第1章 勧誘

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第1章 勧誘

 あれから数分で店から出て来た颯月は、手ぶらだった。  用があると言って入ったのだから、てっきり何か購入するのだろうと思っていたのだが――やはり謎である。  店先で留守番している間、絡んでくる輩どころかそもそも街に人影はなかった。  綾那はただ、ぼんやりと暗い空を眺めていただけだ。 「さて、次は綾の宿を確保だ」 「宿? あの、颯月さんにそこまで手配していただくのは、さすがに――」  さっさと歩き出した颯月にとりあえず続いたものの、密入国の幇助(ほうじょ)に飽き足らず宿探しまで始めた彼に、綾那は焦りを覚えた。  ただでさえ彼は、ヴェゼルから助けてくれた命の恩人である。  その上、出会ってからというもの途轍もない勢いで借りを作り続けている。これ以上世話を焼かれるのはまずい。  そもそもの話、宿が見つかったところでこの国の通貨を持っていない綾那は、どう足掻いても詰みなのだ。 「改めて聞くが、アンタ俺に養われる気は?」 「ありません」  やけに真剣な声色で問うてきた颯月に、今度は迷わずに即答した。  そんな綾那に気分を害した様子もなく「残念だ」と笑みを漏らした颯月は、咳払いをしてから口を開いた。 「実は、綾にぴったりの仕事がある。住み込みの」 「それは……どのような?」  颯月は先ほど、魔法の使えない者が職に就くのは厳しいと言っていたはずだ。  それにも関わらず、正に渡りに船とも言える提案をされた綾那は身構える。  いかがわしい仕事か、もしくは言い方を変えただけで結果「愛人になれ」と言うオチの可能性が高い。軽率に飛びつくのは悪手だ。 「まあ、広告塔みたいなモンだ。騎士団――いや、この国は今、深刻な問題を抱えていてな。詳細は綾が頷いてから話す事になるが……有り体に言ってしまえば、騎士団は通年働き手不足なんだ。今はどんな手を使ってでも人を増やしたい」 「広告塔?」  その言葉を聞いて綾那の脳裏によぎったのは、もちろん四重奏(カルテット)の一員として活動していたスターダムチューブの存在である。  普段はメンバーと好き勝手に遊んでいる動画をアップしているのだが、企業から「自社商品を試し、その感想をもらいたい」と依頼された場合は、忌憚(きたん)のないレビュー動画を撮る事もあった。  いわゆる『案件動画』というヤツだ。  しかし、綾那が通用するのはあくまでも「表」の話である。  今は知名度どころか戸籍すらないし、しかもこの国では使えて当然の魔法すら使えない。  仮に綾那が騎士団の広告塔になったところで、働き手が集まるとは到底思えない。  例えば「怪力(ストレングス)」を使い魔物を蹴散らして、「魔法が使えなくたってこの通り戦える、とっても安心安全な職場だよ! 皆集まれー!」なんて、胡散臭い宣伝動画でも撮れと言うのだろうか?  それ以前に、奈落の底にも動画配信と言う概念はあるのだろうか。  スターオブスター殿堂入り目前のトップランカーなんて呼ばれてはいたものの、さすがにそこまで慢心していない。  まず殿堂入り目前なのは『綾那』ではなく『四重奏』であって、綾那個人にそこまでの求心力はないのだ。 「……正直、私では力不足だと思います」  素直な気持ちを吐露(とろ)すれば、颯月は心底不思議そうな声色で問いかけた。 「そのルックスで、何故そう思う?」 「え? る、ルックス……ですか?」 「ああ。綾がアイドクレース騎士団の広告塔になれば、アンタを間近で見たいと思う独り身の男は大概釣れる。この俺が言うんだから間違いない」  颯月の言葉を聞いて、綾那は盛大にむせた。  どうやら彼は、思いもよらぬ方向の需要を満たすために綾那を活用する気でいるらしい。 「ちょ、ちょっと待ってください、女性目当てでやってくるような方を入団させるつもりですか!?」 