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「今日は、ホテルの扉を開けたら、トンネルにいたのよ」
くっさい煙草の煙を吐き出して、私はさっきまで見てた夢の話をし出した。
ホテルの一室に、私はいる。小学生まで年齢は遡っている。
周りには親戚の子供達。
大人はいない。
みんな、食べ物を買いに行ったまま、一向に帰って来ない。
『探しに行こう』
一歳年上の従兄の言葉で、私たちはみんなで部屋の外へ出ることを決心する。
扉の先は真っ暗で、何も見えないけれど、そこがトンネルの中であることは分かった。
照明のない大きなトンネル。
気付けば周りには誰もいない。
私は一人ぼっちで、延々と真っ暗なトンネルを歩き続ける。
それがずっと続く夢。
”他人の夢の話ほど、つまらない話はない”
母さんが言っていた。
だから、私はあまり夢の話はしなてこなかった。
でも、確実に、私は自分の脳みそが生み出した幻影に悩まされている。
こうして朝早くに目覚めてしまうほどに。
「それは、嫌な夢ですね」
ただの隣人の男の子に、なんてつまらない話をしてしまっているんだろうと言う、罪悪感はある。
でも、何だか癖になってしまったみたいだ。
彼は、私のことが好きだ。
私のことを、頭のおかしい人間だと思っているみたいだけれど、それと同時に、精神的に不安定な私に好意を抱いた彼自身をも、まともではないと思っているのだろう。
自分より弱い人間に、人は何らかのアクションを起こしたがるものなのだろう。
気晴らしのための攻撃。同情による干渉。
いずれにしても、良い効果は生まれない。
事実、私の部屋の隣人は干渉しすぎるあまり、私に対して不毛な恋心を抱いてしまった。
私は、誰かに可哀想だと思われたいだけだった。
職場の人では駄目だ。
仕事に支障が出てしまう。
名前も知らない、恋愛対象にもなり得ない、アパートの隣人が丁度良かった。
自分の経験、生い立ちについて、嘘を吐いているわけではない。
全て本当のことだ。
私は、自分の過去を人一倍不幸だと思っているのだ。
ただ、もうどうでもいいとも思っている。
どうにでもなれと思っている。
何がしたいのか分からないから、何もしたくないという思考に陥っている。
一切目を合わせずに、会話を続ける私たち。
ごめんね。
君は話を聞いてくれるから大好きだけど、こんな私とこれ以上近い関係になっても、君の人生を台無しにしてしまうだけだから。
「明日、大学早いの?」
ごめんね。
私の横顔を、君が見つめているのは知っている。
だから少し意地悪をして、意図的に視線を向けないようにしているの。
「いや……明日は授業ないんです。午後からバイトがあるだけ」
本当にごめんね。
君の気持ちに応えるつもりなんてないけど、君のその感情に甘えて、利用して、私はこのもどかしい時間を楽しんでいるの。
「そっか……。それは本当にごめーーー」
「だから、こんな時間まで夜更かししちゃったんですよ」
可愛い嘘を吐いてくれる心優しい隣人。
こんな早朝に起こしてしまって、本当に申し訳ないと思っている。
それは本心。
でも、もうしばらく続けさせてほしい。
私は不味い煙草の煙を吐き出して、不完全な満月から目を逸らし、ゆっくりとまばたきをしながら、隣の部屋のベランダに視線を向けた。
私の動きに瞬時に気が付いた隣人も、驚いたようにこちらを見る。
「今日も、付き合ってくれてありがとう」
私はそう言って、得意の笑顔を浮かべた。
彼は、私の”ありがとう”という言葉を待っている。
そんなこと、もう既に知っている。
本当に、性格の悪い女だと、つくづく思う。
こうすれば、彼がもうしばらく私に囚われてしまうことも、知っているくせに……。
こんな性格では、人から恨まれてしまっても仕方がない。
ああ。どうかこのまま私を一切眠らせないで。
睡眠不足で苦しめて。
向き合おうとしない私を罰して。
「明日も、頑張ってくださいね」
躊躇いがちに吐き出されたその言葉を、私は煙を吹き付けてはじき返した。
「ありがとう」
デフォルトの笑顔を浮かべて、私はまた月を見上げるのだった。
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