。すると大きな穴が複数見つかった。ひとつひとつ探していく。ごんべえに渡した宝物。それがもし、いまもあるのならごんべえは存在していたはずだ。しかしどんなに穴を探してもあの時入れた缶バッチはなかった。ひとつひとつ、目をこらして、手を突っ込んだりしたけれど。瞬は落胆して幹に手をかざし、うなだれる。持ってきた本は瞬の手からすり抜けて地面に落ちてしまった。 (どうしてごんべえのことを忘れていたんだろう) 高熱の中、ミサが教えてくれた『座敷わらし』の話。ごんべえが座敷わらしならやはりもう会えない。だってもう自分は『大人』になってしまったから。こうしてごんべえのことを思い出しただけでも奇跡なのかもしれない。 子供の時にしか出会えない、友達。大人になると忘れられてしまう存在。 「ごんべえ・・・」 瞬の瞳からつう、と涙が流れて地面に落ちた。思い出した方がよかったのか、このまま忘れていた方がよかったのか。会えないならいっそ思い出さなきゃよかった。ミサの家で見つかったこの本をもう一度ごんべえに読ませてやりたかったのに。 ふいに枝が揺れて小さな枝が落ちてきた。大きな風が巻き起こって、瞬の髪を靡かせる。急に風が吹いてきたことに瞬が驚いて、見上げると枝は揺れているのに、地面の枯れ葉は全くは揺れていない。風がどこから舞い上がって自分の髪を靡かせているのだろうか。 (なんだ、これ) 『そんなに会いたいなら、会わせてやろう』 突然、かすれた声が正面から聞こえた。誰もいないはずなのに、その声はまるでケヤキの幹の内部から発せられたように感じた。 瞬が不思議に感じながらも目線を落としたとき。 木の幹の横に、人が立っていた。年齢は自分と同じくらいだろうか。真っ白な髪の毛に、色白の肌。そして左右違う、瞳の色。あの頃のような子供の姿ではないけれど一瞬で、彼だと分かった。 「ごんべえ!」 会いたくてたまらなかった彼の名前を大きな声で呼んだ。
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