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「ライラ、いらっしゃい」
夢の中で少年に会うのが日課になった。
二晩目に同じ庭に行けたときは奇跡だと思った。三回目の夜はとにかく「行けますように、行けますように」と全身全霊をかけて祈って眠りに落ちた。少年は、最初の夜と同じくあの庭で待っていた。
以来、一日も欠かさずにディアドラは庭に通い詰めている。
名前を聞かれた。ライラと、偽名を告げた。
少年はレイと名乗った。
「ライラは貴族とか、そういう生まれのひとに見える。婚約者はいるの?」
ある日、藪から棒に聞かれて、ディアドラはふきだした。クランベリーパイを飲み込んだ後で良かった。
「わたくし、ここでは元気に振舞っているけれど、言ったでしょう。何かと問題ありなの。一生結婚することなんてないと思うわ。ただただお屋敷の奥で年を取って死んでいくだけの身の上よ」
言ってしまってから、違う、と思い直した。侯爵と婚約をしたのだった。だがその結婚生活が世間並のものになる予定もないのであれば、「結婚することなんてない」もあながち嘘ではないはず。
常ならば瞳に煌きを浮かべて次々と話題を変えていくレイが、このときはめずらしく表情をくもらせていた。
「僕がもしこの庭以外でライラと会うことができたなら……。ねえ、もっとあなたのことが知りたい。ここは僕とあなたの夢の世界。僕はここであなたとどれだけ話しても、どうしてもあなたのことを覚えていることができない。あなたと会ったことだけが胸に残って、恋しさだけが募って……」
二人で、この庭の秘密については随分と意見交換してきた。その結果、おそらくは夢なのだろうという結論が出ていた。そしてその夢は、いつか終わる。
レイは焦り始めている。
この庭に通い始めてから、ディアドラの容姿は変わり続けていた。出会ったときは同い年くらいの少年少女だったのに、今では現実の年齢に近づきつつある。ディアドラだけが。
鏡はないが、わかった。今日はもう、ほとんど現実の自分と変わらない姿であろうことが。
その証のように、見覚えのある若草色のドレスを着ていた。フリルレースのついた緑のボンネットまで、あの日この城に来たときと同じ。
この時間は終わりを告げる。
薔薇の描かれたティーカップを古ぼけた木のテーブルに置いて、ディアドラは最後の挨拶を口にした。
「楽しかったわ。本当に楽しかった。六歳で足を痛めて以来、この歳まで引きこもっていて、お友達もいなかったし、外を歩き回ることもなかったの。今までできなかったことが、ここで全部出来た気がする。ありがとう。この思い出だけでわたくし、この先もずっと生きていけそうよ」
「ライラ、そんなこと言わないで。僕はまたあなたに会いたい。ずっとこんな風に一緒に過ごしたい。あなたの笑顔が見たい。僕のことを忘れてもいいから、今度は僕があなたを忘れないでいられるように願って、ライラ。絶対に迎えに行くから。ライラ……」
レイの声が遠くなる。
少年の、高く澄んで涼し気な声。きっともう聞けない。
(ごめんなさいね、レイ。わたくしあなたに嘘を言ったわ。本当の名前はディアドラというの。もしあなたがわたくしのことを覚えていられたとしても、決して見つけられないわ。でもきっとその方が幸せになれる)
あなたに似合いの素敵な女性と出会って、一緒に薔薇を植えたらいかが?
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