「何かおかしいか?」 「おかしいでしょう! そんなふわふわの思考で門戸(もんこ)を叩くような方に、命の危険がある騎士が務まりますか!? まず、現場に出るまでもなく戦闘訓練の時点で「思っていたのと違う」って、ふわふわ~っと逃げ出しちゃいそうですけど……」 「そりゃあ一度中へ誘い込んだからには、あの手この手を使ってそう簡単に逃げ出せないよう囲い込んでだな」 「なに、悪徳詐欺師みたいな手法を使おうとしているんですか……?」  思わず額を手で押さえて立ち止まる綾那に、颯月も足を止めて振り返った。 「じゃあ、新人の心が折れるたびに綾が色々やって士気を高めてくれればいい」 「色々と言われましても……」 「アンタ相当着痩せするタチだろう、(あつら)え向きじゃねえか――あ」 「……はい? 着痩せ?」 「――――うん? 俺、そんなこと言ったか? それにしても今日は暑い、初夏だっていうのに早くも熱帯夜だな、これは」 「颯月さん……?」  不自然に話を変えた颯月に、綾那は目を眇める。  わざわざ言うのもなんだが、綾那は背丈がある分骨格もしっかりしていて、そのせいで肉が付きやすいのだ。  それに、伊達に激太りした過去を持っていない。  本人のキャラクターとは裏腹に、年を重ねるごとに体つきだけは立派に育った。  気付けばリーダーの陽香から「これからアーニャは四重奏の『お色気担当大臣』で行こう。垂れ目でおっぱいでかいから、丁度いいや」などと、謎の理屈で謎の担当に任命されたぐらいだ。  しかも師から受けた心傷のせいで、ただでさえ体のラインが分かりやすい服を好んでいる。そのプロポーションは服の上からでも一目瞭然のはずだった。  だというのに、颯月は何故わざわざ「着痩せ」なんていう言葉を使ったのか。  何やらよく分からないが、とんでもないセクハラを受けている気がする。  綾那はやや悩んだ後、フードを被ったままの颯月に対して――まるで悪さをした幼子を「メッ!」と諭すように――ゆっくりとした口調で語り掛けた。 「いいですか、颯月さん? 異性に対して際どい発言は控えた方がいいです。相手が少しでも「嫌だ」と思った場合、即訴えられちゃいますよ?」 「……悪かった」 「まあ、その顔に(ほだ)されない女性なんて、この世に存在しないでしょうけれど……もしもと言う事がありますからね。それに貴方には私の唯一絶対神として、ご尊顔にふさわしい言動をとっていただきたいんです。ご自分がどれほど素敵な男性であるか、少しは自覚した方がよろしいかと」 「綾」 「いえ、やはり前言撤回です。こんなに完璧なんですもの、何をしたって許されてしまうでしょうね。むしろ、颯月さんに対して「セクハラだ」なんて思う方が、烏滸(おこ)がましいと訴えられるべき案件のような気さえ――もし仮にそういった事が起きてしまった場合は、必ず教えてくださいね? 貴方の生活を守るためでしたら私は、もてる力を全て駆使して……」 「なあ綾、一つ聞きたいんだが」 「はい、何でしょうか」 「俺は今、どういう状況に置かれている?」 「……状況?」  首をこてんと傾げた綾那を見て、颯月は笑いを堪えるように肩を小刻みに震わせた。  綾那はやや沈黙したのちにハッと目を(みは)ると、途端に颯月を責めるような表情になって、ビシリと彼を指差した。 「また、性懲りもなく口説かれてる!」 「ブフッ……!」 「もう! 口説かれ待ちなんてするんじゃありません! 貞操観念が希薄すぎる! 貴方の辞書に危機管理という言葉はないのですか!?」 「ま、待ってない、アンタが予備動作なしで口説き始めたんだろ……ッ!」  勢いよく噴き出した颯月は、しかし声を震わせながら抗議する。  反省の色が見えない颯月に、綾那はやれやれと大きなため息を吐く。  それがまたツボに入ったのか、彼はついに腹を抱えて笑い出した。  ただ時間帯を考慮してか、笑い声は抑えて体を震わせるだけに留めている。  