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毎年娘の誕生日には、彼女のいきたいところをまわり、最後はここに立ち寄るのが習わしだった。―――いつも夕暮れ。
黄葉の盛りや、暖かくなってからの週末は、大いに人出がある神宮外苑のイチョウ並木も、厚手のコートが手放せない今頃では、そんな風景が幻になる。
フロントウィンドー越しの絵画館にしばし据えていた視線を引きはがすと、エンジンを切った。
開けたドアから途端に侵入してきた寒気が、そろそろ五〇に手の届きそうな躰を刺す。
だが、煙草二本ぶんだけの時間だから、と、ジャンパーが入るトランクは開かず、遊歩道への柵をまたいだ。
と、
「あの」
呼びかけの音が足をとめた。
あげた目に映ったのは、暖かそうなダッフルコートの若い女だった。―――が、「女の子」といったほうが的確か、と思ったのは、
「さっきはありがとうございました」
という、俺に向けての弾むような、少し高めの声を聞いてからだった。
「え……」
おそらく鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたであろう俺に、
「あれ」
彼女はふり返りながら指差した。
そこには俺のタクシーから二台置いて、あのフィアットが。
「入れてくれて」
戻した顔は、恐縮ではなく、喜びの色を浮かべていた。
「……あ……いえ……」
「こっちのほう、来なれないもので、車線間違えちゃって。カーナビのいう通りにいったんですけど」
「……はあ」
「カーナビも古いからかしら?」
「あ、はあ……。でも、あの……どうしてうちの車だと……」
「ここ歩いてたら、あのナンバー見つけて」
と、彼女の指は、今度は俺の車の後部を示した。
「バックミラーで見たとき、印象的だったから」
「……ああ」
思わず苦笑が洩れた。
それはまるで営業車らしからぬナンバー。もちろん偶然で割りあてられた数字ではある。が、俺にとっては皮肉な響き。
「ここ、いいところですよね。免許とったら絶対車でこようと思ってたんです」
すっかり葉の落ちたイチョウの木を見あげながらいう彼女は、魔女を思わす鷲鼻が目立ち、美形の部類とはいい難い。ただ、くったくのない笑顔と話し方は、相手にリラックスをもよおさせるのではないか。―――だが、今の俺には残念ながら……。
「でも、まだ免許とってそんなに乗ってないから、ここまで怖かった~」
続いた彼女の口調は、どこか楽しげにも聞こえる。
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