Epilog

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少し時間ある? と聞かれて大丈夫と答えると、家の中に入れてくれた。 白い小さな犬は、玄関で身体を拭かれて、あの窓辺のマットレスの上でくつろいでいる。すっかりそこの主の顔だ。 「(ひかり)、っていう名前なの」 保護犬の譲渡会で見つけた、というその犬は、短い毛足の何かのミックス犬らしかった。垂れた耳が可愛い。 「名前の書かれたプレートを見たとき、なんか運命を感じちゃって」 そういって美月は笑った。それが俺の名前からだ、ということを裏付けるように。 数年前から会社勤めができるようになって、やっと落ち着いてきたから、念願だった保護犬の引き取り手になった。大きな犬は、ひとりだと世話ができそうもなくて、小型犬にしたのだそうだ。 食卓テーブルの椅子に座ると、アイスコーヒーを注いだグラスを渡してくれた。 「光星は元気だった?」 うんと頷くと「今日は何で?」と聞かれた。 こっちに営業所を作ることになって、自分は最初の頃、こっちを開拓してたから挨拶回りに来ただけ、と話すと、なるほど、という顔になった。 「病気だったんだって?」 彼女は「そうなの」と言って、癌だった、と教えてくれた。 「今は治療は?」 「半年に一度の経過観察で済んでる。癌治療も進んでいるからね」 「もしかしたら、うちの社が入れた機械が役に立ってるかも」 そういうと、そうだね、と笑った。 「ここはいつから? 最後に来たときは、売り家になってた」 「半年くらい前から」 思ったより入院が長引いて、一度は手放したそうだ。 退院して実家に帰っていたけど、同居していた母親が、弟のところに双子が生まれたのをきっかけにそっちへ引っ越して、実家を売ったのだという。 「もう誰か住んでいたら諦めたと思うけど、やっぱり空き家のままだったの。町からちょっと離れているし、個性的な造りだから、ファミリー向きではないんだよね」 そういうと、辺りをぐるりと見渡して、満足そうに笑った。 「この先もどうなるか分からないから、これからの人生は、自分の好きなように生きていこうと思って」 大きな困難を乗り越えた彼女は、型にはまった一般的な人生とは、違う道を歩いているような気がした。 家具はほとんどそのままだったけど、作業机の上には、ノートパソコンと仕事用みたいなバッグだけ。 「もう作品は作ってないの?」 「うん。でもまた何か作ろうかな、とは思ってる」 当時は体力が心配で、外に出て働くことができなかったから、家にいる時間にできることをしていたのだと言う。 「最後に会ったとき、黒のブレスレットを持っていった?」 うん、と頷いて「黙って持ち出してゴメン」と謝った。 「まさか、あれきりになるとは思っていなかった」 「私も、もう何回か会えると思っていたから、最後の時にどこかのタイミングで渡せたら、と作っていたの。本当は、あの日に見せるつもりはなかったんだけど、作った後、あそこに入れっぱなしにしてたから」 「やっぱり。プレートの裏に、星と月が彫ってあったから、もしかしたら俺にくれるつもりだったのかな、と思ってた。今も鞄のポケットに入ってる」 良かった、と美月は嬉しそうな顔をした。 「もう気づいていると思うけど、あのとき、光星にいっぱい嘘をついてた」
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