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観覧車の告白
ジオキャッシングというゲームを君は知っているだろうか。とても面白いゲームだ。上手く説明できるか分からないが、聞いて欲しい。
ジオキャッシングとは、宝探しだ。この地球上には百万程度の、キャッシュと呼ばれる箱が散らばっている。このキャッシュと呼ばれる箱を、箱の中にあるGPSの発する電波を頼りに携帯端末などから探し当てるというのが、ジオキャッシングというゲームだ。話すより実際に僕らがジオキャッシングをするところを見て欲しい。
秋のある水曜日、午前十一時に僕と友人の明は二人の家から少し離れたところにある古い神社にいた。僕はジオキャッシングをする時は必ず明を誘う。というのも明は僕と同じで学校に通うのをやめた中学生で、時間の都合がつきやすいからだった。明とは別の中学校だが、ジオキャッシングアプリのプレミアムメンバーだけが入会を許されるサロンで知り合った。近所ということもあり、僕らは意気投合し、夜遅くまで話し合ったり一緒にキャッシュを探すようになった。
その日も明は遅れてやってきた。僕は明とキャッシュを探すのが好きだったが、というのも明は必ず待ち合わせに遅れてくる女の子なので、やってくるまでに電気工作の配線図を考えることができるからだった。
僕は神社の鳥居に寄りかかり、明が自転車に乗ってこちらへやってくるのを眺めた。彼女の短めの髪が強い風に煽られて顔にかかる。明はそれを指で整えながら言った。
「待たせたね。寒かったでしょ」
「早く行こう」
明と僕はスマホを出して黄緑色のジオキャッシングのアプリを開く。僕たちがいる神社の空中写真が現れる。そこに写った神社には濃い緑のアイコンが付けられている。ここにキャッシュが隠されているという印だ。写真はある程度拡大しても、それ以上は大きくならないようになっている。神社のどこにキャッシュが隠されているのかは分からない。キャッシュは自分で探し出せ、というのがルールなのだ。
さっそく、僕と明はキャッシュを探すことにした。キャッシュは地中に埋められていたりすることはない、というのはもう一つのルールだ。だから屋外の目で見てわかるところにキャッシュは隠されている。それから、アプリにはキャッシュが隠された場所のヒントもある。今回のキャッシュのヒントは「暗いところ」だった。
「暗いところ、か。難しそうだな」
「茂みの中や木の枝に置かれていたら見つけにくいね」
そんなことを言いながら二人で軍手をはめ、近くの木や手水舎の下を探す。あった、と先に歓声を上げたのは明だった。駆けつけると、彼女は小さなブリキの缶を手にしている。
「どこにあったのさ」
「賽銭箱の裏、ガムテープで貼り付けてあった」
そう言った明の頬は緊張と興奮でやや紅潮している。
「開けてみよう」
僕はそう言った。彼女の嬉しさがこちらにも伝染していた。
明がブリキ缶の蓋を開けると、中にはGPSとミニカーが入っていた。今回のキャッシュ、つまりお宝はミニカーというわけだ。キャッシュを発見できたら、中のお宝は持ち去って良い。ただし、次にそのキャッシュを発見した人のために新しいお宝を入れておくのが礼儀だ。
僕と明はミニカーを取り出し、代わりに亡国の硬貨と七色のビー玉を入れた。
ブリキ缶を元に戻すと、僕は息をついた。明が藍色をした文字盤の腕時計を見て言う。
「今回は発見までに三十分かかってる。モノはミニカー一台。まあまあってところかな」
僕は相槌を打つ。
「前回は酷かった。犬小屋の屋根の裏に隠すなんて、反則もいいところだ。しかもセミの抜け殻がキャッシュだっただろう」
明は苦笑いしながら自転車に乗る。
「ユーザーの増加は質の低下に繋がる、ってね」
ゆっくりと自転車を漕ぐ明の後を早足でついていきながら、僕は彼女に呼びかける。
