【止まない雨はないらしい】

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「降ってきたな。こりゃ、なかなか止まなそうだ」  仮設置したプレハブの窓から荒れ狂う外を見上げ、俺は不機嫌そうに座っている元恋人へと話を振る。  いたくご機嫌斜めのようで、少し長い髪を無造作に片手でかきあげ、手元の資料を鞄に詰め込んだ。 「ついてない」 「まぁ、そうだな」  バシバシと雨粒が窓を打ち付け、プレハブを風が揺する。まだ電気も通す前のプレハブには照明もなければ暖房もない。まぁ、少し温かい季節で、時間的にも夕刻だから平気と言えば平気だが。 「…………もつのかな」 「は? 何が?」 「このプレハブ」 「怖い事言うなよ!」  今日の会議用に広げた長机に肘をついた元恋人・雨宮は深く深く溜息をついた。 ◆◇◆  俺と雨宮は同じ大学で、同じ建築学科で、同じサークルだった。自然と話をするようになって、案外同じ趣味があって、距離も縮まった。そうして一年くらいで友人から恋人に変わっていった。  俺は最初から雨宮の事が気に入っていた。趣味が合うのもそうだが、顔も好きだ。少し鋭い目元や、難しく結ばれる口元。モデルとまではいかないけれど、そこそこ格好いい奴だと思う。そういう奴が俺に見せる屈託のない笑みというギャップがまた、俺の心を擽った。  最初こそ上手くいった。楽しかったし、体の相性も良かった。どんどん好きになっていったけれど、互いを知るようになると許せない所や、ズレも出てきた。  とても小さな事だ。買い置きのビールを飲んだ飲まない、見たい映画の違い。何気ない癖や、言い回しが気になったり。  そして俺たちはどちらも意地を張って、謝るということをしなかった。  今にして思えば本当につまらないことだった。謝ってしまえばそれですんだことだ。  でも、結局別れた。  俺は一緒に暮らしていくことで雨宮の事を知ろうと思った。ズレも修正していけると思った。  けれど雨宮は違った。ズレや価値観の違いに疲れていたのか、頑なに一緒に暮らすことに反対した。  そうしてぶつかって、話し合いの度に喧嘩になって、卒業後しばらくで別れた。就職先も違ったから、それからは連絡を取っていない。  これも、意地だったんだろう。別に連絡先を消したわけじゃなかった。冷静になって、謝って、また話し合えばよかったんだ。でも、それをしなかった。  忙しかった。疲れていた。仕事が充実した。一人でも平気だ。そう言い続けて、いつしか本当に平気なフリが上手くなっていった。  それでも31にもなって独身なのは、どこかに雨宮を見ていたからだと思う。出会いもあったけれどいつも、雨宮と比較していた気がする。  そんな奴と思わぬ再会をしたのは、つい数日前の事。今回手がける少し大きな現場の現場監督を任される事になって、俺は設計士と顔合わせをする事になった。  今回は現場と設計が別会社ということで、俺は緊張していた。それがいざ顔合わせに行ったら、このざまだ。  互いに一瞬訳がわからなかったんだと思う。雨宮も驚いた顔で固まっていた。多少、年齢は感じた。でもやっぱり、雨宮は雨宮だった。  分かってしまった。俺は結局こいつがまだ好きで、気持ち的には全然別れられてなかったことを。 ◆◇◆  窓際を離れて、俺は雨宮の対面に座る。自然と視線が合って、次には互いに意識して逸らしたのが分かった。思い切り気まずい。 「あの、さ……和成」 「馴れ馴れしいですよ、矢野さん」 「お前な!」  少しは歩み寄りをと思ったし、よければこの後飯にとか思っているこっちの気持ちを察しろよ! お前は昔からそういうところあったよな。ホンと、分かっててやってるのバレバレだぞ。 「……今更、名前で呼ぶなよ」 「嫌なのかよ」 「……もう、俺たち別れただろ」 「……」  明確な別れの言葉は、なかったと思う。