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「この度、諸事情でSNSを引退することになりました。来週までにはアカウントを消す予定ですので、その間に御用のある方はご連絡いただければ幸いです」
日課のSNSを開いて飛び込んできた言葉に私は絶句した。
彼女の言葉に何人かがすでにレスポンスを付けていた。
『そんな~!!! ミカゲさんやめちゃうんですか~!?』
『ミカゲさんの紹介レビュー好きでした……』
『せめて、アカウントだけ残してくださいませんか? ミカゲさんの紹介文が好きなんです』
ハンドルネーム『ミカゲ』。通称ミカゲさん。
成人済み東京在住の読書家。と、プロフィールには書いてある。
私が『輪舞パーリィ』として作家活動を始めたとき最初に感想をくれて、作品を発表するたびに感想をくれていた人。
その人がSNSをやめたら私は……。
「貴女のために書いていたのに、私はこれから誰のために書けばいいの?」
顔も声も住んでいるところも知らないけど私は貴女が送ってくれる言葉が好きだった。
貴女の言葉が欲しくて小説を書くようになっていた。
私の心に隕石が落ちてきたかのように大きな穴が開いてしまった。
「ああ……」
私は両手で顔を覆いながらベッドに倒れ込んだ。
ミカゲさん。どうしてなの? この四年、欠かさず私の小説に感想をくれたミカゲさん。
小説の宣伝を手伝ってくれていたミカゲさん。
SNSを見るとミカゲさんのアイコンのニコちゃんウサギが笑っている。
うう……。嫌だ。ミカゲさんがいなくなっちゃうのは嫌だ。
ベッドの上で自分が大人であることを忘れたかのように私は泣きじゃくった。
私が輪舞パーリィとして小説を書き始めたときからミカゲさんはWeb小説の読者だった。
読む専門の人、通称『読み専』のミカゲさんはいろんな作品にも感想を送っていた。
その中でも私の小説はとくに気に入ってくれていたらしく、毎回五スクロールくらいしないと全文が見られないくらいの感想を書いてくれていた。
ミカゲさん何で急にSNSをやめるって言い出したの……。
親バレ? でも大人だしな……。
私なんてSNSは親バレしてるし小説まで読まれているし、親戚まで見ているし。もはや恥ずかしいモノなんてないくらいだよ。
会社バレ? リア友バレ? ああ! わからない。
まさか、結婚……? 絶対に無いと思いたい。
恋人の匂わせだって無かったし、そもそもミカゲさんって本の話題しかしないから家族構成も何の仕事してる人なのかもわからない。たまに「仕事でツラかったのでご褒美」って言ってやっぱり買った本の写真上げてるだけで、マジでわかんない。
ミカゲさんマジでわかんないよ。
こんなに好きなのに私、ミカゲさんのこと何も知らなかった。
SNSの履歴を遡ってもミカゲさんが女性で、大卒で、会社勤めで、20代半ばで、読書と映画好きということしかわからなかった。
私は彼女のことをもっと知りたい。
どんな生活をしているのか、どんな学生生活を送っていたのか、私が常にミカゲさんを意識しているように、彼女も私のことだけを考えていてほしいとさえ思うようになっていた。
毎日じゃなくて良い。一日にほんの数分だけでも彼女の生活の一部になりたい。
いつの間にか彼女の時間を私は小説という形で奪うことに執着していた。
もちろん小説は好きで書いている。
そこでミカゲさんが好きな要素を徐々に加えていった。
加えていくごとにミカゲさんの感想文は長く、そして、情熱的になっていった。
彼女の好きな要素を入れていくことで私がミカゲさんのために書いていることをメッセージとして送っていたのだ。
ミカゲさんの喜ぶ反応が見たくてどんどん過激な要素を追加していき作品のマニアックさが増していった。
不思議と閲覧数は上がった。
ミカゲさん以外にも私の作品を好きだと言ってくれる人がいる。
