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塚山瞬(ツカヤマシュン)は小学生のころ、ぜんそくの持病が悪化し、一時期空気の良い田舎で暮らしたことがあった。祖母の家で一年間療養生活を送ったのは、小学三年生の時。瞬の両親は転校ではなく、一年間休ませて体力をつけさせようと思ったようだ。 当の本人は正直、田舎に一人でいくのは嫌だと感じていた。何も娯楽がないし、友達とも離れて暮らすなんて嫌だと。毎日、心配してくれる祖母に気を遣いながら暮らすなんて、憂鬱だと子供ながらに瞬は思った。 それでも両親に逆らうことができず、結局祖母の家で暮らすことになったのは初夏の頃。家が建っていたのは海が見える丘で、瞬がいつも寝ている和室の窓からは、庭の向こうに海が見えていて、晴れた日には海面がキラキラ反射していた。それを初めて見たときに瞬は、なんて綺麗なんだろうと喜んだのだが、一週間もするともう飽きていた。 「あーあ暇だなあ」 ぽつりと出た言葉に誰も相づちをうってくれない。祖母のミサは日中、近所の水産加工の職場に行っているし、祖父は他界している。つまり日中はひとりぼっち。瞬と同年代の子供はこの地区にいないのか、子供をここに来て見ていないような気がする。 テレビを見たり、両親が送ってくれた本を読んでみたりするけれど、時間は全然進まない。実家でまだ元気だった頃は、時間が過ぎるのはあっという間だった。友達と遊びすぎて門限を破り、心配した母親に叱られてこともあったのに。 布団から出てトイレへ移動する。縁側づたいに廊下があり、その行き止まりにトイレがあった。昼間は良いけれど、夜に目が覚めてトイレに行くときは、この暗い廊下が異様に長く感じて何かが出てくるのではないかと、瞬は恐ろしく感じていた。恐ろしさのあまり、たいてい夜のトイレは我慢していた。 用を済ませて、和室に戻ると時計は十二時を過ぎ。そろそろおなかもすいてきたなと、瞬はミサが用意してくれた昼ご飯を食べに台所へ移動する。台所のテーブルにはおかずが置いてあり、瞬は炊飯器から暖かい白米をお椀につぐだけだ。竹輪とこんにゃくの煮物、焼き鮭に味噌汁。 (ああ、たまにはハンバーグ食べたいなあ) いつも茶色いおかずばかりで瞬は正直ウンザリしていた。実家にいた頃、共働きの両親はコンビニ弁当を置いていてくれた。味がしっかりしていて、美味しく感じていた。祖母の料理は美味しいけれど、少し薄味なのが難点。それでも瞬は自分のことを思ってこの献立にしてくれているのだろうなと、いつも残さないように平らげていた。 ご飯を食べてごろんと横になる。カチカチ・・・と掛け時計の針の音が聞こえる。ぼおっと天井の木目を見ていると、ふいに人の気配を感じた気がして、瞬は起き上がった。 誰かいる。誰もいないはずなのに。あたりを見回すと縁側にぽつんと立っている子を見つけ、驚きのあまり声を出しそうになった。足音などまったく聞こえなかったのに、どうやってこんなに近くまで来たのか。瞬はゾッとする。今、まだ昼だったからいいものの、これが夜だったら確実に粗相していただろう。瞬はその子の方を向き声をかけた。 「・・・ねえ何しているの?なんでそこにいるの」 うわずった声に自分でもかっこ悪いなあ、と瞬は思う。声をかけられた少年は色白の肌に、髪の色がほぼ白い。まるでミサの白髪のようだ。 「驚かせてごめんね。おばあちゃんしか、いないって思ってたから」 少し的外れな回答に瞬は警戒しながらもさらに話しかける。相手が大人ならこんなに話はしないが、目の前の子は瞬と同世代のように見えた。ここに来て初めて同年代の子を見た瞬は、少し嬉しかったのかもしれない。 「おばあちゃんは働きに行ってるよ。ねえ、何でこの時間にここにいるの?学校は行かなくていいの?」 「学校行かなくて良いんだ。君と同じように」 「どこか体悪いの?」 そう聞いたけれど、目の前の子はそれには答えずに、ニコニコ笑っている。瞬は立ち上がり、縁側へと移動してその子に近づいた。