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6 VS会長
「孫娘から会いたいと言ってくるなんて妙だと思ってたが」森下氏は渋面を作っている。悪い兆候だ。「後ろに控えてる馬の骨どもはいったい誰なんだね、かすみ」
祖父の家族愛を利用したのはやはり裏目に出たらしい。この案を熱烈に提唱し、強引にかすみに連絡を取らせた日下部へ非難の視線が集中する。攻撃された当人はみるみる縮んでいき、やがて特異点と化してしまった。
森下氏は目をすがめて眉根を寄せた。「よく見たらそいつらはうちの社員じゃないか」
「こないだ辞職したばかりですけどね」日下部はヤケクソで胸を張った。
「ほう、そりゃまたどうして。それなりの待遇は保証してるつもりだが」
「あなたの会社に嫌気が差したんですよ。ダイヤモンドも頭突きで割りかねない石頭どもが多すぎる」
「百歩譲ってうちの社員の悪口は聞かなかったことにするとしても、話が見えてこんな」
すかさずかすみが割り込んだ。「おじいちゃん、最近新事業の提案があったって聞いてないかな」
「そんな話はとんと聞かんな」
日下部と倉本の身を賭したばくちは、会長に報告するまでもないと判断されたのだ。これは屈辱的だった。
「ガイドウェイのレンタル依頼がきてるっていう話も知らない?」
「いいや、いたって平凡な毎日だったぞ。さっきからいったいなんの話なんだね、かすみ」
邂逅当初よりいくぶん態度が軟化しているように見える。この機を逃す手はないとばかりに、日下部は洗いざらいすべてをぶちまけた。孫娘にそそのかされて超伝導棺桶の試案をこしらえたこと、それを経営陣に売り込んだが門前払いを食らったこと、諦めきれずに会社を辞めて独立し、メーカーとの交渉まではまとめたがガイドウェイのレンタルに難航して進退窮まっていること。
「会長がコネを利用するのがお嫌いなのは十分承知してます。それでもあえてかすみさんに頼ったのは、日本支部の渉外担当者がまともにものを考えられないボンクラだと見切りをつけたからです」
誰だって雇用している社員をけなされて愉快になるはずはない。森下氏の表情がわずかに歪んだが、反論はなかった。「続けなさい」
「超伝導棺桶は〈コクーン〉をベースにした輸送ユニットですので、クエンチによる射出失敗はまずありえません」急いでつけ加える。「確かに地球低軌道に到達したとき、中身の人間が五体満足かどうかはまったくべつの話です。でもわれわれは〈オデッセイ〉の社員に実験台になれと言ってるわけじゃないし、仮になんらかの事故が起きてもそれはあくまで製造元である〈森下超伝導棺桶製作所〉の責任です。トラックが事故を起こしたからといって道路そのものが非難されるでしょうか」
森下氏は長いあいだ沈黙していた。歴戦のビジネスマンらしく、表情ひとつ変えずにじっと考え込んでいる。数世紀ほども経ったあと、不意に口を開いた。「図面をいま見せてもらえるかね」
日下部は一矢報いる誘惑に抗しきれなかった。「この試案はわれわれの知的財産です。〈オデッセイ〉がこいつを剽窃しないと確約してくれますか?」
「言ってくれるな。約束しようじゃないか」
徳さんが端末を差し出し、老人が食い入るように魅入っているすきに、日下部と倉本は顔を見合わせた。忍び笑いが漏れ、ごく控えめにハイタッチが交わされた。ささやかな勝利である。
「どうです会長」待ちきれぬようすで技術者が急かす。「俺とあんたの孫娘でこしらえた会心の一作ですぜ」
反応はなかった。またぞろ数世紀ほども経ったころにぽつりと、「悪くないな」
徳さんは飛び上がってぱちりと指を鳴らした。「そうでしょうが!」
「ひとつ聞きたいんだが、こいつをメインで描いたのはどっちなんだね」
「そりゃあんたの孫娘ですよ」彼はためらいなく宣言した。
「おじいちゃん、ちがうからね。徳さんがブラッシュアップしてくれなかったらあたしの案なんて、文字通りの棺桶になってたんだから」
それから二人のあいだで手柄の押しつけ合いがおっぱじまり、それは見かねた森下氏が苦笑しながら介入するまで続いた。「わかったわかった。二人の合作ということにしよう」