もちろん、その人たちのことも好きだ。
でも、ミカゲさんだけはどうしても特別な気持ちで見てしまっている自分がいた。
それは恋にも似ていたかもしれない。
いや、恋だったのだろう。
ミカゲさんは日ごろのSNSのコメントから私と年齢はそんなに離れていないと推測できる。
実際に会って感想とか訊きたい。
そうなるとかなりセンシティブな内容になるだろう。
そうなると場所は『あそこ』が良い。
防音設備完璧で二人きりで誰にも邪魔されずにお話ができるから『ラブホ』しかないわ。
早速、ミカゲさんのSNSにダイレクトメールを送ってみた。
『ミカゲさん お世話になります。輪舞パーリィです。ミカゲさんがSNSをお辞めになると知ってとてもショックを受けました。そこで提案なのですが、もしよろしければお会いしませんか? 私も東京在住なので会いに行くことは可能です。いかがでしょうか? お返事をお待ちしております。 輪舞パーリィ拝』
よし、できた。ダイレクトメールだから返事に時間がかかるだろう。
とりあえず、お昼にでもするかと思った矢先に返信が帰ってきた。
「はやいな!」
『輪舞パーリィさんからメールを貰えると思っていなくて涙が止まりません! 私もぜひお会いしたいです! 日程は平日以外なら大丈夫です!』
『それでは来週の土曜日にしましょう。場所なのですが……』
◇
緊張してきたな。あのときは勢いでメール送っちゃったけど、あとからいろいろと悩んだけど、この気持ちは抑えきれない。それにミカゲさんも『喜んで!』と送っていた。
一対一のオフ会は初めてだ。
そもそもオフ会したことない。
オフ会当日。私は遠足の前日に眠れなかった子どものように目をランランと輝かせていた。オフ会、しかも憧れのミカゲさんと……である。
オフ会用に服を買い、美容室へ行った。
さすがに痩せる暇はなかったけど、着やせするタイプだから大丈夫だろ。
そう考えてる内にミカゲさんがやってきた。
大人の女性と子どもっぽさを交えた印象で、薄いピンクのワンピースを来た可愛いらしい女性だった。
ミカゲさんを目にしたとき、そこだけ輝いていたかのように見えた。
傍から見たら女が女と待ち合わせをしてたようにしか見えないのだろう。事実そうだ。
しかし、これは長年の遠距離がなせる業。
知っているのに、知らない者同士の初対面の喜び。
ネットの向こうに人がいたんだと思わせる感動的瞬間なのである。
私たちは出会った瞬間、前世の恋人同士の再会を果たしたかのように抱き合った。
そして、私の提案した『ある場所』へ行き、お互いの思いをぶつけた。
◇
ミカゲさんはモジモジしながら私の作品の感想を述べてくれた。
「私……あの、輪舞パーリィさんの作品読んでいつも濡れてました……」
「わ、私も! ミカゲさんの感想レビュー読んで濡れてました!」
「えええ!? あ、あああありがとうございます……。でも、感想レビューですよ!?」
「読んで、どこで悶えたとか書いてあったりすると、その、私の作品で……その……してくれてるのかな……って想像して……」
お互い謎の告白合戦で顔が真っ赤だ。
「ええ。実は濡れてるだけじゃなく、パーリィさんの作品で致しておりました……」
「わあ、本当ですか! 嬉しいです!」
これは作者として言われて最上級の賛辞ではないだろうか。
「私の性的嗜好を全て満たしてくれる作品となかなか廻り会うことがなく、偶然見つけたのがパーリィさんの作品でした。SM獣姦ふたなりリョナ失禁……これら全てを満たした小説作品でしかも純愛百合というジャンルで私に合ったものが中々無くて……」
見に余る絶賛に私は、もう眩暈すら覚えていた。
押し寄せる感激で声に吐息と潤みも帯てくる。
「ネットという広大な海で私の作品を見つけて頂けて光栄であります」
