46人が本棚に入れています
本棚に追加
元旦の夜、まだ暗い中を俺と西野は二人で神社へと向かっていた。
「さむ。おい、明るくなってからでも良かったんじゃないのか?」
文句を言う俺に、西野は柔和な笑みで「たまにはいいじゃないか」と言う。こいつのこういう顔を見ると俺もあまり強くは言えないのだ。
俺と西野はもう20年近い仲だ。とはいえ、恋人みたいな関係になったのは10年前。それまでは西野は俺の絵を見に来る知人から友人になった感じだった。
美大の時代に知り合い、学祭でこいつが俺に話しかけてきたのが切っ掛けだ。好きだと言ってくれて、連絡先を交換した。
その後、自分が書いている小説を自費出版するからその表紙をお願いできないかと言われ、俺もそういうのに興味があったから引き受けた。
そのうち西野が作家デビューしても、あいつは頑なに表紙は俺にと言ってきた。そして俺も少し遅れて画壇デビューできて、今では画集や個展を開けるようになった。
本の表紙依頼はたまにもらうが、俺は西野の作品だけと決めてきた。それは今でも同じだ。
そんな相手と恋人になって10年近い。が、俺とこいつはそこからは進んでいない。やる事やってるし、互いに休みが合えば泊まったりもする。旅行だって年2回くらいは行くんだが。
「一緒に住まないか?」と、最近西野は俺に言う。お互い40歳だ、いい加減老後も見えてくる。
西野は俺を生涯愛すると決めたらしい。事実婚を望んでる。俺だって西野を最後にとは思ってる。でも、そこには踏み込めない。この年だ、面倒を掛ける事が多いだろう。そうなったとき、西野を逃がしてやれないとダメだ。
「ついた」
手を繋いでいた、その手が一瞬離れた。途端冷たくて、なんだか無性に寂しくなった。
近所の神社はそれなりに人がいる。行き交う人を見ながら、俺は少し羨ましいのかもしれない。仲の良さそうな恋人や夫婦が寄り添っている。それを見ると、少し妬けるのだ。
西野に手を引かれて境内に。屋台も少し出ていて、子供はそっちに夢中だ。
参拝の列をお互い無言のまま待っている。それでも空気は穏やかそのものだ。
「早く帰りたい」
「理桜、もう少しだろ?」
「寒いだろ」
「帰りにお汁粉買って帰ろうか」
「お前もあれ、好きだよな」
自販機のお汁粉が好きな西野は、それだけで少しほっこりしている。そういうのが、少し可愛いと思えるのだ。
「んじゃ、俺はコーンスープで」
「理桜も好きだね」
「いいだろ」
なんか、ほっこりするんだよ。
かくして順番が回ってきて、俺達は並んで賽銭箱に小銭を投げ入れる。そして礼に倣って参拝して、脇に避けた。
「随分熱心にお祈りしてたけど、何願ったんだ?」
連れだって歩く中、二人でおみくじへ向かうその道中、俺は聞いてみた。西野は随分と熱心にお祈りしていたのだ。
「今年こそ、叶えたい夢があるんだ」
「ほぉ?」
「君と一緒に住みたい」
「!」
真剣な眼差しで言われ、俺はドキリとする。目がマジだ、これは手強い。
「いや、だから俺、お前の家には住めないって。汚すしさ」
「俺の家は分譲だから、汚しても構わないだろ?」
「綺麗な部屋汚すと地味に凹むんだって! ボロアパートが気兼ねない」
「あそこは防犯的にも賛成しかねる。君の素敵な作品が盗まれた事もあったじゃないか」
「いや、だってさ……」
これがいつも俺の逃げの一手だ。絵を描く俺は性格的にズボラだ。だから汚す。今は賃貸のボロアパートに住んでいる。仕事場兼自室と言えば聞こえがいいが、リビングダイニングのギシギシ言う床にイーゼルと絵の具なんかをあちこちに置き、寝るのは同じ空間のソファーという生活だ。
一方西野はマンション高層階の2LDKの分譲だ。部屋も綺麗だし、仕事場も片付いている。こいつ、掃除が好きなんだそうだ。
「考え直してくれないか、理桜」
「えっと……あっ! ほら、こういうのって他人に言ったらダメなんじゃなかったか? そうだ! 今俺に言ったからこれきっと叶わない」
誤魔化した俺達はそのままの流れでおみくじを引いた。
俺は大吉だ。恋愛運は特に良く「良き相手と穏やかに過ごせる」とある。仕事運も良さそうだ。
ただ、大きな変化があると書いてあった。
俺は西野を見る。それに気づき、西野はふと穏やかに笑った。
「神様は案外、俺の味方かもしれないな」
「え?」
言われ、ズイッと出されたおみくじを見て俺は思わず「あっ」と声を上げた。
恋愛運は好調、思い通りになる。引っ越しも良い。今の判断をそのまま貫くのがいい。とある。
俺は恐る恐る見上げる。それに、西野はにっこりと笑った。
「実はこの神社の近くで、古民家が売りに出されているんだ。1階には広い土間があるし、水回りはリノベーション済み。二階建てなんだが」
「土間!」
それは魅力的だ。土間ならいくらでも汚せる。
いや、そもそも問題はそこじゃない!
「いや、でも!」
「理桜、お願いだ。俺達はもうそんなに若くない。心配なんだよ、君はよく連絡がとれなくなる。しかもこのご時世にあんな古いアパートで暮らしていたら余計にね」
「俺もいい歳のおっさんだから大丈夫だって」
「そんな事を言って、ファンのおばさんが密かに家の中にいたって話を聞いてるよ」
「ちっ、どこのどいつが」とは思うが、事実だけに黙るより他にない。
西野の手が俺の肩に触れる。そしてにっこりと笑われた。
「ここから遠くないんだ。このまま、見てみないか? 気に入れば購入する」
「今のマンションどうするよ」
「売りに出すでも、賃貸にするでもいいよ。処分はできる」
「どうしてそこまで一緒に住むの拘るんだよ」
問えば、西野は目を丸くした後でふわりと笑った。
「愛しい人と昼も夜もなく一緒にいたい。四六時中とは言わないから、毎日朝の挨拶をして、食事を共にしたい。そういうのは、嫌かな?」
問われ、俺はドキリとした。そりゃ……願望はあるよ。こいつの料理を毎日食べられる奴は幸せだなとか思ってたよ。
西野の手が握ってくる。冷たい手だった。
「理桜」
「……分かった、見るだけだからな」
言ったら、西野はとても嬉しそうに笑う。どうやら願い事を口外すると叶わないってのは嘘みたいだ。俺はきっとこいつに押し切られて、今年引っ越す事になるのだろうから。
END
最初のコメントを投稿しよう!