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「ダメだよ光也。あんたは、来ちゃいけない……」
「……ばあちゃん……?」
祖母の、いつにない険しい表情に、光也は異常なものを感じた。
そして、気づくのだ。
なぜ、祖母がここにいるのかということに。
(変だ……。だって、ばあちゃんは……)
そんな光也の耳にどこからかまた、声が届いた。
長年耳に親しんだ、温かなその声の持ち主を、光也は知っていた。
──や。
──み……や。
──光也! 光也!
(聞こえる──誰かが、俺を……呼ぶ声……)
それは、幼い頃から聞き慣れていた母の声だった。
足元ではまだ、ポン太が祖母に向かって吠えている。ウォンウォンと、訴えるかのように、切なげに。
しかし、橋を歩いて近づいた祖母が手を差し伸べると、ポン太は急に怯えたように大人しくなった。
「かわいそうだけどね、あんたはこっちだよ」
祖母がポン太の首元をなで、ゆっくりと自らの足元へと誘導する。
ポン太は小さく「クゥン」と鳴き、大人しく橋に足をのせると、祖母の足元へ寄り添った。
それを見て、光也は思い出していた。
ポン太とのいつもの散歩中に、対向車線を走っていたトラックが、いきなり光也たちに突っ込んできたことを。運転ミスか居眠り運転かはわからないが、スピードは緩まなかった。そして、光也の前にいたポン太は……──。
ああ、そうか。と、光也は理解した。
その瞬間、ぐにゃりとあたりの景色は揺らぎ、いつもの風景ではなくなった。
春風は止み、橋は簡素なものになり、川は透きとおるほどにより美しくなった。
目の前にはただ、祖母とポン太が立っている。
「ばあちゃん……」
祖母は静かに、かぶりを振る。
「すまないね。きっとポン太も、悪気はなかったんだと思う。でも、生者が橋を渡ることは、許されることではないから……」
大人しくなったポン太はどこか寂しそうに、リードを祖母に持たれたまま、光也を見つめた。黒目がちのビー玉のような瞳に、光也はこみ上げてくる感情を抑えた。
(ポン太のやつ、俺と離れたくないから、連れて行こうとしたのか……)
此岸と彼岸の架け橋。
その下には、三途の川。
無垢な動物だからこそしてしまった過ちを、光也は責めることなどできない。
「ポン太、バイバイ」
光也は視線をあげ、祖母にも伝える。
「ばあちゃん……ありがとう」
「……どうってことないさ」
祖母は目を細めてただ、静かに微笑む。
光也は橋を渡らずに、そのまま背を向けた。
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