「私『性獣王サディスティック・ウルフ 涙の発情編』がとくに好きです。他の女に流されて一発ヤってしまったネコミにタチネが憤り、拷問に近いSMプレイから始まって、実は狼族の末裔だったタチネが男性器付き狼になって、獣姦。さらに、野生化が加速してネコミの肩を噛みちぎり、痛みのあまりに失禁したネコミのおしっこの匂いを嗅いで正気に戻ったタチネが涙を流して咆哮する描写でその……イってしまいました……」
そのシーンを思い出しながらミカゲさんは口元を手で覆い涙を流している。
目の前でそこまでの反応をされると、こっちも書いたかいがあるというものだ。
「あれは私もお気に入りの作品です。私も書きながら濡れてしまいましから」
「え、じゃあ、ひょっとして」
「右手でキーボードを打ち、左手で致しておりました」
「さすがパーリィ先生! とても器用ですね! ところでサディスティック・ウルフのアイディアはどこから?」
「友達のペットのシベリアンハスキーに襲われたときを思い出しながら書きましたね」
「友達のペットのシベリアンハスキーと獣姦を!?」
「はは。違います」
私は笑いながら真顔で答えた。
「あの犬、私が来た途端に私を押し倒してハッハッと腰振ってただけです。 ズボン穿いてましたから大事なかったです」
「惜しかったですね……」
「惜しくないです」
ミカゲさんは少し変わったお人だ。おもしれー女。
ミカゲさんは何やらモジモジし始めた。おしっこかな。
そういえばミカゲさんは失禁フェチでもあったな。
「あの……パーリィさん。私、濡れてきてしまいました……」
「なんと!」
「その、しませんか?」
「すると言うのは……」
「もう! 決まってるじゃないですか!」
「ミカゲさん! これはオフパコじゃないんです! 健全な交流!」
「健全ならホテルを選ばないでください!」
ミカゲさんは私に抱き着いてきた。
「私をパーリィさんの小説みたいにしてください……! 道具は自前のありますから!」
「なんでオフ会に持ってきてるんですか!?」
「だってラブホってことはそういうことすると思うじゃないですか!」
「ラブホにしたのは完全防音と二人っきりで邪魔されずにお話をするためです!」
「ならカラオケでも良かったじゃないですか!」
「あ、そうか!」
「もう遅いですよ……抱いてください……」
私はとんでもないことをしでかしていたようだ。
どうせ自分の片思いだしという諦めで深いことをまったく考えていなかったのと自分の心のどこかで女同士だしという油断があったかもしれない。
こんなにも自分が思われていたとは思わなかった。
作家とファンとしての関係であるまじき行為。
これは禁断の恋。
禁断の両想い。
あ、なんか今、小説のアイディア思い付いた。
いや、そんなことよりもまず目の前の状況だ。
「ミカゲさん!」
「はい!」
「先にシャワー浴びましょう!」
「一緒にですか!」
「いえ! 一人ずつ清めましょう!」
「一緒じゃ……ダメですか?」
「ダメじゃなくもなくもないんですけど理性的な問題というか」
「わわわかりました! 理性的問題なんですね!」
「ということでお先にシャワーを浴びて下さい」
「はい!」
シャワーを浴びに行ったミカゲさんを尻目に自分は何をしているんだと自問自答した。
これはいけないことなのか?
ミカゲさんのことまだ知らないの早くもこんな展開になっていいのか。
ああ。頭が回らない。こんなときアンパンがあれば。
どうでもいいことだが、私は創作のお供には常にアンパンを食べている勇気と性欲がもりもり湧くからだ。
シャワーの音が聴こえてきたときシャワー室が透け透けであることに気付いた。
イカン! ラブホガラス特有のマジックミラーだ! これはミカゲさんに教えねば!
私はマジックミラーの透け透けシャワー室に向かってマジックミラーが透け透けであることをジェスチャーで伝えた。
マジックミラーはスイッチ一つで透け透けから見えなくなるのだ。
ミカゲさん、シャワーに浴びるのに夢中で全く気付かない!
