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第10話 織り姫の憂鬱
「あかん、こういう、ちまちましたんのは苦手や …… ミコちゃん上手やな」
ミコちゃんは、ウチが縫っとる刺繍をチラッと見た後、
「有り難う。でも体育のバスケで万華ちゃんが相手チームをドンドン抜いていくの、凄かったわ。私にはできないわよ」
と針仕事の手を休めてフォローしてくれた。
ミコちゃん優しいね。ミコちゃんのは綺麗な花の刺繍や。
せやけど午前中のバスケの爽快感が、午後の家庭科の授業で台無しや。料理とか裁縫とか、なんで学校の授業にあるんやろ。裁縫なんて、織り姫姉ちゃんがやってくれたから全然でけへんし。学校は楽しいやけど、家庭科だけは憂鬱やわ。
キーン・コーン・カーン・コーン
「あー、やっと終わった。四千年間で一番の苦行やった」
ウチは盲腸の手術で休んだってことにして、五日前に復学した。それで、これからスターマックスで、ラノベ研究会の皆がウチの快気祝いをやってくれる。ウチは食べれへんけど、おしゃべりは楽しい。
期待に胸を膨らませて席を立とうとすると、
「皆さん、今日できなかった方は来週までの宿題です。ちゃんと仕上げてきてくださいね」
と教師が水を差しよる。
あの教師、ウチにさらなる苦行を強いるつもりか。
ちょっと天界に行って、織り姫姉ちゃんに頼むかな。でもな、織り姫姉ちゃんが作ると本物の花びらがあふれ出すやろな。
いや、待てや、ウチの作品も萎れた花やってことにすれば、まあ、そこそこ評価されるんとチャウか。
せや『芸術は感性』や。
ヨッシャ、来週はこれで乗り切ったる。
そうと決まれば、いざ出陣や!
◇ ◇ ◇
最近、盗聴器の調査依頼が多くなってきた。他人の生活を監視したり、盗み聞きしたりと現代社会の病理ってやつかも知れない。ハイテクを使っての調査に久保田は大忙しになっている。
俺はもちろんアナログ派なので久保田とは違う依頼をこなしている。今日も依頼主と内容を確認して、事務所に帰る所だが、歩道の一部に人が集まっているのが見えた。仕事がら、ああいうのは無視できねぇだよな。
路肩に寄せて見てみると、そこには紛れもなく、正真正銘の天女がいた。紫の衣に万華から教えて貰った領巾を靡かせ光輝いている。俺は、車から降りて、人だかりの中へ入って行くと、その天女は何かを周辺の野次馬に聞きまくっている。
「この平行世界に万華ちゅう、天女がおる思うんどすけど …… えっ、知らへん。そのなの、そやけど有り難うね、親切なお兄ちゃん …… ああ、なあ、そこの優しそな、お・じ・さ・ま。ちょい教えてくださらへん? ウチ、ちょい困ってんねん」
あらら、注目の的だな。皆が手を上げてスマホで写真を撮っているぞ。
俺は、周りの人を押しのけて、
「ちょっと、ごめんよ。この人とは知り合いだ。いや、この人のマネージャーです。写真は取らないでください。これはドラマの撮影です。皆さんお引き取りください」
俺はそう言いながら、人だかりから天女を連れ出すために腕を取ろうとすると、ふわりとすり抜けられて、
「あら、あんた、誰やろか? ウチ、あんたのこと知らへんわ」
とその天女は真顔で抗議してきた。
「千野 権蔵と申します。蓬莱の万華の…… 万華の関係者です」
「あら、良かった。万華ちゃんのお知り合いの方なのね。探しとったんやで。それで万華ちゃんは何処やろか」
「その格好では目立ちますので、取りあえず車のほうへ」
「く・る・ま? そら何なんどすか?」
えっ、万華はこの世界で育ったかのように振る舞うけど、この天女は完全に浮世離れしているぞ。取りあえず、事務所に連れて行こう。
◇ ◇ ◇
