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第1章 落としどころ
「これで分かっただろう? 魔法が使えない分、悪魔相手には無力だろうが――恐らく、普通の眷属や魔物が相手なら遅れをとらない」
「いや、そうだ! お姉さんの体、どうなってんの!?」
「え、ちょっと……フフ、くすぐったいです」
ハッと思い出したような顔をした幸成は、綾那の元へ駆け寄ると、その二の腕を無遠慮に掴んで揉んだ。
しかし返ってくるのは柔らかい感触だけだ。決して体を鍛えている訳ではなく、あくまでもギフト頼りで生きているのだから。
「まさか、実は「お兄さん」なんて事は――いや、正直このツラなら、例え男だとしてもイケそうだけどよ……!?」
「こ、コラ幸成、お相手は女性なんですよ、無闇に触らない!」
慌てて幸成を羽交い絞めにした和巳は、彼を綾那から引き離した。
騎士の様子に、颯月は「俺も初め見た時はそうだった」と笑って、言葉を続ける。
「法律が改正されるまで、公に戦闘の参加を許す訳にはいかないが――綾なら広報として、巡回にも連れて行けるだろう?」
「あの……先ほども仰っていましたが、許可を取らないと戦ってはいけない法律があるんですか?」
「ああ、この国は問題を抱えているって言っただろ? まあ、詳しい話は追々な。――で、どうなんだ成、和? そもそも存在しない事を証明するのは何よりも難しい。綾の容疑は解けたのか?」
颯月の問いかけに、幸成と和巳の二人は顔を見合わせた。
そうしてまず口を開いたのは和巳だ。
「もう颯月様の中では、決まっているのでしょう?」
「そうだな」
「であれば、私は颯月様の安全を守るため、己の目で彼女を見極めようと思います。先ほどの、魔法とは違う力――アレを目にした今、彼女がこの国の人間でない事は理解しました。綾那さんには窮屈な思いをさせるでしょうが、しばらくの間は我々の目の届く場所に留まっていて欲しいと思います」
中性的な顔立ちと柔らかな喋り方に反して、ぴくりとも笑わない和巳だったが、意外と綾那の事を気遣ってくれているらしい。
気付けば和巳の青い瞳からは、綾那を追及する厳しさ、冷たさが薄れている。
確かに彼らの世話になる以上、スパイ容疑の晴れない綾那が窮屈な思いをするのは避けられないだろう。
けれど命の保証さえ得られるならば、そんなことは些事である。
そして残りは、幸成の意見のみ。
綾那がちらりと窺うように見やれば、彼は難しい顔をして見返してきた。
「俺も……やっぱり、様子を見た方がいいと思う。ただ、少なくとも俺と和巳が見極め終わるまでは、お姉さんには颯に近付いて欲しくない」
「何? 俺が綾に近付くのは?」
「却下に決まってるだろ、何ガキみたいな屁理屈言ってんだ?」
「オイ、何だよ? 綾を拾ってきたのは俺だぞ、俺に世話をさせるのが道理だろうが」
「颯月様、もしかして彼女のこと犬猫に見えてますか?」
子供のようなむくれ顔で「そんな訳あるか、どこからどう見ても女だろう」と言う颯月に、和巳は頭痛を堪えるような顔でこめかみを押さえた。
幸成もまたその隣で大きな息を吐き出した後に、疲れた様子で口を開く。
「颯、少しは自分の立場を考えてくれよ。別に、一生会わせないって言ってる訳じゃあないんだから、しばらく我慢してくれ。ちょっとらしくないぜ、颯? お姉さんの力が魔法じゃないって言うなら、それこそ「魅了」どころかもっととんでもない、未知の洗脳能力をもっていてもおかしくないだろ?」
未知の洗脳能力。
アリスの「偶像」なんかは、正にその類と言えるかも知れない。
きっと幸成含めこの応接室に居る騎士は、偉い立場の割にざっくばらんな性格の颯月に、ブレーキをかける役目を担っているのだろう。
