1

2/3
前へ
/40ページ
次へ
彼女の街から高速道路を経て2時間。 会社に着く頃にはいつも、終業時間を過ぎている。 会社へ寄って車を置き、自分の部署に上がることなく直接駅へ向かうと、電車に乗って自宅のマンションへと向かった。 帰った合図に呼び鈴を2回鳴らし、鍵を開けてドアの中に入ると、小さな息子がとことこ廊下を歩いて迎えにくる。 彼はまだ、はっきりした言葉をしゃべるところまで成長してないので、とりあえず嬉しそうな顔をして、両手を伸ばして抱っこをせがむ。 「ただいま~」 そう言いながら一度バッグを置いて息子を抱き上げると、首の辺りにもみじのような手を回して抱きついてくる。 「待っててくれたのか? ありがとな」 そう言いながら、頬と頬をくっつけると、きゃっきゃっと声を上げた。 片腕で抱いたまま、バッグを持ってリビングへと入っていくと、夕飯の匂いが漂っている。 「お帰りなさい」 キッチンから、妻の奈央が声を掛けてくる。 彼女と息子は、もう夕飯を済ませているはずだ。 一度、息子を降ろして寝室へ行き、普段着に着替えていると、彼もついてきて足に纏わりつく。 脇腹をくすぐってやると、笑って手を離すので、その隙にごろんと寝っ転がせておき、スラックスを履き替えた。 抱き上げてリビングのソファに座ると、膝の上に座らせて、またくすぐりごっこ。 息子は、遊び相手が帰ってきた、と思っているらしい。 こうやって毎日、小さな子どもと生活していると、人間にとって、肌と肌が触れあうということは、信頼関係を築く上でとても大切な役割を果たすんだな、と感じる。 男女に関係なく、思春期になると子どもは親から離れていって、どう付き合っていけばいいのか不安になる、という話を聞く。 でも、この先もある程度まで、こうやって濃い時間を過ごしていけば、そういう年頃になっても通じるものはあるんじゃないのかな、と思う。 そうしながら、父親である自分と、さっき美月にキスをした自分は、同じ自分なのに違う人のように感じていた。 言ってみれば、ここにいるのは家族を支えている夫としての自分で、美月と会っていたのは、高校時代からそのまま関係を続けていた俺、というような感じだ。 さりげなく、キッチンで俺の夕食を準備している奈央の背中を見る。 夫として、父親としてここにいることには、なんの抵抗もなかった。 彼女と2年間付き合って、結婚を決めたときも、特に不満があったわけでもない。 でも、その関係はすでに、男と女、というより、夫と妻の関係になっていた。 こうして美月と再会してしまったことが、自分の中の男という生き物の存在に、気づかせてしまったような気がする。 彼女が日本を離れるまでの数ヶ月、少しだけ、道を外れたい。 そう思った。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

512人が本棚に入れています
本棚に追加