2 渉外マネージャーの憂鬱

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2 渉外マネージャーの憂鬱

 昼休み開始のチャイムが鳴った瞬間、社員たちは各自のデスクで大きく伸びをやり、光速の60パーセントで牢獄から脱出を図った。〈オデッセイ〉日本支部のオフィスは年季の入った五階建てビルのテナントを借りており、社員食堂などという気の利いたしろものはもちろん存在しない。したがって休憩時間になるや否や、蜘蛛の子を散らすように彼らは食料の現地調達に馳せ参じるのだった。  渉外マネージャーの日下部も徒歩2分で着いてしまう中華料理店ののれんを潜った。近い、安い、量が多いの三拍子を揃えているとあって、すっかり〈オデッセイ〉社員の植民地と化している。先客がちらほら見受けられ、各自首の凝りをほぐしながら思い思いにリラックスしている。  日下部は店内をざっと一瞥し、お目当ての人間を探し当てた。技術部の徳さんだ。無精ひげに短く刈った髪、着古した作業着の似合う40がらみの男やもめである。偶然を装ってぶらりとテーブルに近づき、いすを引いた。「よう徳さん、ご一緒していいかな」  壮年男は端末をいじくる手を止めず、顔すら上げなかった。「かまわんよ」 「こっちに戻ってきてたとは知らなかったよ」むろん彼は知っていた。「アメリカ暮らしはどうだった」 「信じられるか、坊主」徳さんはやりきれないと言いたげにかぶりを振った。「あそこじゃ日本語が通じないんだぞ。俺はもう二度と転勤なんか承諾せんからな」 「気持ちはわかるよ。俺も出張でよくいかされるからね」 「お互いろくでもない会社に入ったもんだな、え?」  二人は儀礼的に笑い合った。会話が途切れ、次の話題を出すチャンスが訪れる。日下部はそれを見逃さず、なにげない調子で切り出した。「あくまで仮定の話なんだけど、〈コクーン〉に人が乗ったらどうなるかな」  技術者は目を見開き、口を半開きにしたままフリーズしてしまった。1足す1が2ではないと本気で主張する人間を目の当たりにしたという風情である。「すまん、なにになにを乗せるって?」 「〈コクーン〉に人間をさ」俺だってこんなこた言いたかないんだ、という含みを持たせるのを忘れなかった。 「その手の世迷い言を同じ会社の社員から聞くとは思わなかった」 「ひとつ断っとくけど、俺のアイデアじゃないぜ」 「そうであることを祈るよ」 「で、実際のところどうなる」  料理が運ばれてきた。徳さんには大盛りの天津飯、日下部には麻婆ナスとライス(小)。双方ともにこの店の看板料理として名高い。二人は早速攻略にかかった。レンゲが皿に当たる小気味よい音が機械的に響く。  一気に半分ほど胃に収めたところで、日下部は塩素でばっちり消毒されたありがたい水を飲み干し、ピッチャーから注ぎ足してそれも飲み干した。「どこまで話してたっけ」  男やもめは大盛り天津飯をすでに平らげてしまっていた。技術部の連中は例外なく早食いなのである。「どうもあんまり思い出したくない気がするね、俺は」 「そうそう、〈コクーン〉に人間を乗せられるかどうかだった」 「そりゃ乗せられるだろうよ。ゴールの地球低軌道に着いたとき、中身がどうなってるかを考慮しなけりゃな」 「どうなるかね、正味な話」 「おいしい人肉パイが一丁上がる」  マネージャーは大げさにばんざいしてみせた。「そんなこったろうと思ったよ」 「〈リニア便〉は貨物を宇宙へ放り投げる超伝導スリングショットだ。アメリカ大陸を東から西へ秒速15キロで突っ走って、ホイットニー山の斜面を発射台にして空中へ弾き出される。そのとき脱出速度に達してなけりゃ、着地点に無視できない規模のクレーターが穿たれちまう」あごの無精ひげをしごきながら、「そうならんよう、加速は入念かつ容赦なく行われるわけだ。