第1章 職務質問?

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第1章 職務質問?

 鎧の彼は、こんな夜中に女性一人で森の中を徘徊していた理由――その説明を求めているのだ。  と言っても、一体どう説明すればいいのか。馬鹿正直に「実は、「表」から「転移(テレポーテーション)」で飛ばされましてね」なんて言ったところで、恐らく「なるほど、それは大変だ」とはならないはずだ。  そもそもギフトがない世界の住人に、「転移」の話をしても良いのだろうか。この場所が奈落の底だとか、自分は「表」の海を沈んでここまで辿り着いただとか――そんな事を話したら、頭のおかしい人間と思われないだろうか。  この世界の神キューだって、こちらの住人には認知できならしい。であれば詳細は伏せて、フワッと誤魔化しながら説明するのが賢い選択なのではないか。 (ただ誤魔化すにしても、この世界の知識が圧倒的に足りない。下手な事を言っても、ボロが出るだけかな)  綾那は悩んだ末、嘘はつかないと決めた。ただし、仔細は濁すしかない。 「実は私、海の向こうから攫われてきたんです。それが、気が付いたらこの森に放り出されていて……どうやって連れてこられたのかも、この国の事も何一つ分かりません。私を攫った犯人の行方も知れず、一緒に居た家族とも離れ離れになってしまって――手の打ちようがない状態です」  嘘は言っていない。  綾那は海を越えて攫われて来たし、犯人グループの目的を知らないし、家族の居場所も分からない。  鎧の男は思案するように、右手をヘルムの顎先に添えた。 「海の向こうというと、南のセレスティンか? いや、だがアンタのその肌色は、明らかに――まさかルベライトの北にある氷河の向こう、異大陸の人間なのか?」 「えっと……セレスティンもルベライトも、聞いた事がありません。それに、肌色――?」  綾那は両腕を軽く持ち上げて、指摘された肌色を確認する。  普段、アスレチックやアウトドア系の動画は陽香とアリスが主だって撮影していたため、綾那は屋外で活動する機会が少なかった。唯一頻繁に外出していた魔獣狩りは、大概日が落ちてから。その上、元々日に焼けにくい体質だ。よって綾那は、メンバー随一の白肌の持ち主である。  この国の一般的な肌色が分からないが、もしかすると、白い肌の人間が珍しいのだろうか。周りから変に浮くのは困る。 (困るけど――でも体質的に焼けないんだから、どうしようもないものね)  綾那は取り留めのない思考を振り払うように頭を振ると、鎧の男へ向き直った。 「私は魔法が使えません。先ほど、偶然通りがかった親切な方が、色々と世話を焼いてくださったのですけれど――お相手は東へ急いでいて、魔法の使えない私を連れてはいけないと。ひとまず近場のアイドクレース領へ向かうよう勧められたものの、不運な事に悪魔と出くわしまして。応戦したんですけどダメで、結果さっきの蛇に追われていました」 「へえ、魔力ゼロ体質とは珍しい……だが、異大陸の人間なら頷けるな」  色々と端折(はしょ)ってはいるが、これも嘘ではない。どうやら鎧の男はかなり不審に思っているようだが、なんとか見逃してほしいところである。  それは、こんな夜中の森で悪魔に追われる女など、怪しさ満点だろうが――しかし綾那だってこんな状況に困り果てており、なんなら疲れ果てており、今後どうしていいか分からずに途方に暮れたい気持ちなのだ。    綾那は思わず、ふうと小さく息を吐いた。鎧の男は綾那の正体を見定めるようにじっと動かなかったが、やがて一つ頷いた。 「さっきの蛇は、悪魔の一部だった訳か……ただの眷属にしてはしぶといと思ったんだ。あれは魔力ゼロ体質だと為す術がない、アンタよく生きてたな」 「それは、貴方が助けて下さったからですよ。重ねてお礼申し上げます」  改めて深々とお辞儀をすれば、鎧の男はまた何事か考えるように腕を組んで、真っ直ぐに綾那を見ろした。彼の目はヘルムで見えないが、不審者の一挙手一投足を見逃さない――そんな視線を感じる気がする。 (なんだか、警察官に職質されているみたい。この人こそ、どうしてこんな夜中に森の中に居たんだろう――見回りかな? だとしたら、ますます警察っぽい。恩人に対して申し訳ないけれど、本当に疲れてるからそろそろ街へ向かいたいな)  綾那に対する不信感は拭えただろうか。別に、街の者を害そうとか、悪魔と結託して何かしようとか、そんな悪い事はこれっぽっちも考えていない。