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「いらっしゃいませ。」
入って来た客に向かって奈津美は、歩み寄っていく。
「あの、恵斗さんは、いらっしゃいますか?」
その女性は、画家、恵斗を知っているのだろうか。
彼は、相変わらず、顔写真も出したがらないし、人前で話もしたがらない。
個人が注目されることを今でも、嫌っている。
時々、個展会場に、現れても、彼のことを誰も知らないので、話かけられることもない。
もちろん、彼を知らずに、本人と話したいと、言ってくるファンもいる。ただ、この女性の話し方が、本人を知っているのではないかと思わせたのだ。
今日、恵斗はここには来ていない。どうしようか。
「あの、こちらには居ませんが。」
「こちらに、来られることがありますか?」
「失礼ですが、お知り合いの方ですか?」
「ええ、まあ。ただ、その、彼が覚えているかどうかはわかりません。私が思っている彼かどうかも正直わかりません。」
正直に、応えてくれているようなこの話し方に、奈津美は好感を持った。
「そうですね。彼は、人前には出たがらないし、同性同名かも?と思われているとか?」
「そうなんです。でも、彼じゃないかなって思って、どうしても。」
「そうでしたか。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「松西恵斗に伝えてみましょう。」
「いや、でも、会いたくないと言われたら、悲しいですし。あっその時は、人違いだったってことにしてくださいね。覚えていないみたいと言ってください。安藤りりかと申します。」
「かしこまりました。ご連絡先をお伺いできますか。」
「いえ、わざわざご連絡いただくなんて、申し訳ないですから。また、参ります。いつも、こちらにいらっしゃいますか。失礼ですが、お名前だけ聞かせていただけますか。」
「水嶋と申します。開催期間中は、こちらにおりますので、いつでもまたいらしてください。」
「ありがとうございます。」
「恵斗」
「今日、安藤りりかさんって方が来られたわよ。」
「りりか?」
「ええ、知り合いかもしれないけど、わからない。って」
「そう。」
「知り合い?」
「ああ、学生の頃の。」
「そうなの、とてもきれいな人だったわよ。」
「ああ。」
「彼女、あなたに会いたがってるみたいだったわ。」
「そう?」
「どういう関係だったの?」
「19の頃に、ちょっと付き合ってた。」
「相当、可愛かったでしょうね。その頃の彼女も。」
「何歳だったっけな。確か2個上だった気がするけど。でもまあ、なんか可愛いだけの子だったよ。」
「そんな言い方。若い頃なんて、みんなそんなもん、というか、そこが重要なんでしょ。」
「奈津美は違うじゃん。」
「そりゃあ、かわいくないからね。」
「そういうんじゃなくて。見た目とかじゃないでしょ。」
「そんなことないよ。私だって、あなたを最初に見た時、きれいな顔してるなって思ったわ。」
「俺も。なんてきれい人なんだろうって。」
そんな恵斗の言葉を遮るように、
「で、どうするの?」
と奈津美は言った。
「どうするって?」
「彼女が会いたいって言ってるの。また、会いに来ますって。」
「面倒だな。」
「じゃあ、会いたくないって言ってます。って伝えようか。」
「そうだな。」
「かわいそうだわ。そんなの。」
「でも、会ってどうするの?奈津美も元彼に会っても仕方ないでしょ。」
ふと、信也の顔が浮かんだ。会っても仕方ない。それはその通りだ。
「まあ、それはそうね。」
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