く、どうしたら……って私がスイッチ入れてあげればいいか。
さっきのジェスチャーの無意味さよ。
スイッチを入れてミカゲさんが見えなくなったと思ったら裸のミカゲさんが目の前にいた。
裸のミカゲさんが私に言った。
「……もう。わざと見せてたんですよ?」
「え、マジ?」
ムードの無い返事をしてしまった。
情けないぞ、私。それでも文章を書く人間か。
「でもジェスチャー面白かったです」
「もー、知ってたなら言えよなー、このぉ♪」
軽く小突くポーズを取る。
こういう時は。おどけてみせるのが宜しかろう。
もはやテンションが迷子である。
今度は私が裸になってシャワー浴びつつ、今更ながらに自分の肉周りを気にする。
……うーん。ぷにぷにする。
ミカゲさんも極端にスタイル良いわけではないが無駄がない体型をしている。私の肉と合体したらバランスが取れるのではないか。
ひょっとして実物の私を見たミカゲさんは明るくふるまっているが内心はガッカリしてるのではないか。
私の小説に出てくる高身長、高収入、高学歴美女を期待していたのではないか。ミカゲさんの容姿は私の推理力をもってすれば事前に予想することはできたが、そう考えてると不安になり、思わず背中に摩擦火傷が起きるんじゃないかと思うほど垢すりで洗った。
背中が痛い。
バスローブを着て出るとミカゲさんは何やら読んでいた。
本当に読書が好きな人なんだな……と思って見たら……。
「ミカゲさん……それは?」
「輪舞パーリィ先生作品集です!」
「うお! あの幻の! ウチに百部くらい余ってるやつ! 持ってる人初めて見た!」
「良ければサインください!」
「サササイン!? でもペンがない!」
「あります!」
「ミカゲさん、かたじけない!」
サインを書いたことがなかった私は、ネームプレートに書くように『輪舞パーリィ』と書いた。
恥ずかしい。名前をもう少し考えるべきだったかとも思ったが喜んでいるミカゲさんを見ると結果オーライとも思えるものだ。
「一生、宝物にします!」
自分のサインでここまで言われたことがないから嬉しいというより奇妙な感じである。
私を好きでいてくれる人がここにいたんだ。
思わず鼻をすすった。
ミカゲさんはまたモジモジして鞄から何やら取り出してきた。
「パーリィ先生! ぜひ、これもお願いします!」
「こ、これは!?」
ハチマキと極太ディルド二本、電マ二本を渡された。
「あの『三十人イカせ村のイカセ』の恰好をぜひ、パーリィ先生に!」
「え! あれは私が輪舞パーリィを名乗る以前の作品で、もはや黒歴史の、ペンネーム『法無死苦』時代の作品! わ、わかりました!」
彼女の喜ぶ顔が見たくて、私は早速やってみた。
三十人イカせ村。
どうかしてしまったイカセという女が裸の上にバスローブで頭にハチマキを巻、そのハチマキの両サイドに極太ディルドを挟み、両手には極太ロング両頭電マを持って村の女を三十人イカセるという怪奇小説だ。
自分の作品のコスプレを自分がするとは思わなかった。
コスプレは簡単だった。もはやコスプレですらない。
「すごい! イメージ通りです!」
「そ、そう?」
喜んで鏡を見たら変質者がいた。
頭にディルド、両手に電マというもはや妖怪である。
自分で生み出したキャラとはいえ悪夢のようなビジュアルだった。
これを正直カッコイイと思っていた私は何だったんだ。
自分は何をやっているんだと思い悩みかけたときミカゲさんに抱き着かれた。
「ミカゲさん……?」
「素敵……抱いて……」
「ミカゲさん……」
今しかないと思い、私は思い切って聞いた。
「どうしてSNSをやめるなんてことを?」
私に抱き着いたまま、顔を上げずに言った。
「私……作品はもちろんなんですけど、輪舞パーリィさんを好きになってしまったのです……」
「え……す、好きなのになぜ?」
「好きだからやめたいんです! だってこれ以上パーリィさんに惚れたら私が壊れてしまいそうで……」
ははあ。それで彼女は最後の決心で私と会う約束してくれたのか。
「泣かないで、ミカゲさん。私も同じ気持ちです。貴女がSNSをやめると知ったとき、ショックで目の前が真っ暗になりました」
ミカゲさんの腕に力がこもる。
私は両手に持った電マをベッドに放り投げ、ミカゲさんを強く抱きしめた。
「好きな人に見てもらえないのはとてもツラいですから」
「パーリィさん……」
「私もミカゲさんが好きなんです! 良きファンの方としてじゃなくて……人として……いえ、女性として……貴女が好きです」
どちらからともなくキスをした。
イカセ村のイカセのコスプレはいつの間にか私の身体から取り払われていて、ファンと作家でも輪舞パーリィとミカゲさんでもなく、二人の女同士として……。
◇
「今度するときはイカセ村のイカセでぜひ!」
「作者自らにコスプレさせようとするな!」
「じゃあ、サディスティック・ウルフのコスプレで!」
「もっと無理!」
ホテルから出てきた私たちは入ってきたときよりも仲良くなっていた。
何があったかはもちろん……。
そして、あのオフ会から私達はリアルでの関係となり、今では同じ家に住み、私は作品を書き、ミカゲさんは今でも私の作品の感想を書いて下さっているのだ。
どういう関係かご想像にお任せします。
しますが、読者を落胆させるような内容ではありません。
むしろ、ハッキリ書くと私が恥ずかしいので。
御了承くださいね。
だって、それはすごく気持ちいいことだから。
了
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