7 超伝導棺桶、翔ぶ

1/1
前へ
/9ページ
次へ

7 超伝導棺桶、翔ぶ

「俺はまだ納得してないし、今後も永遠に納得することはないだろう」日下部はこの期におよんでもなお、ねちねちやっている。「森下がプロトタイプに乗れるのはひとえにみんなの厚意からであって、決して――」 「もういいから坊主、ちょっと黙れよ」 「徳さんの言う通りだぞ、日下部くん。三人で話し合って満場一致でかすみさんにいってもらおうって決まったじゃないか」 「聖人のふりをするのはやめてもらいたいもんですね。二人とも直前でビビったってなぜ認めないんです」 「坊主、誰がビビってると思うのかもういっぺん言ってみろ」 「ぼくもぜひお聞かせ願いたいね」 「三人とも、やめんか!」  オブサーバーとして居合わせた森下氏から雷が落とされた。三人はいっせいに不動の姿勢をとり、さっと敬礼する。「アイ・アイ・サー」 「マッハ45にこれからさらされる人間を気持ちよく送り出してやることすらできんほど、きみらの脳みそは退化しとるのかね」  日下部はばつが悪そうに頭を掻き、独り言をつぶやいた。「これからそうしようとしてたんだけどな」  メーカーでの超伝導棺桶の組み立てが終わり、会長直々の一声でガイドウェイの運行スケジュールに空きが作られた結果、ついにプロトタイプ試射の日がやってきた。合衆国ジャクソンヴィル港に五人は集結し、発射準備が終わるのをいまかいまかと待ち受けているのだった。  血と涙の結晶である超伝導棺桶は、内部に据えつけられた超伝導磁石によって何万ガウスもの磁力を発生しており、マイスナー効果によって空中に静止している(日下部はこの冗談みたいな光景を眺めるたびに、ある種の畏怖を感じずにはいられない)。あとは脚立を立てかけて乗り込み、身体を固定すればそれで準備完了だ。 「日下部さん、ちょっとこっちきて」テストパイロットが招き猫よろしく手招きしている。  彼は訝しみながらもそれにしたがった。「なんだよいったい。ビビって小便でも漏らしたのか」 「本気で怒りますよ」 「悪かったよ。それでこそこそとなんの話なんだ」  彼女はなにやらためらっている。視線が右に左に、大型回遊魚のようにせわしなく泳いでいる。「あのう日下部さん、本当にありがとう」  彼はすっかり面食らって二の句が継げない。「いまのおふざけにはどんな邪悪な意図が隠されてるんだ」 「他意はないんです。そのまんまの意味」 「すまん、そのままと言われても感謝される筋合いを思いつけん」 「あたしのわがままにとことん付き合ってくれましたよね。会社まで辞めちゃって、あたしどう責任取ろうかってひやひやしてるんですよ」 「九つも下の女の子に人生を心配されるほど、俺は落ちぶれちゃいないぞ」わざと横柄そうに答えたものの、彼は感激していた。「俺よりおっさん二人組のゆくすえを案じてやってほしいね。ああ見えて妻子持ちなんだから」 「もちろん倉本さんと徳さんにも感謝はしてます。でもやっぱりあたしにとって、日下部さんは特別なの」 「特別ねえ」必死にいまの発言に他意はないと自分に言い聞かせる。「ありがたいこった」 「日下部さんは迷惑だったかもしれないけど、あたしは日下部さんに出会えてほんとによかったって思ってます」 「おいおい、まるでこれから死出の旅路につくような言いぐさじゃないか」 「もしかしたらそうなるかもしれないでしょ。だからあたし、言いたいことは全部言っておくことにしたんです」  彼は本能的に守りに入った。「大丈夫、きっと生きて低軌道に辿り着くさ」 「聞いてください、あたし――」 「おーい、出発準備整ったぞ!」森下氏が大きく手を振っている。「逢引きもそのへんにしとけ」 「えへへ、逢引きだって」はた目にも彼女は残念そうだった。「もういかなきゃ」  小走りに駆けていく愛すべき妙齢の女性を見つめながら、日下部はデリカシーゼロの会長どのに深謝したのだった。      *     *     *  かくして発射準備は整った。  テストパイロットはポリウレタン製の緩衝材(体型に合わせたオーダーメイド品)にすっぽり包まれ、しきりにまばたきをくり返している。 「考え直す最後のチャンスだぞ。こいつは徳さんと森下の知力の結晶かもしれんが、残念ながら当の二人のおつむは世界最高峰じゃない」 「日下部さん、あたしもう決めたんです」  二人はしばし、黙したまま相対した。