ポン太と散歩

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「光也! 光也!」  光也の母親は、横たわる息子に向けて名前を呼んでいた。  そんな彼女に寄り添うように、光也の祖母がそっと後ろから肩を抱く。 「……もうお止し。これ以上、光也を引き止めちゃいけない」 「いやよ! 光也……光也ぁ!」  泣き叫ぶ母親が抱きしめている光也は、ただ布団の上にその身を横にし、顔には白い布を被せられている。  母親は弱々しく手にしていた札を握りしめると、反魂(はんごん)の呪を呟こうとした。  祖母はそんな光也の母親に向かって、その頬を引っ叩いた。 「馬鹿なことをするな! あんたの力は、そんなことのためにあるんじゃないよ!」 「う、うう……」 「あんたの引き止めようとする力が……光也をいつまでも、成仏できないでいさせるんだよ。あの子が大切にしていた、ポン太の愛情まで利用して……」  祖母は、娘をはたいた手のひらを握りしめ、唇を震わせ、言葉を苦しそうにもらした。  今しがた送り返した孫の最期の表情が、いつまでも頭の中にこびりついて離れなかった。 「蘇りは、生の(ことわり)に反する。絶対にしちゃ、いけないんだよ……」  そう呟く祖母の表情も、痛みをこらえていることに、母親は気づいていない。  誰だって、狂ってしまうのだろう。これから人生が開けるはずだった我が子が、突然奪われてしまったのなら。  光也の訃報を聞き、あわてて飛行機の距離である実家から飛んできて良かったと祖母は思う。娘の、力を持つものとしての過ちを、すんでのところで止めることができたのだから。  祖母は娘の手から優しく札を奪うと、ビリリと引き裂いた。  落ちた紙切れは、床上で眠っていたポン太の鼻先に落ちる。骨折した足が、包帯に巻かれていて痛々しい。致命傷とはならなかったその前足に、ポン太はあごを乗せ座りこみ、いつまでも光也の遺体から離れることはなかった。  そんなポン太を見て、祖母は目を細める。 (ポン太……あんたも、悪気はなかったんだろうけどね。……ごめんね)  三途の川を渡ってしまった光也を、現世に引き戻そうとしたポン太。でもそのことを理解した光也は、ポン太を素直に祖母へ引き渡し、礼をのべた。 ──ばあちゃん……ありがとう。  優しすぎる孫だった。  轢かれる直前、愛犬をかばったために命を落とし、そして生き返れるチャンスも、母や愛犬のことを想いみずから手放すほどに……優しい孫だったのだ。  あの時伝えられた「ありがとう」を、彼がどんな想いで言ったのか──そう考えると、祖母の目尻は滲んでしまう。  光也にとって、ポン太との最期の散歩は、穏やかなものであったろうか。  そうであってほしい。  祖母は静かに祈り、目を閉じた。
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