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 山田太郎(25歳男性)は、一人暮らしのワンルームマンションの玄関から出たところで、スマホを忘れていないか確認するため、手提げバッグのなかに手を突っ込んだ。  スマホはバッグの内側ポケットにあった。  とりあえず取り出して、ディスプレイで時刻を確認する。  7時48分。いつも通りの時間だ。今から駅に向かえば、いつも乗っている電車に間に合うだろう。  歩き出そうと思ったそのとき、山田はスマホのディスプレイに見慣れないアイコンが表示されていることに気付いた。白枠の正方形のアイコンの中に、小さな文字で「thank you!」とだけ書いてある。 「これはいったい何だ?」山田は独り言を言った。  こんなアプリをダウンロードした記憶はない。寝ぼけてる間にダウンロードしてしまったのだろうか。  とりあえずそのアイコンをタッチして起動させた。 「このアプリは、”ありがとう“という音声を自動で感知し、その深度を計測するものです。発せられた”ありがとう“の言葉に含まれる感謝の気持ちを、レベル1からレベル10までのあいだで測定できます。また、本当は感謝していない、むしろ迷惑に思っていたり疎ましく思っているにも関わらず”ありがとう“が発せれられた場合は、その偽り度をマイナスレベル1からマイナスレベル10で測定できます。この度はありがとう深度アプリをダウンロードしていただき、まことにありがとうございました。」  アプリが起動して最初に出てきたその注意書きのようなものを、山田は二回繰り返して読んだ。  さっぱり意味がわからない、というのが最初に湧いてきた感想だった。  とりあえず、スマホに向かって、 「ありがとう」と発してみた。  すると、スマホが短くバイブレーションした後、ディスプレイの中で赤い文字で数値が動き始めて、間もなく停止した。 「ありがとう深度 マイナス1.2です」  いったいこれは何なんだろう。  山田はもう一度、 「ありがとう」と発した。  さっきと同じように数値が動いて、止まる。今度はマイナス0.8だった。  さっきの説明書きを信じるなら、このアプリは「ありがとう」という発話に含まれる本当の気持ちを測定するためのもの、ということになるのだろう。  そんなことが可能なのだろうか。発声の様子や声の高低などで計測するのだろうか。  そもそも、なんでこのアプリがインストールされてるのだろう。  とりあえず考えるのは後にして、今は出勤しなければならない。  山田はスマホをスーツの内ポケットに入れ、玄関の鍵が閉まっているのを確認してから、歩き始めた。
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