彼女の瞳の奥にはなにかが燃えている。それは揺るぎない決意かもしれない。「いまなら代わってやらんでもないが」  返答はなかった。凛とした瞳が彼を射抜く。テコどころかガントリークレーンでも動きそうにない。そっと肩を叩いた。「がんばれよ」  後ろを振り返ることなく、日下部は人いきれで定員オーバーの管制室に身体を押し込んだ。ただでさえ狭いパーソナルスペースがさらなる圧迫を受けたせいか、ほうぼうから悪態が漏れる。 「〈コクーン〉発射準備OK。秒読み開始」  管制官は迷惑そうに後ろの連中を振り返りながら業務にあたっている。彼からすればどこの馬の骨ともわからぬ手合いが押しかけてきて、背後からやいのやいのとまくし立てられているのだ、不機嫌になるのも無理はない。  だが日下部はおかまいなしにくちばしを突っ込み続けた。運行は基本的にオートとはいえ、発射までは管制官が超電導磁石の電圧をコントロールするのである。やつのミスで過負荷がかかればクエンチもありうるだろう。その瞬間、冗談交じりにつけられた名前に真実味が付加されるのである。 「3、2、1――発射!」  宣言と同時に、さっきまで目前に浮かんでいた球形ユニットが瞬時にして姿を消した。初速が遅いとユニットは自重を支えきれずに地面と衝突してしまう。中身には悪いがどうしてもしょっぱなからぶっ飛ばさねばならない。 「第1ポイント通過」 「どんなようすだ。ジェットコースターみたいなもんか」マネージャーは無線に向かって怒鳴った。 “イヤフォンしてるの忘れてるでしょ。無防備な女の子の鼓膜破るのが趣味なんですか” 「すまん、つい。――で、どうなんだ」 “いまのところは急ブレーキくらいのGかな” 「ライアンさん、棺桶のスピードは」 「まだ出だしですからね、時速700マイルでのんびり流してますよ」管制官は首の凝りをほぐした。「まだまだこれから、これから」  早くも日下部は後悔し始めていた。くそ、なぜ俺は騎士道精神なんぞを発揮して彼女をいかせたりしたんだ? 「第2ポイント通過」 「さっきから静かだが、まさか死んじまったなんて落ちじゃないだろうな」  しばしの間。“あたしはもともとピーチクさえずらない深窓の令嬢タイプなんです”  心なしか苦しそうな声音だった。ライアン氏の肩を掴んで乱暴に揺さぶる。「管制官さんよ、ちゃんと操作してるんだろうな」  迷惑そうに手を払った。「わたしはなにもやってませんよ」 「なんだと。いまなんて言った」 「もと〈オデッセイ〉社員だったのなら当然知ってるはずですよ。運行は基本的にフルオート。今回はパイロットに配慮して段階的に加速をかけていくようプログラムしてあるってだけでね」 「そうだったな、すまん」  人間のオペレータは体面上着席しているけれども、それは社則の安全基準でそう定められているからにすぎない。もしライアン氏がマニュアルで運行管理をしていたら、いまごろ超伝導棺桶は上の3文字を削除された不吉なしろものと化していただろう。 「第3ポイント通過」 「速度は」と倉本。 「みなさんうちの社員だったんでしょうが。退職と同時にスピードメーターの位置を忘れなきゃいけない理由でもあるんですか」  もっともな指摘だった。ちらりとモニタの端に目をやる。時速13,000マイル。すでにマッハ17である。 「どうだい、超音速機をはるかにしのいでる気分は」  返答はなかった。いやな汗が這い下りる。「おい、聞こえてるか!」 “鼓膜の形成手術代、払ってもらうからね”勇ましい台詞とは裏腹に、声はかすれて弱々しい。 「正直に申告しろ。耐えられないようならいますぐそう言え。まだ降りられる」ライアン氏のほうを向いて、「そうだな管制官」  彼は厳かにうなずいた。 “ぜんぜん平気”言ったそばからうめき声が漏れた。“もし勝手に止めたらあたし、一生恨むから” 「よく聞くんだ。森下が死んだらプロジェクトの今後に差し支える。超伝導棺桶を一般に膾炙させるためにも、正確にいまの状態を教えてくれ」  返答はなかった。死んだのか、それともへそを曲げて貝のように口を閉ざしているのか。どちらにせよまずい。  数世紀ほども経ったあと、だしぬけにスピーカーから弱々しい声が漏れてきた。“信じられないくらいつらいです。さっきから何回も意識を失ってます。