喧嘩して、雨宮が出て行って、連絡を一度して無視されて、そのままだ。 「後悔、してる」 「……うん」 「もっと冷静になって、話をしたりしておけばよかったよな」 「今更だろ。俺もお前も、自分の間違いを認めないタイプだっただろ」 「だな」  今にして思えば若かった。社会に出たらそんな事言っていられないし、自分の未熟は嫌って程分かる。でも学生時代は違ったんだ。 「……どう、してた?」 「どうって?」 「恋人とか、いるのか?」  遠慮がちに問われて、俺は首を横に振る。それを、雨宮は信じられないものを見るような目で見てきた。 「なんだよその目!」 「いや、だって幸太郎なら直ぐに次の相手見つかるって思って」 「俺はそんなにモテないよ。お前こそどうなんだ」 「俺、は…………いない」  少し顔を赤くした雨宮は俯いてしまう。その肩が僅かに震えている気がして、俺は思わず立ち上がって側へと向かうが、雨宮の方がそれを嫌ってパッと立ち上がり距離を取ってしまった。 「見るなよ!」 「いや、だって」  泣いてるんじゃないかって思ったんだ。  実際、雨宮は睨み付けているけれど目は少し潤んでいて、口元は少し下がったまま結ばれていた。 「仕方ないだろ、お前ほどいい奴……居なかったんだから」 「え……」 「……最悪だ、ほんと。だからお前に会いたくなかったんだ」  悔しそうに吐き捨てる、その言葉が全て俺には告白に聞こえる。まだ、好きだって言われている気がする。  ドキドキした。嬉しくて震えそうだった。  意地っ張りな元恋人は耳まで赤くして睨み付けてくる。それ、俺は凄く可愛いって思っていたんだ。 「俺さ、和成の事好きだよ」 「はぁ?」 「意地張って連絡しなかったけれど、再会してさ。そしたらやっぱ、お前の事が好きなんだって思えた」  スルスルと出てくる言葉に嘘なんてない。俺は素直に笑う事ができた。 「俺たちさ、もう一度やり直さないか?」 「嫌だ!」 「和成……」 「また……喧嘩ばっかりするのは嫌だ。お前と喧嘩すると辛い。俺が意地っ張りで、謝るのが苦手なのが悪いって分かってる。でも! これ以上お前に怒られるのは俺、嫌なんだよ」  とうとう悔しそうに顔を歪めて涙を零した雨宮に、俺はゆっくりと近づいた。今度は逃げずに、そのまま俺の腕の中に収まってくれた。 「でも俺、お前以上に好きになれる相手が見つかんなくてさ」 「俺、だって……」 「……前は、ごめん。俺も少し自分の意見を押しつけすぎた。お前の気持ちとか、希望とか、ちゃんと聞かなかったよな。辛い思いさせて、ごめん」  やっと、謝れた気がする。そうしたら、胸の中の重いものが溶けていった気がした。 「俺、も」 「ん?」 「俺も、ごめん。お前から逃げた。一生懸命してくれるお前から逃げて、すれ違っていくのが怖くて逃げて……連絡も無視した」 「あぁ……」  あれは何気に傷ついた。  腕の中に大人しく収まっている雨宮を見て、俺は笑った。そして、今度はきっと大丈夫だと思えた。 「とりあえずさ、今日どこか飯行かないか?」 「え?」 「そんで、また色んな話をしよう」  いつの間にか窓を打ち付ける雨の音は小さく気にならなくなって、厚い雲が切れてそこから赤い色を覗かせている。 「雨、止んだな」 「みたいだな」  同じく空を見上げる彼の横顔は、どこかすっきりと笑っているようにも見える。そして俺も同じように笑っている。 「さて、飯何にする?」 「魚。お前は肉だろ?」 「うっ。でも……」 「間とってさ、居酒屋行こうか。両方あるよ」 「あぁ、いいな」  互いに荷物を持ってプレハブを出る。雨上がりのしっとりと濡れた空気を吸い込んで、俺は清々しい気分で空を見上げた。 END
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