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Epilog
「その待ち受け、お子さんですか? 可愛い」
携帯の番号を教えようと取り出したスマホを見て、事務の女性が言った。
「そう、去年の七五三の時だよ」
スマホの画面には、今は4歳になった娘が、晴れ着に包まれて笑っている。着慣れない着物を何枚も重ねられ、窮屈な思いをしても、自分の晴れ着姿は嬉しかったらしい。
「他にお子さんは?」
「上に8歳と12歳の男の子」
「娘さんはお一人なんですか? それじゃあパパは大変でしょう、可愛くて」
そうだね、と言うように頷いて、番号を見せると書き留めてもらう。
30代の頃、仕事で通っていた懐かしい町を久しぶりに訪れたのは、そこに新しい営業所を開所することになったからだ。
そこに赴任するわけではないけど、その辺りのクライアントを最初に開拓したのが自分だったので、挨拶を兼ねての訪問だった。
「ちょっとお世話になった人に挨拶に行って、そのまま高速に乗る」
ひと通りの予定を済ませて、新しい営業所へ戻ると、そういって現地スタッフを下ろし、車を走らせた。
何度も何度も通った道。
美月の住んでいたあの洋館がどうなっているのか、見たかった。
最後に来たのは、もう10年も前だ。
配置換えになる寸前まで、諦め切れずに通ってきてたけど、ずっと売り家のままだった。
最後に来たときは、庭の辺りは草がぼうぼうに生えていて、いかにも無人の家、という感じがして寂しかったのを思い出す。
その時の印象が、当時の自分の心に霧のように立ちこめて、もう美月のことは忘れようと努めた。
それでも、こっちに来れば、どうしてもここに寄りたくなってしまう。
もしかしたら誰か住んでいるかもしれない、と懐かしい路地の入り口に車を停め、歩いて近寄って行く。
路地と敷地を隔てていた木のフェンスが、もとのように白く塗り直されているのが見えた。
フェンス越しに見た洋館の壁は塗り直したのか、クリーニングしたのか、綺麗になっていて、誰かが住んでいることが分かる。
…あ、もう人手に渡ってしまったんだな。
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