痛みですぐに目が覚めるんですけど。こうやって話してるのもしんどい”  瞬時に三人は目を見交わした。聞かなくてもわかる。彼らは止めるべきだと思っている。日下部もまったく同意見であった。モニタに視線を移すと、時速25,000マイルである。およそマッハ33。まだ最終速度にすら達していないにもかかわらず、彼女は明らかに死にかけているのだ。もう我慢できない。 「ライアンさん、いますぐ止めてくれ」 “聞こえましたよ。そんなことしたら末代まで祟るから”  頭にかっと血が昇った。「なんで強情を張るんだ。今回とれたデータを見直してフィードバックさせる。それからやり直したって遅くないだろう」 “この試射を途中でやめたら、投資家たちは失敗とみなします。ケチのついたプロジェクトに無条件で出資してくれるほど、彼らは寛容でしょうか”  日下部はいまいましげにうなった。まったくおっしゃる通りなのだ。「かもしれん。だがそのために森下が命を捨てるのはばかげてるぞ」 “あたしのわがままでみんなの人生を狂わせちゃったんです。このプロジェクトは絶対に成功させないとだめなんです”  嗚咽が漏れた。振り向くと倉本と徳さんが涙を堪えて歯を食いしばっている。 「俺たちはたとえこいつがコケたとしても、独立独歩でやっていける。薄汚いおっさんたちのために死ぬこたないんだ」管制官の肩に爪を食いこませた。「なにぼさっととしてる、いますぐこいつを止めろ!」 「無理です。すでに第4ポイントをすぎてます」彼は振り返って釈明する勇気がないらしく、モニタを見つめたまま独り言のようにつぶやいた。「マッハ41。停止限界を超えました」 「日下部くん、信じようじゃないか」いままで押し黙っていた森下氏が、彼の肩に手を置いた。「きみらは超伝導棺桶に全精力を注ぎ込んだ。きっと成功するさ」  手を払いのけ、彼は怒鳴った。「あんたの孫娘だろうが。なんで平静でいられるんだ。あんたには心ってもんがないのか」 「孫娘だからこそさ。わたしはかすみを信じている。いや」三人を手振りで指し示し、「ここにいる全員をだ」  管制室は静まり返った。聞こえてくるのは機械の稼働するかすかなハム音のみ。 「第5ポイント通過。マッハ45に達しました」沈黙を破るのが畏れ多いとでもいうかのように、ライアン氏の声は消え入りそうだった。 “どうしたんですか、みんな黙っちゃって” 「生きてたのか!」 “この通り、ピンピンしてますよ”  声の調子から判断する限り、彼女は台詞と対極のコンディションなのがわかった。日下部は胸をしめつけられる思いだった。「がんばれ、もう少しで打ち上げだぞ」 「第6ポイント、ホイットニー山への急カーヴです」 〈リニア便〉はロケットと同様、地球の自転エネルギーを活用するため東に向かって射出される。いままではジャクソンヴィルから一路西へ向かって進んでいたのだが、そのままでは当然西向きに打ち出されて運動エネルギーの損失を招く。それを防ぐため、直前で大きく百八十度カーヴを切る地点があるのだ。通常の貨物ですらラッシングが甘いと、ここでメタメタになることがままある。 「最後の難関だ。どうにか堪えてくれ」 「ホイットニー・カーヴ通過中」  スピーカーからかすみの苦痛にもだえるうめきが聞こえたような気がした。目を固く閉じて祈る。日下部は筋金入りの無神論者であったが、その彼ですら神仏にすがった。  永遠とも思える時間が、粘性を持っているかのようにねっとりとすぎた。死のような沈黙のなか、管制官が厳かに宣言する。「カーヴ通過。ホイットニー・ランチャーに到達します。およそ5秒後」 「聞いたか、いちばん苦しいところは終わった。がんばれ、もう少しだ」  かすみが不気味に沈黙し続けるなか、それでもかまわずに激励し続ける。 「ホイットニー・ランチャーを通過。ガイドウェイより射出」  全員が固唾を飲んで見守る。いま超伝導棺桶は猛烈な勢いで宙に放り出され、いままでため込んだ運動エネルギーを位置エネルギーに変換しているのだ。  日下部は爪の痕が残るほどに固く両手を握りしめ、心中で絶叫していた。いけ、振り切れ、地球の重力をぶっちぎれ! 「高度15,000フィート。〈コクーン〉依然上昇中」  もう誰も口を開かなくなった。 「高度33,000フィート。対流圏を突破」  日下部にはありありとかすみの見ているであろう光景が想像できた。