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奈津美は、あの場所に戻ってきた。既に7年が過ぎている。その間、最初の3年くらいは、恵斗から連絡があったが、あえて無視した。
信也との関係を説明できない。仕事に追われる日々。
奈津美にとって、デザインの仕事は楽しく、没頭できる時間だった。信也とはたまに会う関係。電話がかかるタイミングは、私のことを全て知り尽くしているかのような、常にみられているのかと思うような、ベストなタイミング。仕事が、一段落して、彼に会いたいと思う時に、私達は体を重ねることができた。
そんな生活をしている自分が、恵斗との時間を思い出しても、恵斗に会いに行くこともできないし、彼に会いたいと思うことさえ許されることではないと思った。
そして、私はまた、次の仕事に没頭する。
そんな時を過ごしていたが、彼の一言は、私を目覚めさせた。
「夏の様子がおかしいんだ。」「気づいているのかもしれない。」
なつ、なつみ、似た名前、女としては複雑な気分だった。彼はそんなこと気づきもしなかったろう。
そんなことを、言われて私はどうすればいいの?
別れようと伝えても、別れたいわけじゃないという、信也。そんなことできないよね。
信也との関係を今度こそ断ち切ろうと、2度目の別れを告げる。会社も辞めて、福岡へ引っ越した。かつて、仕事をしたことがある、福岡の街で、当時一緒にチームを組んだ地元の業者を頼り、再就職をすることができた。東京では、必ずどこかで、過去に一緒に仕事をしたことのある人間にあってしまう。なぜ、前の会社を辞めたのか、何を目指しているのか、説明するのも詮索されるのも嫌だった。思った以上に、心にも体にもダメージを追っている。一人でも大丈夫、そう思っていたが、東京にいることに、彼を思い出すことに、どこかで求めてしまう自分の弱さを知った。もう、今度こそ、彼に会ってはいけないと、東京を離れた。
福岡での仕事は順調。人を傷つけてしまった懺悔の気持ちはあるものの、後腐れなさそうな、それを望んでいるような少し軽めの男と付き合うことで、自分の欲求を満たす。本気にはならない。付き合いは、そう長くは望まない。
福岡の街は、少し離れれば、田舎の風景をみることができる。時々、疲れを癒やしに向かった先で、少しずつ、彼にもう一度会いたいと思うようになり、その気持ちを抑えることができなくなった。自分自身が一番自然にいられるあの場所、恵斗。
彼がアルバイトをしていた本屋の前。
目に入ったのは彼の名前。
松西恵斗の絵が飾られている。
恵斗・・良かった、彼は今もこの素敵な絵を描いているのだ。
中に入ると、数点、彼の絵が壁にかかっていた。
ステキ。やっぱり彼の絵はとても良かった。
じっと、見つめていた。
この風景を。
この時間を。
最後の絵はどこの風景かわからなかった。
少し、雰囲気の違う色合い、木々、光。
どこだろう。
「この絵素敵でしょ。」
と、女の子に声をかけられた。
大学生だろうか?
ここでアルバイトでもしてるのかな。
「ええ、とってもステキ」
「恵斗って人が描いてるんだよ」
「今はまた旅にでてるけど、また、たくさん絵を描いて戻ってくると思うよ。いろんなところへ行って、いい風景はたくさんあるけど、やっぱりここが一番だ、って、いつも言ってるの。」
「そう。いつ頃戻るのかな。わかる?」
と、奈津美は思わず聞いていた。
「うーん、どうかな。気まぐれかもしれないけど、前は1ヶ月くらいで戻ってきたから、もうすぐかなあ?わかんないけど。」
「そう。」
「恵斗のね、ファンはたくさんいるから、帰ってきたら、また、新作飾ってもらわないと。」
「お姉さんもファンになった?」
「ええ。とてもステキ。」
そのまま一週間、奈津美は、ここで過ごした。これから、どうしようと思いながら、かつて大好きだった場所をまた、うろうろと歩いていた。
「ほら、ここ、恵斗さんの描いてる場所。」
あの風景を指差している人かいた。
彼と過ごした場所は、もう私達だけの場所ではなくなっている。
ここが一番といっている恵斗。
ここにいつ戻ってくるのか。
奈津美はまた、本屋に行ってみる。
彼女の姿がみえた。
そして、その先に。
「これ、これステキ。どこ?」
彼女の声が耳にぼんやり届く。
彼女の向こうでしゃがみこんでいる彼。
恵斗。
「良子、ちょっとそれ貸して。」
「はーい。私の目利きもたいしたもんでしょ。恵斗もそれ、好きなんでしょ」
「そうだな。」
良子と呼ばれていた彼女は、たぶん、ここでこの前あった女の子。奈津美は二人の姿を目にし、なんとなくその場を立ち去った。
「そういえば、この前また恵斗のファンが一人増えたよ。」
「どうした?」
「恵斗の絵じっと見てたから、話かけたんだ。」
「素敵でしょって」
「彼女もファンになった。すごい素敵っていってくれたよ。きっと都会から来た人じゃないかなー。絶対この辺の人じゃないと思うよ。なんか、かっこいい感じだった。」
恵斗はふと、奈津美さんなんじゃないかと思った。まさか。彼女が来てくれるはずはないか。何度も会いたいと思ったけど、彼女にとっては、その場だけのことだったんだから。とっくに忘れられてるだろう。
その日、恵斗は、久しぶりにスケッチブックを取り出した。あの日の奈津美。あれから、7年。今彼女はどうしているだろう。
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