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「なんだ、今の……」
呟きながら、鉄平は口の中に残っていたチョコを噛み砕く。
父が泣く姿なんて、鉄平は一度も見たことがない。
しかも奇妙なことに、父が座っていた岩は廃寺の境内の片隅にある不動の座にそっくりだった。眼下に広がる町並みも、あの場所から見下ろす風景によく似ていた。
あれは自分の記憶なのか?
自分は過去に、父に連れられてこの山に来たことがあるのだろうか。だとすれば本堂で龍の像を見た時に覚えた既視感も、そのせいだったのかもしれない。
覚えていないということはきっと、鉄平がまだ幼い頃のことだろう。
しかし、何をしに?
なぜ父は泣いていたのだろう。
鉄平の実家は荻窪にある。
御剣町に住む親戚はいないし、そもそも御剣山駐在所への異動が決まるまで、鉄平は御剣町という場所を認識してさえいなかった。
鉄平だけではない。異動を伝えた時には母もまた「御剣町ってどこ?」と訊いてきたほどだ。
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