拒絶

1/1
前へ
/30ページ
次へ

拒絶

4 狂った状況を打開する事が出来ないまま、ずるずると倒錯的な日々が続いた。 俺は相変わらずあの女に逆らう事は出来なかったし、史生もまた抵抗する術はなかったんだろう・・・日に日にあの白く綺麗な柔肌に、痛々しい傷痕が増えていた。 次こそは、今度こそ・・・自分自身を奮い立たせ何度もそう心に誓っているのに、俺はどうしてもあの女を止める事が出来なかった。 縁も所縁もない俺達を(自分のためだったとはいえ)、ここまで面倒見てくれた事に対して頭が上がらなかった、というのはもちろんあったのだが、それよりも大きかったのは、あの小さな部屋から聞こえてくる声・・・史生の、苦痛を堪える喘ぎにも似たあの声を聞いていたかったから。 そしていつしか、”俺があの声を出させたい”という、歪んだ感情を持つようになっていた。 だから俺はあの家を出ることを決めた。 あの女の呪縛から逃れるために・・・ 自分が史生を傷つけてしまう前に・・・ 高校3年の冬。 忘れもしない、クリスマスイブの夜。 俺は、あの女を、初めて、自分の意思で、抱いた。 快楽に溺れ、恍惚の表情を浮かべるあの女の痴態を、映像に残した。 ――――そして、脅した。 「これ以上史生を傷つけることは許さない。もしまたあの部屋に史生を連れ込む様なことをしたら、この映像をマスコミに流す。―――約束しろ。二度と、史生を傷つけないと―――」 ちょうどその頃、現役の国会議員との不倫疑惑をマスコミに報じられていた門脇靖子は、これ以上世間を騒がす事は出来ない状況にあった。 だからだろう、俺のその脅しは相当な効き目があったようで、絶対にその映像は世に出さないでと懇願し、高校生の俺なんかが持つには多すぎる程の金を握らせてきた。 札束が、10本。 この家を出るのに、十分すぎる額だった。 あの女の部屋から自室に戻ると、机の上に小さな包みとメモが置かれていた。 ―――樹希へ  古いものだけど、よかったら使ってくれ。  俺の宝物だ。  受験がんばろうな! 史生――― 包みの中に入っていたのは国産のねじ巻き腕時計。 ―――児童養護施設に預けられた時、史生が唯一持っていた、本当の親と繋がる大事な宝物。 ずっと一緒に育ってきたからこそ、史生が記憶にすら残っていない親の温もりを求めるように、それを大切に扱っていたことを俺は知っていた。 「史生っ!史生・・・これ、お前の大事なものだろ?どうしてそんなの俺に―――」 俺は、その宝物を自分に託してくれたという誇らしさが少しはあったが、それよりも、まるで離れることを予知しているかのような史生の行動に、不安を感じずにはいられなかった。 史生の部屋に駆け込んで、その真意を問う。 「―――樹希はいつも俺を守ってくれるから。お母さんから貰ったお金で買ったものだと何となく気持ちが足りないような気がして・・・俺の持ってるもので一番大切なのを樹希に持っててほしいんだ」 そう言って満足そうに笑う史生の顔を見て、俺はその言葉を口にする。 「・・・一緒に、この家を出ないか?」 けれど、史生は寂しげな笑みを浮かべ、「それは、できないよ・・・」と、それしか言わなかった。 決して強い口調ではなかった。まして、拒む様な言い方でもない。 けれど、その言葉の中には、俺には踏み込むことのできない強い意思が籠っていたような気がした。 「・・・そうか。わかった。――――――時計、ありがとう。大事にする」 おやすみ、と言い、史生の部屋を出た。 自室に戻って、そこらへんに落ちていたコンビニの袋に札束を適当に放り込む。 クローゼットから大きめのボストンバッグを取り出して、当座必要な衣類を数枚詰め込み、その上に札束の入ったコンビニ袋を乗せた。 高校は退学の手続きをしてある。 勉強道具はもう必要ない。 これからは一人で生きていかなければならない。 史生と、離れて暮らさなければならない・・・ 俺の大事な、史生――――。 ノートを一枚破り、そこに一言だけ書き込む。 ―――守れなくてごめん。 そしてその紙を押さえるように包装も何もしていない小さな箱を置く。 俺の大事な宝物。 本当の親が持たせたのであろうオルゴール。 史生だけが知っている、俺の宝物。 お前が時計を託したように、俺もお前にこれを持っていて欲しい・・・ 逃げ出す俺を、嫌ってもいい、憎んでもいい。 それで史生の記憶に俺が残るなら・・・ 泣きたくなるほどの後悔と、史生を一人この家に残していく不安を抱えたまま、俺は、門脇家を飛び出した。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

94人が本棚に入れています
本棚に追加