とても人間が耐えられる衝撃じゃない」 「いまのままなら、だろ。人間さまが搭乗できるよう改造の余地はあるんじゃないのか」 「ないね。動物愛護協会の目を盗みさえすれば、ナマコとかタコなら生きたまま運べるとは思う」なにかを握るしぐさ。「低軌道で寿司屋でもおっぱじめるつもりなのか」 「実は妙な女の子に目をつけられててね」  日下部は洗いざらいぶちまけた。徳さんはタバコ型のキャンディーを口に含みながら(彼の潜在寿命を大きく改善したであろう禁煙用最終兵器である)、ろくに相づちも打たないまま聞いているのやらいないのやら。その目は同情しているのが一目でわかるほどに細められていた。 「で、これが彼女の腹案らしいんだけど」おそるおそる預かっていた図面を見せた。  技術者は気乗りしないようすで端末をひったくり、高架の橋げたにスプレーで吹きつけられた落書きを見るような目つきで眺めていた。そのまま微動だにしなくなったと思ったあたりでみるみる目を見開き、景気よくキャンディーを噛み砕いた。「こいつを持ちこんだ娘さんの名前は」 「森下かすみだったと思う。たぶんだけど」 「森下? どこかで聞いたことある気がするな」徳さんは端末をこつこつと叩き、「それはともかく、くだんの森下嬢は独学でこれを描いたと言ったな」 「彼女の言葉を全面的に信じるならね」 「意外にばかにできんぞ、この案は」徳さんは興奮気味にまくしたて始めた。「〈コクーン〉内の気圧と空気をどうするかは頭の痛い問題になるはずだが、彼女はそれを宇宙服に肩代わりさせる気だ。システムを新たに組み込むより、すでに確立された技術をよそから拝借する。工学の進歩は革新じゃなく、既存技術の改善と組み合わせだってことをよく理解してる証拠さ」  彼は景気づけだと言ってぎょうざを一皿追加注文し、さらに解説を続ける。 「最大の課題はもちろんマッハ40を超える殺人的な加速度だな。こいつをどうするか、この娘がどんな解決策を提案してると思う」 「一応自分でも読んだんだけどな。わけのわからん数式とギリシャ文字がのたくってて持病の頭痛が悪化しちまってね」 「簡単に言うと」ありがたい解説が数世紀ほども続いたあと、徳さんはうんざりしたマネージャーの表情に気づいたのだろう、すまなさそうな笑みを浮かべた。「ポリウレタンの緩衝材をぎっしり詰め込む。これは誰でも思いつきそうだが、超伝導磁石への電力供給を段階的に増やすというのが鍵だな。これは盲点だった」 「それってすごいのか」 「とにかく発想の斬新さに驚かされるね。こんなやつがうちの技術部に就職もせず、野良でぶらぶらしてるとは信じられん。いったい何者なんだ」 「さあ。海運会社に勤めてるとか言ってたけど」 「まったく謎だな。なんであんな罰当たりな業界なんかにいるんだろう」 「知らんよ、俺は彼女の専門家じゃないんだ」  焼きたてほやほやのぎょうざが届き、瞬く間に3個消費された。割り勘を条件に残りの3個を日下部が失敬し、到着1分後には影もかたちもなくなっていた。  壮年男性はミント系のガムを口に放り込み、もぐもぐやり出した。意外にも対人エチケットに気を遣うほうなのだ。「なにかの縁だ、彼女さえよけりゃ技術部に連れてこいよ。細部を検討したい」 「おいおい、まさか本気じゃないだろう」 「本気になっちゃいけない理由でもあるのか?」がっしりとマネージャーの肩を掴む。「これさえうまくいけば、大富豪じゃなくても宇宙へいけるようになるかもしれんのだぞ。お前だってこの業界にいるんだ、地球の外に興味がないとは言わせん」  日下部は絶望した。ここにもまた一人、宇宙狂がいたわけだ。前も後ろも狂人に包囲されているのを悟り、彼は途方に暮れた。  けれども実のところ、この狂人たちを嫌いになれないのだった。
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