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仕事と私とベンジャミン①
満員電車の中は、朝から疲れた顔をした大人たちでいっぱいだ。
こんなにも狭い中で、それぞれがどうにか自分のスペースを確保して、携帯電話でゲームをしたり、ネットニュースを見たり、細長く畳んだ新聞を読んだりしている。
私は立っている人の頭と頭の隙間から、窓の外を覗いた。
青空に白い入道雲がふわふわと浮かんでいる。
高いところを走っているはずなのに、地上を歩いているときより、空は遠く感じる。
早く満員電車から抜け出したい。
けど、会社に行きたいわけではない。
できれば、今すぐ家に帰って寝たい。
だらだらしたい。
そんなことを考えているうちに会社の最寄駅につき、私は人の動きの波に押されながら電車を降りて会社へと向かった。
「おはようございます」
フロアに入り、誰というわけでなく近くに座っている人へと挨拶する。
何人かがその声に気づいて、
「おはよう〜」
と無機質な声で返す。
隣の席の課長は、私が出社したことに気づかず、パソコンを眉をひそめて見つめながら、キーボードをカタカタと叩いている。
私は、パソコンのスイッチを押した。
パソコンは起動しようと、砂時計のマークがグルグルしたり、画面を切り替えたりと一生懸命動いている。
それを見るたびに、
「電化製品は、立ち上がる時が一番電力を使う」
とテレビで聞いたことを思い出す。
そして、「人間と同じだな」と毎回思う。
パソコンが立ち上がり、メールボックスを開くと、既に30件ものメールが来ている。
昨日は23時過ぎまで仕事をしていたのに、9時にメールを見たら30件とはみんな一体いつ体を休めているんだろう……と恐ろしくなった。
私はマウスをカチっとクリックしてメールを開く。
【件名:Re 要望一覧について】
要望一覧にNo.30〜36を追加させて頂きました。
納期までに対応可能かご検討の程よろしくお願い致します。
ゴトーグループホールディングス
財務部 加藤
【件名:Re Re 仕様確認について】
要件提示一覧のNo.13、14の仕様が曖昧なので詳細がわかる資料をお送りください。
システム開発部
菊田
【件名:Re Re Re 工程スケジュールについて】
来週、先方に納期するスケジュールになっていましたが、先方の社長から可能であれば今週中に欲しいと連絡がありました。
今週中に完成頂くことは可能でしょうか?
営業部
柏木
「はあ・・・」
思わずため息が出た。
私が勤めている会社は、いわゆるシステム開発会社だ。
私の仕事は、営業担当と一緒に顧客からシステムの開発・改修要望をヒアリングし、それを社内のエンジニアに提示してプロジェクト全体のスケジュールを管理していく。
顧客も社内も言いたい放題要望をぶつけてくるので、スケジュールを立てても、当初のスケジュール通りに進んだことは一度もない。
余裕を持ってスケジュールを組めればそれが一番いいのだが、報酬によってはエンジニアの人数も作業日数も余裕を持ってはることは出来ないのだ。
システム開発の担当者に連絡をとると、
「今でも手一杯なのにこんなに要望追加されたら来週中まででも完成しないだろ!
今週中までなんて到底無理。
追加要望もマストなものだけに絞るよう伝えてくれ!」
営業担当者からは、
「ほんとごめん!無理だってわかってるんだけど、どうにか、ね!
こっちもできることはやるし!
もうちょっと頑張ってみて!」
と言われ、まさに営業とエンジニアの板挟みだ。
「とりあえず、このあと先方に連絡とって・・・」
と考えていると、
「あ、柚木」
課長から声をかけられ、目線をそちらに向けた。
「上杉が今日付で退社することになったから、上杉がやってた分、引き継ぎお願いな」
「え......?」
課長は表情を変えずにそれだけ言って、再びキーボードをカタカタと叩き始めた。
「えっと、上杉さんって結構重い先を4、5社担当してましたよね?
私も今、かなり重い案件をタイトスケジュールで動かしてますし、全て引き継ぐのは難しいと思うのですが。
それに引き継ぐって言ったって、上杉さんって今日は出社されるんですか?」
「忙しいのはみんな一緒だし、誰かがやんなきゃいけないだろ?
ほら、柚木は8年目だし、もう中堅なんだから、いい経験だと思ってさ。
俺は、柚木なら出来る、そう思ってるわけよ。
引き継ぎなんて電話でもなんでできるだろ」
と、さも当たり前のように言った。
私は嫌いだ。
「いい経験、良いチャレンジ」
という一見それっぽく聞こえる仕事の押し付け。
「お前なら出来る」
という、謎の過信。
「その根拠はどこにあるんでしょうか?あなたがやってみたらどうですか?」
と笑顔で返したくなるが、私は全ての感情を無理やり押さえ込み、
「わかりました」
と小さな声で言った。
これ以上反論しても、この課長の意見は変わらない。
時間の無駄だ。
私は目の前のタスクをこなすため、顧客へと電話を掛けた。
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