ひとしきり笑い終わった颯月は、笑いすぎて涙でも滲んだのか、フードの下の目元辺りを指先で拭った。  落ち着きを取り戻すように「フー」と長い息を吐いたあと、僅かに小首を傾げて綾那を見やる。 「あぁ……なあ綾、本当に俺が養ったらダメなのか?」 「ゥグッ、なん――……ッダメです!」 「そうか、気が変わったらいつでも言ってくれ。即座に対応する」 「対応しないでください……」  颯月――という名の悪魔――の囁きに、げんなりとした表情で項垂れた綾那だったが、いい加減話を戻すために頭を振る。 「その……大変ありがたいお話ですけれど、やはり私には難しいと思います。当座の生活資金を得たら、すぐにでも家族を探したくて……広告塔になった場合、恐らく長期雇用ですよね?」 「ああ。「どこに」なんて野暮な事は言わんが、アンタは永久就職でいいレベルだ」 「颯月さん、私今、真面目なお話をしているんですけれど――」  頭痛を堪えるような表情になれば、颯月は「悪い」と軽い調子で謝罪する。  そして綾那の腕をとったかと思うと、まだ話の途中だと言うのに歩き出した。 「あの、待ってください、そ、颯月さん……!」  綾那は困惑しきりで颯月の名を呼ぶものの、彼が足を止める気配はない。  頭の中で、今すぐ「怪力」を発動して逃げ去るべきか否か悩む。  何故ここまで綾那に執着するのか(はなは)だ理解できないが、ハッキリ意思表示をしないと、颯月には分かってもらえない気がするのだ。  貴族でも偉くもないと言っていたが、彼はまるで俺様の暴君である。 (――俺様?)  綾那は、己の考えにはた、と気付いた。  例えば少女漫画に出てくるような『俺様ヒーロー』は、ちょっと生意気で反抗的な、負けん気の強いヒロインを気に入りがちではないか。  だいたい「この俺に靡かないとは……フッ、面白い女だ」なんて言いながら、ヒロインを篭絡(ろうらく)しようと躍起(やっき)になる。  それが気付けば「お前じゃないとダメなんだ……」と、逆にヒロインの虜にされてしまうものだと相場が決まっている。  キューはここを物語の世界ではないと言っていたが、もしかすると颯月は、そのタイプなのかも知れない。 (いや、でも……颯月さんに対して遠慮なしに色々言ったとは思うけど、でも陽香ほど無茶苦茶じゃあなくない? なんだかんだ、ここまで従順について来ているよね、私?)  愛すべきメンバーに対してやや失礼なことを考えつつ、綾那は己の言動を思い返した。  綾那は基本的に敬語を崩さないし――颯月の顔に魅了されてヒートアップした結果、ベラベラと説教じみた忠告はしたものの――口論と呼べるほど白熱した言い合いはしていない。  颯月の意に反する事だって、一切していないはずだ。  まあ、愛人の勧誘と仕事の紹介は蹴ったが、この程度は反抗の内に含まれないだろう。  そもそも「怪力(ストレングス)」のギフトもちというのは、サンドバッグをビンタ一発で破裂させた師しかり、周囲に当たり散らすだけで殺人鬼になりかねないのだ。  武器を使うならまだしも、素手の勝負であればそうそう負ける事がないのだから、当然である。  これは「怪力」に限らず、ギフトは使用者の精神が乱れると制御が難しくなるものなのだ。  発動するつもりなどなかったのに、感情の昂ぶりから無意識の内に力を発動させてしまった――という事例も起こり得る。  ゆえに「怪力」のギフトを授かった者は、物心つく前から国営施設に預けられると、怒りについて抑制する癖付けを強いられるのだ。  これは世界共通の教育方針で、その弊害とでも言うのか、「怪力」もちにはやたらと大らかで懐の深い人間が多い。  綾那も例に漏れず、見事おっとりとしてやや感性のずれた、立派な天然気質に成長した。  しかも陽香から「アーニャって、土下座したら何でもやらせてくれそうじゃね?」と心配されるほど、図抜けた包容力をもっている。  