ここへ来る前に竜禅が「颯月様のお世話係その1」と自己紹介していた事の意味が、今ようやく理解できた気がする。
(幸成さん……様? って、若そうに見えるのにしっかりしているんだなあ……それに、この中で唯一颯月さ――まに、ずっと敬語を使っていない。たぶんこの方も偉い人なんだ)
綾那は、まだこの世界に住む一般的な人間について把握していない。
だから比較材料が「表」で言うところの、男子高校生しか居ないのだが――幸成は相当しっかりしているように見える。
見た目はともかくとして、言動だけなら颯月の方がよほど幼いかも知れない。
「正直この条件が飲めないって言うなら、お姉さんには悪いけど……マジで消えてもらった方がいいと思う。最近、東がきな臭いのは知ってるだろ? 何が起きてもおかしくないと考えるべきだ」
「オイ、いい加減にしろ。綾の前でそう何度も物騒な事を言うな。成には人の心がないのか?」
「颯にだけは、そういうまともな事言われたくないんだけどなァ、俺!?」
「とにかく……分かった。綾も良いか?」
いきなり颯月に水を向けられて、綾那は目を瞬かせた。
良いも悪いも、保護観察のような状態で仕事も与えてもらえないとなると――自分がやるべき事が、イマイチ分からないのだ。
「あの、結局私は、ここで何をすれば良いのでしょうか……?」
「何も。成と和はアンタの面接を入念にしたいらしいからな、当分の間ここで生活していれば良い。面接が続く以上今すぐ仕事は渡せないが、衣食住だけは保証する」
「えっ、そういう訳には……! 私しか得しないですよね、それ?」
「そうは言っても……聞いておいてなんだが、今の綾に他の選択肢はないぞ? 疑惑が晴れるまで仕事は渡せないし、何かもうアンタもう、タダじゃここから逃げられないらしいからな」
「ら、らしいってソレ、颯月さ――まが、言いますか?」
綾那が『様』と呼んだ事に颯月は僅かに眉を寄せたが、しかし気を取り直すように頭を振った。
そして、「とりあえず今は頷いておけ。得しかないと言っても、結果次第じゃ消されるリスクもある訳だから、実質プラマイゼロだろ?」と続けた。
その言葉に、綾那は「アレ、言われてみればそうかも知れないぞ」とすんなり納得する。
他に選択肢はないとまで断言された以上、ここで変にごねても仕方がない。
躊躇いがちに頷いた綾那を見て、颯月は満足そうな笑みを浮かべた。
「禅、綾を部屋へ案内してやれ。魔石をひとつ渡して、使い方の説明も頼む。ああ、後で着替えも持って行かせるからな」
「着替えですか……? いえ、かしこまりました。綾那殿、こちらへ」
「は、はい! えっと、皆さんよろしくお願いいたします!」
綾那は騎士に頭を下げてから、応接室の扉前で待つ竜禅の元へ駆け寄った。
応接室から出て扉を閉めるために振り返ると、颯月から「綾」と呼ばれて顔を上げる。
そして、だいぶ見慣れたからとすっかり油断していた事を、激しく後悔した。
「おやすみ」
「ッヅ……! おやずみなざい゛ッ……!」
小首を傾げて微笑む颯月の顔の神々しさと言ったら、それはもう殺人級の威力を発揮する美しさだった。
やはり彼は神だったのだ。
綾那は唇を噛みしめて、喉の奥から絞り出した震える声で何とか挨拶を返すと、そっと扉を閉じた。
そうして震えながら振り返ると、背後に立つ竜禅が無言でこちらを見ていた。
仮面のせいで表情は分からないが、何やら生暖かい視線を送られている気がする。
「颯月様に魅了されていると言うのは、真実らしいな」
言いながら歩き出した竜禅の後に続いたものの、またもや図星を突かれた綾那は、ぐうと喉を鳴らす事しかできなかった。
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