⚠【コブシの花が咲く】⚠

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◆◇◆  騎士団の定年まで半年、随分年を取ったが息災だった。そして定年後の事も考えていた。生まれた森で穏やかに暮らそう。騎士なんて仕事をして何十年も過ぎたから、余生は争いなどと無縁の生活をと思っていた。  ラウルもそれに賛成してくれた。「素敵ですね」と言ってくれた。そして私の定年と同時に早期退団し、一緒にいてくれると言った。  私の最愛。私の妻。私の癒やし。私の魂。  周りを見れば当時の仲間は随分少なくなった。死んだ者もある。早期退団して、身寄りのない子を引き取って親代わりに育てている者もいる。残っているのは私と、クラウルだけだ。  そんな時、執務室へと転がるように入ってきた隊員が叫んだ。ラウルがが、追っていた犯人によって重傷を負ったと。  信じられなかった。あの子は長年危険な任務をこなしてきた。なのに、どうして!  取るものも取りあえず駆け出して、息が上がっても走る事を止められなかった。そうして到着した現場で、私は息が吸えなかった。  ラウルは床に仰向けに倒れ、その胸は真っ赤に染まっていた。白い肌を滑る血はおおよそ助かるものではなかった。 「あ……」  声が出ない。何も考えられない。現実だと受け止めたくない。これは何かの悪夢で、目が覚めれば全てが嘘で隣であの子が目を覚まし、笑いかけてくれる。そんな事を思ってしまった。  それでも何も変わらない。だが、僅かに指先が動いた。声はなくとも、呼んでいるのが分かった。 「ラウル!」  転げるように側に行って、頭を抱いた。あの子の瞳にもう、命の光りは薄れている。でも、手は僅かに持ち上がり、求めるようだった。握って、温かさを分けた。だが、もうこの目に私は映っていないようだった。 「シ……っ」 「しっかりせよ!」  声をかけたら、安心したのかほんの少し笑ってくれた。  小さく口が開く、けれど僅かな息の音の後は咳き込み、こぽりと命が零れる。もう、生きられない。傷は心臓の上だった。  ここに、エリオットがいれくれたなら縋った。名医と呼ばれた彼ならばと願った。ファウストの事を思った。あいつなら、こんな事件すぐさま解決した。  だがもうないのだ。もう……。 「……っ、……ぅ」  微かな声が名を呼ぶ。泣きながら、不安そうに。  よかった、見えていない。止められない涙を見られる事はない。  泣かないでおくれ、愛しい子。花のように笑う其方の顔が好きなのだ。不安ではなく、穏やかにいておくれ。 「大丈夫、何も心配はない。其方は安心してよいのだよ」  必死に声を絞った。その声は震えていた。それでも言わなければと思ったのだ。心配させてはいけない。頑張ってきたんだ、最後まで苦しそうにさせてはいけない。  柔らかな茶の髪を撫で、笑みを浮かべて。手に力が僅かに籠もった。いつ途切れるともわからない息が少しでも長く続くようにと願って手を握った。 「頑張ったの……もう、よいのだよ。帰ろう、森へ。ちゃんと連れてゆくから」  それでもあの子は哀しく泣く。お願い、最後までそんな風に泣かないで。其方の笑顔が見たいのだ。 「私もちゃんと生きてゆくよ。其方は何も案ずることはない。あの森で、終の家で過ごしてゆく。あそこには友もおる、寂しくはないよ。春にはコブシの花が咲く。また共に見よう」  ほんの少し、表情が緩まった気がした。それだけが救いのようで、私は必死に言葉を絞った。 「覚えておるかえ? 婚礼の儀を行ったあの場所を。私は今も思い出して、幸せな気分になる。其方と夫婦として改めて誓い合った事を嬉しく思う。其方もそうであろう?」  とても小さく、手の中の指が動いた。それが答えだと思った。 「土地を離れても、あの森が我等の故郷じゃ。あそこに帰ろう? また、コブシの花を見に行くのだよ。私の好きな花を、其方も好きだと言ってくれただろ? 料理は其方が教えてくれると約束したのを、覚えておるかえ? ちゃんと側におるから、だから!」  ふっと、瞼が落ちる。力が抜けた体がずっしりと腕に重い。手が、かくんと落ちた。 「ラウ、ル?」  手をすり抜けた大切な命が、零れていく。涙が止まらなかった。止めようとも思わなかった。  名を、呼んで欲しい。愛らしい声を聞きたい。あそこに帰ろうと約束したではないか。もう住む場所も決めていたではないか。どうして、私よりも若いこの子が先に取られて、私は生きねばならないのか。 「あ…………ぅ…………」  大きな塊が喉にひっかかって声が出ない。痛くて、苦しくて、止まればいいと願った。それでもこの心臓は動いている。生きている者の勤めをまっとうせよと言わんばかりに。 「――――――っっっ!」  それは魂から発せられる悲鳴であり、慟哭であり、叫びだった。喉が裂けるほどに声を上げた。人目など気にしている余裕などない。何度も何度も声を上げて名を呼んだが、この目が開くことはない。濡れた胸に顔を埋めたが、そこに生きる音は聞こえない。僅かな熱さえも消え失せようとしている。  残酷だ、なぜ共に終われぬ。なぜ私は生きている。こんな老いぼれを生かし、まだ若いこの子を奪う理由はなんだ。  長かった。恋人としても、夫婦となってからも。ずっと側にいた。ずっと、苦しみも悲しみも、喜びも幸せも一緒にしてきたというのに。何故!  この問いに答えなど出ない。分かっている。それでも、約束したのだ。あの子の最後に私はちゃんと生きると約束した。それを違えればきっと、あの子は悲しむだろう。  数日後、あの子はとても小さくなってしまった。手の中に収まる壺に全てが収まってしまった。本当は土葬が良いのだが、私も直ぐにこの場所を離れる事はできなかった。急いで引き継ぎをしても一ヶ月はかかってしまう。その間にあの子が哀しい姿を晒す事になれば辛い。  何より棺一つを抱えて故郷の森まではとても行けそうになかった。  シウス・イーヴィルズアイは事件後一ヶ月で、騎士団を去る事となった。
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