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「ごめん、俺、今日は自分の部屋で寝るから」
わたしの言葉については言及せず、レモネードのグラスを持った亜門さんがソファから立ち上がった。
寝室を共にしないのは、この家で暮らしてから初めてのことだ。
驚いたわたしが声を出さずに目線だけ投げると、彼は静かに言葉を加えた。
「オマエに、酷いことしたくない」
黒い瞳に、ちらりと狂気が灯る。それに気づかないふりをして、わたしは黙って頷いた。
──────それが、1週間前のこと。
亜門さんは、あれから一度もベッドで眠っていない。
たしかに、距離を保ちたいって言ったのはわたしだけど、べつにそういうつもりではなくて。
思えば、ここで暮らし始めた頃に戻りたくなってしまったわたしの我儘だった。
お互いにちょっと遠慮した距離があって、少しずつ歩み寄っていく最中で、わたしが亜門さんで激しく一喜一憂することもなかった頃。
恋なんて、知らないほうが良かった。
お見合いからの同棲にとって、すごく邪魔だ。
不必要に触れることのない距離を保ちたい、という意味で告げた言葉だ。だって、わたしじゃない誰かに触れた指先なんて、そんなの、知りたくないから。
だから、毎晩おなじベッド、背中合わせで眠りたかった。夕食の話とか、したかった。
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