「この辺りのキャッシュは、ほぼ制覇したね」
んー、と返す彼女の横顔は秋の曇り空の下、いつもより儚げに見える。僕は以前から抱いていた心配事を彼女に話した。
「この辺りのキャッシュを全部見つけ終わったらさ、次は何をする?」
僕の言葉が彼女の耳に入ったのか入っていないのか僕には分からなかった。ただ、明は自転車を漕ぐ足を早めた。待てよ、と声をかけるまで彼女は立ち漕ぎをして、信号のあるところまで坂を下って止まった。
なんだよ急に、と息を切らしながらいう僕に背を向けたまま、彼女は呟いた。
「キャッシュが全部見つかったら、また学校に行こうかな」
「え」
そろそろ受験だし、と彼女は息を吸って言う。僕は彼女と信号を渡りながら、訳知り顔に相槌を打った。
「いつまでも遊んではいられないよな」
僕は、良い子ちゃんめ、と心の中で毒づいた。彼女とは一年半の付き合いで、お互いにジオキャッシング仲間というだけの関係だ。ただ、彼女の物腰や考え方から、お互い住む世界が違うらしいということは察していた。そして不登校から先に立ち直るのは彼女だということもなんとなく分かっていたが、それがこんな形でこんなに早く、とは思っていなかった。
僕たちは大きな街道に出たところで別れた。
「見つけたミニカー、どうする」
「キャッシュをもらうのはそっちの番だから、持っていけよ」
そっか、じゃあね、と明が別れ際にくれた一瞥が、僕には哀れみのように感じられ、その日は一日不機嫌だった。
それから一週間ばかり、明と会うことはなく、僕は得意の電気工作に没頭していた。丁度、お茶を運ぶ電気人形を作っていた。
煙を立てるハンダゴテで部品を基盤に接着しながら、頭の中ではいろいろな考えが駆け巡った。
明が安穏としたふたりの世界から抜けようとしている。僕は現実に戻る準備ができていない。もし、僕が世界に適応して生きることができていたら。明と同じ世界に住んでいたら。いつまでも現実から逃げることができるのなら。こんなにもやもやとした想いをしなくてもすんだのに。
いてもたってもいられなくなってスマホを手に取る。明がどうしているか知りたくて、ジオキャッシングの会員限定の部屋に入る。彼女がログインした形跡はない。スマホを置こうとしたが、右上の通知欄に新着のお知らせが来ていた。
何の気なしにお知らせのページを開く。そこには公式からのエッセージがあった。「近くに新しいキャッシュが追加されました」。こんな僻地に新しいキャッシュが追加されるのは珍しい。僕は新しいキャッシュの位置を確認し、さっそく明に連絡をしようとした。
それでも、前回の去り際に明の瞳が僕を見た加減や、彼女の上擦った声の調子などの全てが気分を萎ませた。
明からメッセージがあったのは、それから数日後の午後一時頃だった。彼女のメッセージはいつも短く、簡潔だ。今回も「いつものところで」とだけある。彼女も新しいキャッシュが追加されたことに気がついたに違いない。
ジオキャッシングに行く準備をしながら僕は、憂鬱な気持ちを振り払うように、ある覚悟を決めた。
今回のキャッシュが見つかったら、明にこれからも親友でいてほしいと告白する。キャッシュが見つからなければ、僕は学校に戻り、明のことは忘れる。
新しいキャッシュの場所は、町の中心から離れた、丘の上の廃遊園地だった。小さめの観覧車が街を見下ろし、ゴンドラを風に軋ませている。僕が遊園地の門前に立った時、明はすでに柵の向こう側にいた。
「君が先にいるなんて、初めてだ」
僕が皮肉っぽくいうと、明は首を傾けて答える。
「そういうこともあるよ」
僕が閉ざされた廃遊園地の柵を乗り越えるのを手伝ってから、明は先に立って歩き出した。
かつて行楽地として栄えた遊園地の中を、僕らはキャッシュを探しながら歩いた。サイトに書かれていたヒントは「高いところ」。まずはざっと目に見えるところを探索するのだ。