ただ綾那は個性豊かなメンバー達と過ごすうちに、四重奏のツッコミ不在という深刻な問題に直面する事となった。  そのためプライベートでも動画内でも、非常識だと思う事には反射的に突っ込む癖がついたのだ。 (まあ、この顔が絡むと常識も何も関係なくなる節はあるけれど)  もしかすると、そうした言動が颯月の目には生意気な女に映ったのだろうか?  だとすれば、下手に反抗して妙な興味をもたれるのはまずい。  いっその事、今以上に従順な応対をしてしまった方が「なんだ、この程度の女か」と興味を削げるのではないか。 (だからと言って、仕事ばかりで皆の事が探せなくなるのは厳しいけど……いや、もう考え方を丸っとポジティブに変えるべき? どうしたって就職先がない、お金もご飯も、皆の手がかりもない今――私がこの世界で生き残るためには、颯月さんの言う通りにするのが一番手っ取り早い。キューさんとの約束もある手前、この街からは離れたくないし)  正直、事なかれ主義で揉め事を嫌う綾那にとって、我の強い人間といつまでも問答を繰り返すというのはストレスである。  長い物には巻かれよと言うではないか。この世界の『長い物』とは、明らかに颯月の事だ。 「颯月さん、その……お仕事についてなんですけれど、お願いがあるんです」 「うん? なんだ、気が変わったのか?」 「まず、お試しの短期雇用にして頂けませんか? 仲間とやっていた仕事もある以上、1人この街に腰を据えて生活する訳には……そもそも、私が力になれるのかどうかも怪しいですから。役に立たなかった場合は、遠慮なくクビを言い渡してくださって結構です」 「まあ、その辺りが落としどころか……良いぞ、他でもない綾のお願いだからな、聞いてやる」  本当に願いを聞いてくれると言うのならば、正直もっと早く、この街に辿りつくまでに聞いて欲しかった願いはいくらでもあった気がする。  本当に颯月と共に居て後悔しないだろうか。早まってはいないだろうか――などと綾那が思い悩んでいると、突然颯月が立ち止まったので、勢い余ってその背に顔面から追突した。 「わっ、ご、ごめんなさい、前を見ていなくて――」  ぶつけた鼻を手で押さえながら顔を上げると、指先で僅かにフードを持ち上げ、悪戯っぽい笑みを湛えた颯月と目が合って固まる。 (また暴力的な美貌の直撃を受けてしまった……ッ!)  颯月は、ぐぅと唸って目を反らした綾那の肩にぽんと手を置いた。  そしておもむろにフードを脱ぐと、わざわざ綾那が目を反らした方向から顔を覗き込む。 「綾、今後の為にもいい加減この顔に慣れろ。もう何時間一緒に居ると思ってる?」 「ふわぁ! 慣れ――っそ、そう簡単に慣れるはずないでしょう、好きも過ぎると体に悪いんですから!」 「アンタと一緒に居ると、承認欲求が満たされっぱなしで怖くなるな。まあいい、働く意思が固まったのなら作戦変更だ」  作戦。  颯月の言葉に首を傾げた綾那は、恐る恐ると言った様子で彼の顔を見やった。  やはり、綾那には眩しすぎてすぐ薄目になってしまったが――確かに、いい加減顔を見て会話できるようにしなければ。  慣れるかどうかは別として、目を逸らしたくなる気持ちを必死に抑え込む。 「アンタの宿変更と――そうだな、早面接官と会わせよう。ついて来い」 「え、面接? こんな時間に?」 「善は急げと言うだろう?」  綾那の(あずか)り知らぬところで宿が決定している事にも驚いたが、真夜中に面接を依頼するなど、さすがに非常識ではなかろうか。  人間やはり第一印象が大事だと言うが、果たして面接官はこんな時間に訪れた綾那に対して、好印象を抱いてくれるのか。 (え、嘘でしょう……私、こんなスタートで本当に周りと仲良くやっていけるのかな? ああもう、早く皆と合流したいなあ)  綾那はやや遠い目になりながらも、さっさと歩き出した颯月の後を追いかけた。
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