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◆◇◆
結局バイトの面接は間に合わなかった。
男の人、翔真さんはそれに責任を感じたみたいで謝ってくれたけれど僕は何もきにしなかったし、むしろ沢山お礼を言った。だって、違う部分がいっぱいになったから。
「本当にごめんね」
「あの、大丈夫です。多分、採用されないし」
「どうして?」
「僕、ドジで鈍くさくて。何やらせても人の半分って、昔から。バイトも失敗してよくクビになるし、やる気だけじゃ務まらないし」
言っていて情けない。でも事実だから受け止めてもいる。
翔真さんは気の毒そうにした後でポケットから名刺を一枚出して、そこに更に連絡先を書き込んで渡してくれた。
「困ったらここにかけておいで」
「そんな! これ以上ご迷惑は」
「なんだか放っておけなくてね。お節介だとも思うんだけど」
そう言われたら受け取らないのも悪い気がする。それにこれを見たらきっと思い出すだろう。今日の、とても美味しいパンの味を。
「送って行こうか?」という翔真さんの申し出を断って、僕は今唯一のバイト先であるスーパーへと向かった。本当は出勤日ではないけれど、パートさんが急遽これなくなったから出られないかと朝連絡があった。これで連勤10日目だ。
入ってまずバックヤードの整理をして、終わったら品だし。この時間はパートのおばちゃんが多いから力仕事をよく頼まれる。
「稔くん、またいいように使われてるの?」
「あ……」
声をかけてくれたのは教育係もしてくれた先輩だった。少し見た目は派手だけれど、姉御肌で元気で明るい人だ。
「ってか、今日シフトないでしょ」
「急遽」
「また? どうせ腰が痛いのなんだのって休んだんでしょ。宮部のクソババァでしょ?」
「多分……」
「ここに来る途中、おばさん連中と仲よさそうに歩いてたわよ」
言われて、また気持ちに冷たい何かが戻ってくる。それでも僕は笑うしかない。
「いいんです。僕、他にやる事もないので」
「……食べてる?」
「はい。今日は凄く、お腹いっぱいです」
優しい人が親切にしてくれたから。
その日は夕方からレジに入っていた。忙しくて、気づいたら閉店間際になっていた。
「だから! もう閉店近いんだからこれ、半額のシール貼ってって言ってんだよ!」
「あの、それは僕の一存では……」
酒臭い男の人に現在絡まれている僕を、他の人は見て見ぬフリをする。この人はけっこう常習犯で、何度か厳重注意を受けている。いつもは店長が対応してくれるんだけれど、今日は何故か来てくれなかった。
「いいだろ? こっっなに毎日買い物してんだからさぁ」
「あの、本当に僕バイトで、何の権限も」
「バレないだろうがよ!」
「あの、本当にすみません!」
酒臭い息がかかる。いつ殴られるのかってビクビクする。謝り倒す僕に苛立った男が片腕を上げた。その時誰かが男の腕を掴んでいた。
「殴ったら警察だけれど、構わないのかな?」
その声に聞き覚えがあって、僕は顔を上げた。男の腕を掴んでいたのは翔真さんで、優しい目元が厳しくなっている。
自分よりも頭一つは上の翔真さんに掴まれて男は動けないまま喚いていたけれど、警察という言葉に小さくなった。
「お客様!」
ようやく店長が駆け込んできて、男は逃げるように品物を置いて出ていった。そして僕は店長に無理矢理頭を下げさせられて、翔真さんに謝っている。
「すみません、ご迷惑おかけして。ちゃんと指導いたしますので」
ヘコヘコする店長の愛想笑いを、翔真さんは厳しい目で見ている。そして頭を押さえる手をどけさせた。
「どちらかと言えば、貴方の管理不足では?」
「は?」
「他の客もいる中でこれほど声が響いているのに、責任者である貴方はなぜ出てこなかったのか」
「それは……」
「あのまま放っておいたらこの子は殴られていたかもしれない。そうなった時、貴方はどうするおつもりで?」
「いや……」
「この子に口止めして、あの客を宥めておしまい。なんて事はありませんよね?」
「……」
店長はもう何も言えなくなった。僕は知っている、この時間は好きな番組が入っている。この人はそれを見終わるまで降りてくる事はないのだ。
翔真さんの気遣わしい目が僕を見て、ふわりと頭を撫でてくれる。
「大丈夫?」
今日二度目の言葉に色んな事が溢れそうで、僕はギュッと口を引き結んで頭を下げた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
そんな僕を見て、翔真さんはなんだか悲しげな顔をした。
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