だから、平にご容赦願いたい。  綾那は今、キューに言われた通りの行動をするしか選択肢がないのだ。アイドクレースで待っていれば、きっとキューが四重奏のメンバーを集めてきてくれるはず。その時を信じて、待つ事しかできない。  しかも綾那は、ヴェゼルとの邂逅からずっと「怪力(ストレングス)」のレベル1を発動したままになっている。  奈落の底へ落ちてからというもの、次から次へと襲われたため、警戒が抜けなくなってしまったのだ。今ならいつでも、負担なくレベル2まで引き上げられる状態をキープしているのだが――例えレベル1でも常時発動していると、さすがに疲労が溜まってくる。  一刻も早く安全な場所へ行きたい。そして「怪力」を解除して、ゆっくり休みたい。  疲労と精神的なストレスから段々と遠い目をする綾那に、鎧の男は腕組みを解いて歩み寄る。 「アイドクレースは俺が住む街だ。魔法が使えないなら、帰るついでに護衛してやるよ」 「えっ、良いんですか?」  彼の提案は、綾那にとって大変ありがたい申し出だった。  ヴェゼルが再び地球外生命体をけしかけてきた場合、魔法の使えない綾那では対処できない。だが魔法を使える彼が共に居てくれれば、難なく退けてくれるだろう。 (いや、でも、だけど。いくら悪魔から助けてくれた親切な方とは言え、見ず知らずの男性にホイホイついて行ったなんて事が、もしも皆にバレたら――)  綾那はビジュアル系が大好きで、しかも面食いだ。  特に宇宙一好きなバンド『ユグドラシル』のギタリスト、絢葵(あやき)に似た顔と見れば、どんなクズ男でも簡単に好きになってしまうため、四重奏のメンバーからよく苦言を呈されていた。  そもそも、絢葵自体がファンからクズ男と認知されているほど素行が悪い。「宇宙一カッコイイ絢葵さんでも中身はクズなのだから、それに似ている人がクズなのもまた(しか)り」とは、綾那の言である。  加えて、生来ダメでなかった者まで綾那に甘やかされて、ダメになる事も多かった。  それは、あまりのダメ男製造機ぶりを危惧したメンバーが、アリスのギフト「偶像(アイドル)」を活用して、綾那から男を取り上げるようになってしまった程だ。  人前に出る仕事をしている以上、スキャンダルだけは起こしてはならない。だから、交際相手がクズ男ではダメなのだ――と強く説かれて、そこまでメンバーの手を煩わせた事に、今では綾那自身も反省している。  ただ反省するのが遅かったようで、綾那が生活態度を改めた頃には、メンバーが異性交友について過干渉気味になってしまったのだ。  いくら「もう顔では好きにならないから平気だよ」と口にしても、「嘘つけ」「まだ絢葵のファン辞めてない時点で、お察しなんだよ」「顔でしか恋愛ができないダメ女」などと、こっぴどくこき下ろされる日々。  スタチューの業務上どうしても異性と会話する必要がある場合は、相手が絢葵に似ていようがいまいが、必ずアリスの同席を義務付けられて――気付けばここ二、三年、綾那はおひとり様を強いられている。 (目を離している隙に、ハメを外したのか――なんて罵られた日には、しばらく落ち込む自信がある)  綾那は散々迷った結果、やんわりと首を横に振った。 「大変、ありがたいのですが……魔法は使えませんけど、こう見えて腕っぷしには自信があるので、一人でも平気です」  そのまま「また悪魔が出たら、その時は走って逃げますね」と笑顔で付け加えれば、鎧の男はやや間を置いてから、大きなため息をついた。 「騎士の俺と共に行動すると、なにか不都合があるのか?」 「へ?」 「確かに、刃渡りがやけに短いとはいえ帯剣してる。ただ、特別鍛えているようには見えねえし、信憑性がねえし……説得力もねえ。嘘をつくなら、もう少しまともな事を言ったらどうだ?」 「あ、そっか、ギフトが――」  奈落の底には、魔法がある代わりにギフトがない。表であれば「こう見えて腕っぷしには自信がある」と言えば、「ああ、「怪力」もちか」で済むのだが、こればかりは仕方がない。  綾那は、じっと目の前に立つ男を見やった。  身長二メートル近くてガタイも良いとはいえ、見たところ体重は八十キロから九十キロぐらいだろう。  フルプレートアーマーの重量は、「表」ではだいたい二十キロから四十キロ。背に担ぐ大剣の重さは未知数だが、極端に刃の厚みがある訳ではないので、いっても三十キロ前後だろうか。  装備全て合わせても、二百キロ未満――であれば、レベル2で十分に事足りる。 