キャッシュらしいものを探すフリをして、僕は明の様子を伺った。彼女の様子はいつもより熱心で、数日間あっていなかったからか、どこか別人のように感じられる。ふいに沸いた緊張をごまかすために、僕はいつも以上に多く喋った。
「ここ数日作業に忙しくてさ、新しいキャッシュが来たのも気がつかなかったよ」
「作業って何?」
しまった、と僕は思った。しかし明に嘘はつきたくなかった。僕は正直に、電気工作、と打ち明けた。
「電気工作って、電気で動くものを作ってるの?」
僕は瞬きして頷く。
「いつか私にも見せてよ」
この発言に、僕は二つの理由で気を悪くした。それは、今度見せて、というのが全くの社交辞令であること。そして、僕は電気工作をしているところを人に見られることがとても嫌だからだった。
「ま、いつかね」
僕は錆びたメリーゴーラウンドの馬に乗って遠くを見るふりをして、会話を終わらせた。明も苔むした煉瓦敷きの遊歩道を進み、ジェットコースターの柱を調べ始めた。
それから数十分の間、コーヒーカップや売店の屋根の上まで探したが、キャッシュは見つからなかった。キャッシュは見つけるまで数分から数時間までと、難易度に差があることは僕らもわかっていた。それでも今回の隠し場所は難易度が高く、今までになく時間がかかった。
探し始めて一時間半かかったところで明が時計を気にするそぶりを見せた。
焦ることない、と僕は声をかけた。
「小さい遊園地だし、高いところはほとんど探したから、もう見つかる」
うん、と答えた明の視線は落ち着かなかった。出口の方を気にしている明に、僕は聞いた。
「何か用事?」
明は神妙な顔で答えた。
「もうすぐ塾の時間。今日からだけど」
一瞬、僕の胸に嫌な感情が走った。明が今日、このゲームと永遠に別れを告げる。二度と僕と会わない。そんな風に思えた。
それだけでなく、このままだとキャッシュを見つけられずに終わってしまう。今回、キャッシュが見つからなければ、僕は学校に戻り、明のことは忘れる、と覚悟したのだ。
「あと三十分だけ、探そう」
困り顔の明を後に、僕はさらに遊園地の奥に進んだ。
遊園地の最奥に立つのは、錆びついた観覧車だ。明が後から着いてくる音がする。背伸びをしたり飛び上がったりしても、観覧車のキャッシュらしいものは見当たらない。
「最初からもう一度探そう」
振り返って、観覧車の前に立つ明を急かす。しかし明は観覧車に近づき、たたずんだ。
「ここにある気がする」
僕は彼女と並んで目を凝らした。風が吹き付ける。電気が切れて、自然の風で回転するままになっていた観覧車のゴンドラが降りてくる。
「あ」
僕らは同時に声を上げた。
下に降りてきたゴンドラに手掛かりがあったからだ。ゴンドラを中心につなぐアームに、泥の足跡がはっきりと残っていた。双眼鏡で見ると、足跡は下のアームから上のアームへと続き、観覧車の最先端の支柱に続いている。さらに見ると、支柱には木箱のような物影があった。
「反則だろ、さすがに」
明も双眼鏡を見て呟く。
「取りにいくのは無理」
キャッシュを隠した誰かは、アームをよじ登り、キャッシュを支柱の先端に隠した。子供の僕らには到底無理な離れ業だ。
「帰ろう」
明が双眼鏡をしまって言った。
「キャッシュは」
「諦める」
背を向けて歩き出した彼女を僕は見送る格好になった。このまま彼女と別れるなんて絶対に嫌だ、と思った。
僕は観覧車に向き直り、考えた。その時思いついたアイデアは馬鹿みたいで危険で、そして不愉快なものだった。
「事務所だ」
僕は彼女の手を取ると、少し離れた所にある薄水色の建物に走った。明は不意に手を引かれて驚きながらも、走り、結局は僕より早く事務所についた。
雨風にさらされて錆び付いた事務所の南京錠は、数回蹴ると脆く崩れた。中に入り電気室、と書かれた部屋を開ける。カビ臭い室内では機械類が埃を被り永遠の眠りについていた。僕は明の方を振り返る。