「権さん、なんやねん。ウチの快気祝いで、皆と楽しくやってたんやで」
と万華が事務所に入ってきた。
「すまん、電話したのは他でもない、今、俺の机の上で浮いている天女のことだ」
「天女?」
と万華は、衝立の向こうを覗いた。
すると、万華は驚きの顔をして。
「織り姫姉ちゃん、どうしたんや。まさかウチの宿題を手伝いに来よったのか」
と声を上げた。
なに! あの有名な織り姫なのか。俺は万華の後ろから改めて連れてきた天女を見直した。
すると、
「きゃー、万華ちゃん、ウチな、万華ちゃんを探しとったのどすえ。会えてうれしいわ。そやけどあんたの宿題の事は知らへんわ」
とラッキーを抱えて、フワフワと飛びながら、こちらに向かって来た。
「ああ、いや宿題の事は冗談や。ところで、何で織り姫姉ちゃんが、ここにおんの?」
「彦はんを探しに来たんや。お父様には内緒やで」
と憂いに満ちた顔で織り姫は答えた。
「なんで、この世界に彦兄ちゃんがいると思ったや?」
「えーっとな、第15平行世界で彦はんを待っとったんやけど、いつまで経ってもこんへんで、そいでな、心当たりのある所を探したんやけど、何処にもおらへんやった。それでな、ルートが壊れた事故に巻き込まれたんとちゃうかと思ってな、一灯仙人に聞いたら、第15平行世界に行こうなぁとした人は、第3平行世界に飛ばされたんやないかって言うさかい。困ったなぁと思っとったら、一灯仙人が、万華ちゃんがこの世界におると言ってな、そいでな、この世界に来て、万華ちゃんを探しとってん」
と織り姫は手振りを交えて答えた。
「万華、ちょっと」
と俺は万華を呼んでソファーに座らせた。織り姫はフワフワと事務所の中を飛んでいる。
「なんや」
「万華、織り姫姉さんと彦兄さんって、七夕の織り姫と彦星なのか?」
「そや」
「七夕の時しか会えないじゃないのか? 確か結婚したけど遊びほうけて、仕事をしないからとかで」
「あれは、織り姫姉ちゃんの親父が勝手に作ったルールやで。やり過ぎやって言ってな。せやけど若い男女や、会いとうなるのもしゃないやろ」
「やり過ぎ? 何を」
「ガキみたいに綾取りして遊ぶわけ無いやろ。若い健康なカップルが、仕事をほったらしにしてでもすることは、一つしかあらへん。これは何処の平行世界でも一緒や」
「話題を変えよう」
と俺は、ここで止めた。万華のことだ。また俺を揶揄う種を作っているに違いない。
「なんや。これからが面白いのに」
「織り姫って、万華より、なんて言うか天然と言うか……
「姉ちゃんの親父が、姉ちゃんを外に出さないから、良く言えば深窓の令嬢、悪く言えば世間知らずなんや」
世間知らずか? いやそれ以上に天然だと思うぞ。事務所に戻るのに俺のスバル360に乗せると、キャーキャーと大はしゃぎ。隣の運ちゃんには窓から身を乗り出して手を振るし、極めつけは、首都高を車と並行して飛ぶし。明日、SNSを見た久保田が開口一番なにを言うか想像がつく。
「彦星は、俺の事務所で探すから、あちらの世界に戻ってもらったら如何だろうか?」
「せやな …… 一応聞いてみるけど、聞かんやろな」
万華が色々と説明して、一度帰って貰う様に説得したが、
「ウチ、彦さんのことが心配なんやねん。このまま帰っても、機織りなんかでけへん」
と言いながら、袂を顔に当ててさめざめと泣いた。妲己を蹴り飛ばし、軍を殲滅した万華だが、織り姫には敵わないようだ。仕方が無いので、服装や髪型を現代の日本風にしてもらい、人前では空を飛ばないことを約束させた。
明日、これに久保田が加わるのだ。気が重い。
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