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「失礼」
煙草に火をつけた。
落ち着かせてくれ!
ニコチンに願いながら、煙を大きく吸い込んだ。
木製のベンチから伝わるはずの冷たさは、なぜか感じなかった。
「今、テニスサークルに入っていて、ここのコートでもやったことあるんです」
後ろをふり返りながら口を開いた彼女は、吸い殻入れを真ん中にし、大人ひとりぶんほどの間隔をもって座っている。
車道に向かって設置されたベンチの後方、植え込みの奥にあるテニスコートからは、歓声や打球音が断続的に聞こえていた。
「テニスは高校から硬式やってたんですけど、大学は部に入るのやめようって考えてたんです。だって、せっかく高校よりも自由の利く生活になったんだから、もっといろいろなことやる時間持ちたいし」
それからも彼女は、変わらずのほがらかな口調で語った。―――現在通っている大学や、アルバイト先の書店でのこと。さらには、恋人はおらず、当分つくるつもりもないということ。などなど。
そして、煙草を口に持っていく動きが思わずとまったのは―――、
「昔、誕生日には必ず、父と車でここへきていたんです」
の言葉を聞いたときだった。
「将来絵描きさんになりたい、なんていったのがきっかけだったんだと思います。たぶん、幼稚園かなにかで絵を褒められたからじゃないかしら。そしたら毎年、絵画館へ連れてきてくれて」
だが、そのころの自分には難しかった。そう頬を緩めた彼女は、微風に乱された前髪を直しながら、
「でもそのあと、この並木道散策したり、落葉集めたり、かけっこしたりするのが楽しくて―――」
添えた。
指は静かに灰を叩いた。
「父、作家なんです。売れてはいませんけど」
横顔がいった。
「今、離れたところに暮しているんです。
当時、どうしてそうなったか母に訊いたんですけど、ただ、別れたからっていわれただけで詳しくは教えてもらえませんでした。小学三年生にはまだ理解できないって思われたんでしょうね」
でも中学にもなると、薄々実情がわかってきた。と続けた彼女の物言いに、まったく湿り気はなく―――。
そしてそれを知らせたのは、主に、一緒に住むことになった祖父母だったという。
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