エピローグ

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エピローグ

「ほんの数年前まで重力井戸の底で腐ってた俺たち全員がこうして宇宙にいる」日下部は感慨深げに何度もうなずいている。「隔世の感があるね」 〈森下超伝導棺桶製作所〉のメンバーは軌道娯楽施設〈サテライトヘヴン〉から眼下の地球を見下ろしながら、めいめい好みの飲み物をすすっていた。いまや超伝導棺桶による宇宙旅行は大型連休の定番ツアーへと昇格しつつあり、軌道開発は急速な進展を見せている。 〈サテライトヘヴン〉は直径2キロメートルを超える円盤型モジュール・ユニット群である。外縁部では回転で発生する遠心力を疑似重力にして快適性を担保し、遠心力のかからない中心部は宇宙旅行の醍醐味である自由落下を思う存分体験できる。四人は中心部で手すりに掴まり、三半規管の混乱による心地よいめまいを堪能していた。 「あたし、夢は叶わないから夢なんだと思ってました」と紅一点。 「ぼくもまさか生きてるあいだに宇宙にこられるとは思ってなかったよ」倉本は退屈そうに鼻の頭を掻いている。 「事業も順調にいってるし、金は寝てても入ってくる。誰もが羨むお大尽だわな」徳さんの口調は言葉とは裏腹に、ちっとも嬉しそうではなかった。  四人は押し黙ったままストローに吸いつき、ほぼ同時にため息をつく。彼らは超伝導棺桶に惜しみない努力を傾注したし、その甲斐あって会社は初期の零細ベンチャーから一転、たったの数年で宇宙旅客輸送のトップにまで上り詰めた。  しかしそのあと待っていたのは〈オデッセイ〉の所有するガイドウェイレンタルの折衝やら旅行代理店への売り込みやら、大切ではあるがおもしろみのない裏方仕事であった。  彼らは夢を叶えるのが早すぎたのだ。 「やあ、がん首揃えてどうしたね」森下啓一郎氏がラウンジのエアロックを潜り、ふわふわと漂ってきた。「みんなたったいま両親の葬式に参列してきたような顔をしてるが、雪だるま式の借金でもあるのかね」  森下氏は地球の重力に見切りをつけて、軌道上に永久移住した宇宙市民第一世代である。四人が宇宙に上がってきたときには折に触れてお節介を焼いているのである。 「その逆ですよ。おかげさまで〈森下超伝導棺桶製作所〉はほとんど造幣局みたいなあんばいでしてね。いまや従業員に任せとくだけで紙幣なり仮想通貨なりが転がり込んでくるわけです」 「わたしの気のせいでなけりゃ、日下部くんはいまの待遇にご不満のようだね」 「冗談じゃありませんや。嬉し涙がちょちょ切れてますよ」 「なるほど。隠居して遊び呆けてるわけだ、若い身空で」老人は処置なしだと言わんばかりに肩をすくめた。「きみらのなかで最年長者は徳さんかな。徳さん、いまいくつだね」 「47歳ですがね、会長」 「いまや日本の平均寿命は100歳近い。徳さんですらまだ半分も生きちゃいないわけだ」 「あと半分ですかい。ありがたい話だね、どうも」  四人はまたぞろいっせいにため息をついた。 「しっかりせんか!」  久しぶりに雷を落とされたので、全員がなすすべもなくまごついた。二の句を継げず、しきりにまばたきをくり返すばかり。 「金がうなるほどあるならなぜ設備投資をせんのだ。〈森下超伝導棺桶製作所〉はで終わるちんけな会社なのかね。きみらが持っている宇宙への情熱はそんなものなのかね」 「ご高説まことにありがたいんですがね、これ以上どうしろってんです」日下部も負けじとやり返した。「おとなりのアルファ・ケンタウリへ棺桶で植民しろとでも?」 「なぜいけない?」  日下部は目を丸くして老人を見返した。「えっ?」 「棺桶で植民事業をおっぱじめちゃいけない理由でもあるのかね?」 「まあ、そんな制限はないですけど」倉本はばつが悪そうに頭を掻いている。 「やろうよ」香苗が恋人の背中をどやしつけた。作用反作用の力学が発生し、二人は反対方向へこまみたいに回転しながら遠ざかっていった。「やりましょうよ!」 「棺桶で恒星間飛行だ? ばかも休み休み言ってほしいね」技術者が水を差した。「そういうのは夢じゃなくて妄想ってんだ」 「わたしはかろうじて20世紀生まれだがね、ひいじいさんからこんな話を聞いたことがある」 「聞きましょうかね会長、原始人から聞いたおとぎ話を」 「かつて彼が太平洋戦争で南方にいたころ、オーストラリア近辺の島々をアメリカさんが日本から見事奪還した作戦があった。一挙に軍を展開するのじゃなしに、ひとつずつ攻略して態勢を整えてから、順繰りでとなりの島を攻略していく。〈カエル飛び作戦〉だね」 「〈カエル飛び作戦〉ね」孫は150年も前の神話にすっかり辟易しているといったようす。「ごめんおじいちゃん、それがどう関係してくるの」 「まだわからんのか。一足飛びにアルファ・ケンタウリは無理だろうが、ひとつずつ拠点を築いていったらどうかね。アメリカさんの故事に倣ってな」 「まずは月」倉本はようやく眠りから覚めたようだ。「月なら地球の裏庭みたいなもんだ。潜在的な顧客もきっといる」 「徳さんと香苗!」日下部が怒鳴った。「月までのホーマン軌道算出と仮称〈ルナ・ランチャー〉の設計チームを編成してくれ」 「あいよ」 「アイ・アイ・サー」  二人はラウンジから退出した。 「俺と倉本さんはマーケティング調査と投資先の獲得」 「だね」  二人も香苗たちのあとに続いて退出しようとした。 「日下部くん」老人がためらいがちに呼び止めた。「わたしにできることはあるかな」 「なんでもいいから好きなことやってくれりゃいいですよ。なんで俺なんぞの顔色をうかがって指示待ち人間になってるんです、あんたらしくもない」  それだけ言うと、二人は慌ただしくラウンジから出ていった。それを見届けたあと、森下啓一郎氏は口元をほころばせ、満足げにつぶやいた。「ようやくあいつららしくなってきたじゃないか」
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