涙と体温

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涙と体温

8 「―――あぁ。史生の大切なものだって知ってるからな・・・―――――あの日から、この時計だけが俺の心の拠り所だった。この時計を持っていれば、いつでも史生が傍にいるような気がしてた・・・――――俺は、お前が欲しかった。たぶんガキの頃からずっと。お前を守るのが俺の役目だと思ってたし、それは俺にしかできないことだって自負があった。・・・でも、守り切れなかった。俺の知らない所でお前は傷つけられていて、それに気付いてからも俺は止める事が出来なかった。・・・それどころか、俺は傷つけられている時のお前の声を聞いて―――――欲情した。その声を俺が出させたい、そう思うようになってた。・・・だから、あの家を出たんだ。俺は、お前を守ったわけじゃない。傷つけてしまう前に、取り返しのつかない事になってしまう前に、俺は史生から離れることを選んだんだ。―――――そして、お前を傷つけない変わりに、お前に似た奴を抱いて傷つけてきたんだ、ずっと。それがみちると、お前が彼女だって勘違いしたあの女、ミユキだ。見ただろ、ミユキの体。俺はあいつらの体をお前だと思って傷つけながら抱くんだよ。―――――最低で、気持ち悪いだろ?・・・でも、それが真実だ。俺は今までそうやって生きてきた。だから、もうお前とは会わない。きっとお前を傷つけてしまうし、衝動を抑える事が出来ない。――――せっかくまた会えたのに・・・こんな最低な人間になっててごめんな――――」 そこまで言って俺は微かに口元を歪めるように嗤う。 「―――気が付くまで傍にいてくれてありがとう。・・・もう、行けよ・・・」 けれど、俺の決心など気にする様子もなく史生は俺を見つめて言った。「勝手だな・・・」。 「・・・俺の話、まだ終わってないよ?大体、俺ひと言でもお前を気持ち悪いなんて言った?お前を最低だなんて言った?―――――それに、その時計、どういう意味を込めて樹希に渡したか、俺ちゃんと話してない・・・・・・」 傷付きたくない、期待させてほしくない。 俺は史生の言葉を遮ろうと口を開く。 「―――でも、俺は・・・っ」 史生は俺の唇にそっと手を当て話を続ける。 「―――聞いてほしいんだよ、ちゃんと・・・。俺は、樹希の事が好きだから一番大切だったその時計を渡したんだ。ずっと一緒に時を刻めますように、いつまでも傍にいられますように・・・そう願いを込めて。――――俺はさ、ずっと樹希の事が好きだったんだよ。たぶん樹希が俺を好きだって自覚するよりもずっと前から。俺のことを一番わかってくれてる樹希と家族になれるって聞いた時、本当に嬉しかった。樹希さえいてくれれば何があってもがんばれるって思ってた。あの人に傷つけられてる時も、この部屋を出れば樹希が待ってるって思えば耐えられた。・・・樹希に初めて彼女ができた時は少し寂しかったけど、それでも帰って来るのはこの家だ。家族である僕の所に必ず戻って来るんだって信じてたから平気だった。―――――13年前もそう。樹希の戻って来る場所はここだから、待っていれば必ず、って。・・・結局、戻ってこなかったけど。・・・でも、今こうして、また会えた。だから、もう樹希と離れるのは嫌だ。ずっと、ずっと待ってたんだ、樹希のこと。――――――これが、俺の気持ちだよ。どうしても俺を遠ざけたいなら、はっきり言ってよ。・・・”俺を嫌いだ”、って」 ・・・夢を、見ているのかと思った。 本当はまだ意識が戻っていなくて、これは夢の中の出来事で、自分の都合のいい様に仕上げた願望がそう見せているだけなんじゃないかって。 でも、夢じゃない。俺は言う。 「―――お前を、嫌うなんて・・・・・・そんなこと、俺にできるわけ、ない。俺は・・・俺はお前だけが欲しかった。養母なんていらない、家族なんていらない。お前だけがずっと一緒にいてくれれば、他に何もいらない・・・っ!!好きだ、好きだ、史生だけを愛してる。ずっと!!―――――でも俺には、お前を愛する資格がない。お前に好きだと言ってもらう資格がない。俺は、あまりにも、汚れすぎた・・・。―――お前に、相応しくない・・・」 腹の奥から突き上げる様な息苦しさを感じる。 長い間ずっと感じたことのなかったこの感覚は、一体なんだっただろう・・・ 忘れてしまったその感情の名を思い出すよりも早く、俯く俺を包む温かな感触に驚き顔を上げる。 「――――樹希の泣き顔、初めて見た。・・・俺にとって樹希は、泣き言なんて言わないヒーローみたいな強い子だったから、泣いてるところを見ると何だかホッとする。―――あぁ、樹希も俺と同じなんだ、って・・・」 史生に強く抱きしめられた俺は、そこで初めて自分が泣いているのだと気づく。 泣くなんて、いつ以来だろう・・・ こんなに心が軽くなるものだっただろうか。 俺は、その心地好い体温と背中を摩る史生の優しい手に目を閉じ身を預ける。 「―――お前は、俺を、受け入れてくれるのか・・・?」 史生の匂いを、体温を、存在を・・・五感全てで感じ取りながら、俺は囁くように呟いた。
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