「すみません、見てもらった方が早いので、協力していただけますか?」 「は? 何……を――っ!?」  綾那は男の返事を待たなかった。そうして素早く両手で男の胴を掴むと、まるで幼子を「高い高い」とあやすように軽々と持ち上げて見せた。  ギフトに溢れた「表」では珍しくもなんともない光景だが、ギフトのない世界では、さぞかし不気味に映るだろう。  男は己の身に何が起きているのか、いまいち理解できないようだ。ただ無言のまま、じっと綾那の顔を見下ろしている。  しばらく沈黙が続いたのち、彼は自分を持ち上げる綾那の二の腕を篭手の指先でぷにぷにと数度摘まんで、こてんと首を傾げた。続いて、目線が胸の膨らみへ落とされたような気がして――彼の言わんとしている事を察した綾那は、ふふっと小さく噴き出した。 「あの、一応、女ですよ?」 「――失礼。いや……いや、マジか? どうなってる、魔力ゼロなんだろう? つまり『身体強化(ブースト)』じゃあ、ないんだよな――」 「魔法は使えませんが、私の国にはギフトという特殊な力があります。種類は多種多様、生まれついての力なので、己の意思では取捨選択できませんが……私のコレは、とても力持ちになれる能力です」 「よく分からねえが――なるほど? 確かに腕っぷしは強いらしい」  納得した様子の男ににっこりと笑いかけてから、綾那は彼を慎重に地面へ下ろした。 「では、そういう事ですので、私はこれで――」  お勤めご苦労様です。心の中でそう呟いて踵を返そうとする綾那に、しかし鎧の男は首を横に振った。 「他国から無理やり連れてこられて、アンタ通行証は持ってるのか?」 「……つーこーしょー?」 「通行証がなければ街に入れねえぞ」  綾那は頭痛がするような気がして、手で額を押さえながら立ち止まった。 (キューさん、どうして色々と大切な事を教えてくれないんですか……!)  とにかくキューは、言葉が足りない。  もしかすると、天使であるから人間の暮らしには疎いのかも知れないが――しかしこの世界をつくった神を自称するからには、最低限の決まり事くらいは把握しておいて欲しい。 「やはり、俺と行くのが最善だと思うが? 騎士の俺なら、通行証のないアンタでも街の中まで連れていける」 「あの、本当にありがたいのですけれど……どうして、そこまで良くしてくださるんですか?」 「騎士は人を守るもんだろう――っていうのは建前で、正直アンタに個人的な興味があるのは確かだな。ここで逃すのは惜しい、もう少し話がしたい」  バカ正直な好奇心をぶつけてくる男に、綾那は四重奏のメンバーを思い浮かべた。  今や、相手が絢葵に似ていようがいまいが、男であれば総じて接触を禁じられている。きっと全員、怒るのだろう。 (でも、他に手がない。キューさんにも、街で待てって言われてる。ああもう――良いか、疲れちゃった。今回だけ許して、皆。そもそも騎士さんの顔見えないし、別に顔に釣られてホイホイついて行く訳じゃあないし? ね? 今回は不可抗力だよ、仕方ないよね?)  脳内でひとしきりメンバーに対する言い訳を募ると、綾那は意を決して鎧の男に向き直った。 「では、よろしくお願いいたします」  ぺこりとお辞儀をした綾那を見て、鎧の男は微かに笑った。そして、おもむろにパンと拍手(かしわで)を打ったかと思うと、彼の体を紫色の光が覆い隠す。 「わ!?」  綾那は、突然光り始めた男の眩さに目を瞑った。  やがてその光が収束し、辺りが暗がりに戻ったところで恐る恐る目を開けば――男が身に纏っていた全身鎧が、消えてなくなっていた。  代わりに彼が身に纏っているのは、黒を基調とした騎士服。鎧を脱いでも体格が良いのは変わらないようで、服の上からでもよく鍛えられた体だという事が分かる。 (わあ、あの鎧も魔法だったんだ)  本当にファンタジーな世界である。そんな感想を思い浮かべながら、ふと視線を上げて――そこで初めて、彼の顔を見た。  その瞬間、綾那はヒッと喉奥を引きつらせると、腰を抜かしてぺたりと地面に尻もちをついた。  (はた)から見れば、まるでパニック映画で恐ろしい化け物と邂逅した時のモブだろう。綾那の反応を受けた男は、不快そうに――しかし、どこか自嘲するような歪な表情で――眉根を寄せた。  そんな彼に悪い、いけないという思いとは裏腹に、綾那は森へ悲鳴を響き渡らせてしまうのだった。
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