当の二人は不満そうだったが、ともかく第一次手柄戦争は森下氏の仲立ちによって休戦協定が結ばれた。おそらく今後も折りに触れて、この戦争は勃発し続けるだろう。
「これだけじっくり実機の図面を練ったきみらのことだ、当然資金は集まってるんだろうね」
「聞かれるまでもないですよ、会長」と倉本。
「ふむ、倉本くんほどの男にかかればそのくらいは朝飯前ということかね」
「白状すれば、少々〈オデッセイ〉の投資顧客にもちょっかいを出しましたが」
日下部は目を丸くして上司のほうを見た。当の本人はいたって涼しい顔、あたかも明日の天気を話題にしているかのよう。これはあえて公表しなくてもよい情報である。まずくすれば老人の怒りを買って交渉がご破算になりかねない。
だが心配は杞憂に終わった。森下氏が大笑いを始めたのである。全員が笑いどころを見つけられないでいるうちに、種明かしがなされた。「まったくとんでもないやつらだ。人の顧客を横取りするとはいい度胸じゃないか、え?」
「お褒めに与りまして光栄です」倉本は大仰な身ぶりで一礼してみせた。
「独立するならそれくらいのファイトがなきゃいかん。わたしも〈オデッセイ〉の前身を作ったとき、それくらいのことはいくらでもやったもんさ」
「妻子を養う身ですので、手段は選べなかったんです」
「よし、ますます気に入った」
「おじいちゃん、じゃあ……?」
「最後にひとつ。仮に試射にこぎつけたとして、この超伝導棺桶とやらに乗り込む自殺志願者のあてはあるのかね」
かすみの顔がほころんだ。「もちろんあるよ」
会長は片眉を上げた。「ほう?」
全員がいっせいに同じタイミングで立ち上がり、名乗りを上げた。
「あたしがいきます」
「俺がいきます」
「ぼくがいきます」
「俺がいくぞ」
その後はもうメタメタだった。乱闘寸前まで口論がヒートアップし、設計者権限をちらつかせた徳さんの態度が癪に障ったのだろう、温厚であるはずの倉本が胸ぐらを掴んで一触即発の事態に発展しかねないところまでいった。
このやり取りを黙って見ていられるほど日下部もお人好しではない。この二人はまるで自分たち以外は試作機に乗る権利がないかのようにふるまっている。いまの掴み合いが事実上の優勝決定戦のつもりでいやがるのだ。
二人の決闘に若手が加わって三つ巴の睨み合いになったところで、今度はかすみが蚊帳の外に放り出されたかっこうになる。結局彼女も交えての、ウエイトどころか男女別すらない完全無差別級のリアルファイトに発展するかと思われたその瞬間、例によって年長者が介入してくれた。
「わかったわかった。候補者が定員オーバーするほどいるのは喜ばしいことだ。計画に支障はないわけだから」
「いいや、ありますね」興奮も冷めやらぬ日下部が、憤然と鼻から息を吐いた。「このでしゃばり屋どもが翻意しない限り、連中はろくに眠ることすらできないでしょうよ」
「おい坊主、それはどういう意味だ」徳さんが凄味を効かせた。
「あんたがばか面さらしてすやすやおねんねしてる隙に、正義の名のもとに天誅が下される可能性があるという意味ですよ」
「やれるもんならやってみろよ。そっちがその気なら、俺は枕元に切れ味抜群の匕首を忍ばせていつでも返り討ちに――」
「二人とも、やめんか!」
雷がすぐとなりに落ちたかのようだった。二人は顔を見合わせ、おとなしく口をつぐんだ。もう長いこと人からフルパワーで怒鳴られることがなかったので、面食らってまごついてしまったのだ。
「誰が一号機に乗るにせよ」あれだけ大規模な落雷を発生させたとは思えないほど、老人はもう落ち着いていた。「その結果がかんばしくないものに終わるにせよ、きみらの資金が枯渇しない限りわたしはガイドウェイを貸与すると約束する。だからつまらん諍いで仲間割れするのはやめろ。いいな」
日下部は素直に反省した。「すいませんでした」
「よろしい。これでなにも問題はなくなったな」
「じゃあ結局、協力してくれるってこと?」
「孫娘には悪いが、もちろんタダでとは言っとらんぞ。わたしが妥当だと思うレンタル料はちゃんと払ってもらう」
「当たり前でしょ」かすみは不敵な笑みを浮かべた。「もし家族割だなんて言い出したらあたし、おじいちゃんを軽蔑したからね」
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