近づいて気がついたことは瞳の色が左右で異なっていることだ。右側は真っ黒で左側は薄い茶色だ。髪の色、体の色、瞳の色。どれをとっても不思議で瞬はこれが学校に行かなくても良い理由なのかなと勝手に解釈した。 「ねえねえ、名前なんて言うの?僕は瞬っていうんだ」 名前を聞くと、その子は首を少し傾けて考えるような仕草をする。やや間があってようやく答えた。 「ごんべえ、だよ」 その名前に瞬は思わず、吹き出した。 「何その名前!おじいちゃんみたい」 声を上げて笑う瞬。久しぶりに声を上げて笑った。ここにきてこんなに大笑いしたのは初めてかもしれない。そんな瞬を見て目の前の子ーーごんべえもつられて笑った。 ひとしきり二人で笑い合ったあと、暇なら一緒に遊ぼうよと誘ったのは瞬の方から。子供二人が友達になるのはあっという間で、祖母が帰ってくる夕方まで、瞬は時間を忘れて夢中で遊んだ。 その日から二人はほぼ毎日、会っていた。毎日ごんべえが縁側にやってきて手を振ってくる。瞬の体は調子が良いときは外で遊ぶこともできるのだが、たいてい室内で遊ぶことが多かった。元気になったら何がしたい、一緒に遊ぼうと二人妄想しながらお絵かきをしたり。両親が送ってきてくれた本を二人で読み合ったり。 ごんべえは学校に行っていない期間が長いのか、あまり文字が読めない。瞬がそのことに気づいて、たまに絵本を読み上げてあげたり低学年用の本を親にせがんで送ってきてもらって、それをごんべえに読ませてやった。ごんべえはどんどん本が好きになっていく。中でもお気に入りは冒険ものだ。 「いいなあ、俺もこんなに冒険してみたい。世界のあちこちを旅してみたいなあ」 ごんべえがそう呟いた。そんなの、体が元気になって大人になったら行けるよと瞬が言ったとき、ごんべえは何故が笑った。 「そうだね、きっと大人になれば行けるよね」 その笑顔がとても寂しそうで、瞬は違和感を覚えた。大人になれないと思っているのだろうか。そんなにごんべえの体は良くないのだろうか。 「ごんべえがもし、行けなくても僕が行ってきて土産と写真、たくさん持ってきてやるから!」 瞬がそう言うと、ごんべえは嬉しそうに笑った。 「うん!ありがとう。楽しみに待っているね!」 「同い年の友達?」 夕食の肉じゃがをつつきながら、ミサが不思議そうに聞き返してきた。 「うん。うちに来てくれてね、おばあちゃんが帰ってくるまで話したり遊んでるよ」 恒例の茶色いおかずも、最近は何だか美味しく感じるのは体調が良くなってきているからだろうか。瞬は上機嫌でミサにごんべえの話をする。 「この近くは瞬ちゃんと同じくらいの子は、いないけどねえ・・・」 「そう?目立つ奴だよ。髪が白くて、目玉の色が左右違うんだ」 それを聞いてミサが、ああ、と呟いた。何か心当たりがあるようだ。 「・・・そういえばあの子がいたねぇ。瞬ちゃん、その子は名前を言ってた?」 「うん、ごんべえって。おじいちゃんみたいな名前」 「・・・ごんべえ、か。あの子も一人だし、たくさん遊んでおあげ」 ミサの顔が優しく微笑む。さっきまで同学年の子はいないと言っていたのに。瞬は不思議だなあと思いながら、ニンジンをよけてジャガイモを頬張った。 「こりゃ、見てないと思って!ちゃんとニンジン食べなさい。大人になれないよ」 大人になれない、と聞いてごんべえとの約束を思い出す。 (そうだ、ごんべえのためにも、俺が元気にならなきゃ) よけたニンジンを箸で突き刺して、目をつぶって口に入れる。すると、以前あんなに美味しくないと思っていたニンジンが、口の中で甘く感じて瞬は目をパチパチさせた。 「おばあちゃん、ニンジンに何か魔法でもかけたの?すごく美味しい」 その言葉を聞いて、ミサはしわしわの顔をさらにしわだらけにして笑った。 「そりゃあ、良かった。覚えとき、それが本当のニンジンの甘さよ」 ニンジンを克服した瞬は、嬉しくて上機嫌にご飯を頬張る。それが大人になる一歩だと信じて。
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