「電気を通せば、観覧車はまた動く。キャッシュのある天辺までゴンドラに乗っていく」
「そんなことできるの?」
部屋の入り口に立ち止まった明が、僕を見ていた。僕は一瞬戸惑う。学校での記憶が蘇ったからだ。
電流の授業だった。僕の発言で教室が静まり返り、皆の目が一斉にこちらを向く。驚いた顔、薄ら笑い、囁き声が僕を取り囲む。その時を境に徐々に現れた微妙な違和感はまだはっきり覚えている。僕が会話に入った時の微妙な空気。談笑の合間に発せられる侮蔑らしい響き。「あの電気オタク」。
明が僕を見ていた。僕は唾を飲んで、言った。
「予備電源を起こすんだ。観覧車の大きさから言って、三万二千ワットもかからない。だから、分電盤で分岐用の電流制限機や配線遮断機、それから漏電遮断器を総動員して内線規定を大幅に上げれば、観覧車は動く」
明は沈黙した。僕は彼女の反応を待つ。明は肩をすくめる。
「なにそれ、すごい」
一番下まで降りてきたゴンドラに乗り込みながら、僕は言う。
「塾に間に合わない」
「仕方ないよ」
明は言うが、その顔は楽しんでいる。ゴンドラはゆっくりと地上を離れた。僕らは向き合って座り、ほどなくして街を見下ろす位置まできた。
観覧車の先端である支柱が近づいてくるにつれて、支柱の間に挟んである木箱も近づいてきた。明が窓を開ける。支柱を通り過ぎる数秒間を見計らって、僕は手を伸ばした。箱を支柱に括り付けてある紐を解いて木箱を腕に抱え、席に戻る。
ゴンドラが頂点でしばらく揺れたので、僕らは一瞬顔を見合わせて沈黙する。ゴンドラは再びゆっくりと動き出した。
「開けてみよう」
「うん」
白っぽく、荒い材質の木箱の金具を外す。そこにはGPSと、折りたたまれた紙切れが一枚入っているだけだった。紙切れを開く。そこにはこう書かれていた。”enjoy the scenery!”
「『景色を楽しめ』、か」
「ふざけたやつ」
僕と明は窓の外に広がる秋の空と街をしばらく眺めた。建物は小さすぎて、ここだけ現実世界から切り離されたようだ。僕は思わず息をついた。こんな場所に明と行くことをずっと望んでいたような気がする。明を見ると、彼女も遠くの空を見つめている。何を考えているのか僕は知りたかった。
「このゲームってさ」
突然、明が呟いた。
「え?」
「ジオキャッシングってね、海外の人が考えたんだって」
「そうなんだ」
「海外って、そういうのスケールが大きくて、すごいんだ。面白い会社もたくさんあって、すごく面白いことを思いつくの」
僕は頷いた。明は窓の外から僕に目を向けていたが、その目は見開かれていた。
「ジオキャッシングをして、そういう海外のやり方、なんかいいなって思った。それから、同じように面白いことをするには、いっぱい勉強しなきゃって。だから学校にもまた行こうと思ったの。受験からももう逃げないって」
明の真剣な言葉に、僕は、いいじゃん、とだけ言った。それだけだったが、これは本心だった。彼女にも伝わったらしく、明は背を椅子にもたれて微笑んだ。
僕は窓の外を見ながら言う。
「そうすると、なかなか会えなくなるね」
彼女は、うん、とだけ答える。彼女も僕には嘘をつかないのだ。
「それでも僕ら、親友だろ」
真っ直ぐに彼女を見ると、彼女も僕を見つめ返す。
「うん、そうだよ」
僕は思わず笑顔になって、よかった、と呟く。歯車みたいなものが回り始めたような気がしていた。長い間錆び付いていた歯車が、電気を流されて動き出したみたいに。
「君は、これからどうするの」
明が訊ねる。
観覧車はもうすぐ一周を終えようとしていた。僕は伸びをして、そうだね、と答えた。
「学校にでも行こうかな」
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