3 新年最初の感謝

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3 新年最初の感謝

「なんかただっぴろい場所に出ましたよ」桃香はヘッドランプであたりをぐるりと照らした。「ここが山頂?」  俺は無言で前方にそびえる巨大な山塊を指した。 「黒くシルエットになってる壁みたいなのがあるけど、まさかあれが山頂だなんて言わないよね」 「そのまさかだ」  年も押し詰まった大晦日の午前3時半すぎ、俺と後輩の小西桃香で初日の出を堪能すべく、滋賀県最高峰の伊吹山(1,377メートル)に登っているのである。  仕事納めの日、肩の凝りをほぐしながら帰ろうとしているところを呼び止められ、だしぬけにこう宣言されたのだ。「あたし初日の出見たいです」 「あ、そう。太平洋側の海にでも陣取るんだな」 「どっかの山から見たいの。真琴さん登山趣味なんでしょ、連れてってください」  これくらいの若い娘はおそらくみんなそうなのだろうが、その後のことは全部俺に丸投げされた。大学のころにハイキングサークルにいたので登山の経験はある、装備もたぶん残っている、名古屋から2時間圏内でいけるところがいい。彼女はそう言い残し、あとはこっちの宿題と相成った。  憎からず想っている異性から声をかけられたとあって、チャンスとばかりにしゃかりきになって取り組み、12月31日の朝には完璧な初日の出鑑賞計画を桃香へ送信することができた。  使い古された言葉で恐縮だけれども、惚れたほうが負けなのである。 「ここまで真っ暗な山のなか2時間も歩いてるんですよ。こんなの正気の沙汰じゃない」 「山から初日の出を見たいといったのはお前さんだぞ」 「こんな本格的な山じゃなくてよかったんだけど」桃香は吹き荒ぶ寒風に身を震わせた。「それに雪積もってるじゃないですか」 「今年は少ないほうなんだから、ありがたく思うんだな」  愚痴をまき散らす彼女を先頭に、愚直に先行者――信じられないことに、こたつにくるまって暖を取っているべき大晦日に身を切る山岳地帯にいるのは俺たちだけじゃない――のつけてくれたトレースを辿っていく。雪はせいぜい足首程度の深さなので、アイゼンもスノーシューも出番はなさそうだ。 「ちょっと思ったんですけど、あっちが東でしょ、だったらこのへんからでも太陽拝めるんじゃないかな」  伊吹山は地質の関係で、樹木がまったく生育していない。九十九折の登山道が刻まれた南面はさえぎるもののない開放的な眺望を常に得られる。彼女の言い分は正しい。 「じゃあここで終わりにするかい。ツェルトも持ってるから、日の出までそいつにくるまってればいい」 「なんか棘のある言いかたですね。わかりましたよ、登ればいいんでしょ登れば」  7合めをすぎたあたりで、露骨にペースが遅くなってきた。「いまどのあたりですか」 「標高1,000メートル前後かな」 「絶対下界より空気薄いですよね。もう苦しくて苦しくて」 「これくらいの高さじゃ酸素濃度はほとんど変わらんよ。日頃の運動不足が祟ったな」  8合めのベンチにたどり着いた瞬間、桃香は崩れ落ちるように腰かけた。「もうだめ、寒いし暗いし、過酷すぎません? なにが楽しくてこんなことやってるの真琴さんは」 「俺もわからん。でも伊吹山の山頂は一見の価値ありだぞ」後輩のザックを掴み、自分のそれとロープで連結する。「持ってやるからもう少しがんばってみろ」  9合めの道標を横目に見ながら通過。いまや亀のような歩みであったが、彼女はもう弱音は吐かなかった。ストックを頼りに一歩ずつ着実に登っていく。俺は要所で最適な道を指示してやりながら、腕時計で時間を確認する。午前6時40分。滋賀県の日の出は7:04である。間に合うだろうか。 「小西、日の出まであと20分だ。山頂にこだわるこたないから、しんどいならそう言えよ」  その瞬間、桃香に搭載されたロケットブースターが点火した。見ちがえるような速歩に切り替わり、追うのが精いっぱいだ。そのままペースを崩すことなく6時52分、ヤマトタケル像の鎮座する高原然とした伊吹山山頂へ着いてしまった。  大の字になってダウンしている後輩にツェルトをかぶせてやり、ほかの登山者たちでにぎわう東側の好適地に陣取る。風は強いけれども雲もなく、空は澄み渡っている。デジカメを取り出し、準備万端だ。  不意に肩を掴まれた。振り返るとツェルトを巻きつけた後輩が期待に顔を輝かせている。「もうすぐかな?」  あごをしゃくり、琵琶湖の湖面を見るよう促す。 「すごい、オレンジ色に染まってる」  彼女の感嘆の声が合図になったかのように、満を持して太陽が湖面からせり出してきた。俺はいままで何度も山で日の出は見てきたけれども、こればかりは飽きる気づかいはなさそうだ。ことに意中の女性がとなりで手を組んで見惚れているとなれば、感動もひとしおである。「苦労した甲斐あったろ」 「励ましてくれた真琴さんのおかげです。」 「……おう」  後輩はポケットから例の紙束を取り出した。薄暗い薄明のなかでも顔が青ざめるのがわかった。「あのう、真琴さん。すごく言いにくいんだけど、サンキュー券切らしちゃってるみたい」  1月1日をもって無効になるという仕様上、この券を同日までだぶつかせている人間は少ない。たいていは師走のあいだに散在するのが通例である。 「いいよべつに。そんな感謝されるようなことやってないしな」 「真琴さん、あたし本気ですよ」 「それなら降りてから配達ほやほやのやつを1枚くれりゃいいさ」 「だめ、いま渡したいの――そうだ!」身を乗り出してきた。「真琴さん券持ってますか」 「1、2枚くらいなら余ってたと思うけど」 「売ってください」 「だからそこまでしなくてもいいって――」 「あたし真剣なんです、お願いだから売って。2万円でどうですか」  サンキュー券の取引価格はそのまま感謝の度合いに比例すると考えてよい。俺は叫びだしたいほど嬉しかった。「わかったよ、そこまで言うなら」  取引が完了し、サイン入りのサンキュー券を受け取る。これは明らかに単なる紙切れである。されど感謝の化身でもあるのだ。  太陽はすっかり顔を出し、山頂はぬくもりあふれる陽光で満たされている。ほかの登山者たちも思い思いの場所に陣取り、日光浴に余念がない。俺たちも風をしのげる売店の陰に隠れて心地よい疲労感に包まれていた。 「ねえ真琴さん。さっきどうしてあたしがあんなに感謝の言葉にこだわったかわかる?」 「いんにゃ」  ためらいがちに身を寄せてきた。「真琴さんのこと、好きだからですよ」 「……」  俺は最後の1枚を消費した。
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