雲がちな代わり映えのしない空が、徐々に目の覚めるような青一色になっていくのを。 「高度30マイル。成層圏突破」  いまや空は青から紫へと濃くなっていっているはずだ。そして見るがいい、いまきらりと光ったのは星の光ではないか? まだ午前11時だというのに星が見えるのだ。 「高度50マイル。熱圏突破」  空はすっかり暗くなり、もはや地球表層というよりほとんど宇宙である。スペクトル分布のお手本のように、空が青から紫、さらに黒へと変化するさまはどれほどすばらしいショーだろうか。もっと彼女は興奮していろいろまくし立てるべきだ。貝のように押し黙っているのは感受性に重大な瑕疵があるとしか思えない。 「高度125マイル。周回軌道に乗りました!」仕事と割り切っていたようすのライアン氏ですら、このときばかりは快哉を叫んだ。「打ち上げ成功です」 「かすみ、聞こえるか。いま超伝導棺桶は人工衛星になったんだぞ」涙は滂沱のごとく、日下部の頬を伝っている。「成功だ。俺たちはやってのけたんだ」  返答はなかった。と思った矢先、スピーカーから蚊の鳴くような声が漏れ始める。“ほんとですか。いまあたし、宇宙にいるの?”  青年の顔は涙と鼻水で二目と見られたものではない。「なんで黙ってやがった」 “たぶん失神してたんだと思います” 「とにかく生きてるんだな。どこか痛いところはないか」 “全身”すぐにつけ加えた。“でも五体満足ですよ” 「よかった」安堵のあまり、彼はそのまま空気中に分解していきそうな気分だった。「本当によかった」 「孫娘よ、一仕事終えたところ悪いが、なにが見えるか教えてくれんか」  しばしの間。“いままでいちばんきれいだと思った夜空を挙げてみて、おじいちゃん”  森下氏はあごに手を添えた。「若いころに登った槍ヶ岳の肩から見たやつかね」 “あたしもそれ、見たことある”スピーカーの向こうから隠し切れない興奮が伝わってくる。“あんなの湿った花火だよ、低軌道から見る星空に比べたらね”  この一言が起爆剤になり、管制室は興奮のるつぼと化した。誰彼かまわずやたらに背中をどやしつけ合い、ライアン氏などは手加減なしの一撃をもらって目を白黒させている。 “いまいちばん哀れな人たちが誰かわかりますか。超伝導棺桶開発に携わったにもかかわらず、下で阿呆面さらしてるみなさんですよ” 「もう我慢できん」日下部は雄叫びをあげ、徳さんの胸ぐらを掴んだ。「予備として二号機が作ってあっただろう、あいつをいますぐ起動するんだ」 「無茶を言うな、無茶を。調整するべきパラメータが多すぎる」  日下部はなにやら端末に口述筆記させている。「よし、遺言状と誓約書の作成は終わった。弁護士にも送付ずみだ。仮に俺がくたばっても徳さんのせいにはならん」  技術者は肩をすくめた。「勝手にしてくれ。どうなっても知らんぞ」  中身が身体の節々をめちゃめちゃに傷めながらも、2機めの超伝導棺桶が無事、低軌道に打ち上げられた。打ち上げのタイミングを調整することにより、約1時間半で地球を一周しているかすみ機にほど近い位置にそれは落ち着いた。 “やっほー。堪えきれなかったの?” “あれだけ煽られて動かなきゃ、真の宇宙バカとは言えんだろうが”がっちりラッシングされていたので肩はすくめられなかった。“もっともこれほどひどいと知ってれば、思いとどまっただろうがね” “でもきてよかったでしょ” “いまの愚問に答える必要性を感じないね”  しばしの沈黙。やがて意を決したように、“いまあたし、最高の気分です” “そうじゃなきゃ嘘だ” “こういうときって、やたらに口が軽くなりますよね。そうじゃない?” “過去に犯した殺人でも告白するつもりかね” “あいにく善良な人間の見本みたいな人生なので”声のトーンが変わった。“でも半分正解。あたし告白したいことがあります” “待て、先に言わせろ”慌てて割り込んだ。“かすみ、好きだ”  死のような沈黙が訪れた。自信たっぷりだった彼の顔色は、無情にも過ぎ去っていく時間に比例してどんどん青ざめていく。もしかしてやらかしたのか? “大丈夫ですよ”忍び笑いが漏れ聞こえてくる。“あたしも日下部さんのこと、好き”
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加