第1章 転移陣

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第1章 転移陣

 四重奏が暮らす家は、東京郊外にある庭付き一戸建ての6LLDKという、なかなかの豪邸だ。  どうしても撮影時に騒音が出やすく、近所に迷惑をかけたくないとの理由から、都心から離れた自然に囲まれた土地を選んだ。そのため、自宅周辺には他に建物がない。  正直この家の存在だけで、『四重奏』の人気――その稼ぎぶりがよく分かるというものだ。 「どうなってんだ? コレ――」  陽香は驚きを隠しきれないようで、その声は震えている。  ほんの数時間前まで確かに家が存在していた場所には、まるで地面ごと家を抉り取られたかのように、ぽっかりと大きな穴が空いていた。  綾那はスマートフォンのライトで穴の中を照らし覗き込んだが、一体どれほど深いのか――その底を窺い知る事はできない。早々にこれ以上見ていても仕方がないと判断して、スマートフォンを鞄にしまう。  そして、大穴のすぐ傍にへたり込んでいる金髪碧眼の女性、アリスの顔を覗き込んだ。 「何があったの?」  幼子に言い聞かせるように優しい声色で問えば、アリスはびくりと体を揺らして、おずおずと顔を上げた。普段健康的なイエローベースの顔色は、血の気が引いて真っ青になっている。 「て、「転移(テレポーテーション)」のギフト……だと、思う」 「――はあ? 「転移」?」  アリスの言葉に、陽香が信じられないといった様子で目を向けた。 「おいアリス。「転移」ってのは、せいぜい七、八畳に収まる量の家具を別の場所へ移動させられるくらいの力だぞ? それが、あの家丸ごと転移させられたってのかよ」  アリスは、どこか気まずそうな表情で俯いている。 「たぶん、私と渚のギフトのせいだと思う。自分で言うのも変だけど、私達って神子の中でも特にやっかまれやすいでしょう?」 「まあ、そうかもな? けど、マジでそんな理由なのか?」 「だって、わざわざ陽香と綾那が留守の時を狙われたのよ? ほんの数十分前――お風呂の準備をしてたら、いきなり窓の外が眩しいくらいに光り出したの。それで何事かと思ってカーテンを開けたら、家の敷地いっぱいに光る陣が広がってて。大きすぎて全貌は確認できなかったけど、たぶん転移陣で間違いない……と、思う。あんなの、初めて見たから自信ないけど」 「な、なんだよ、その状況――オイ、ちゃんと動画に撮ったんだろうな?」 「はあ!? そ、そんな暇も余裕もある訳ないでしょう、馬鹿なの!?」  大きな瞳をじっとりと眇めた陽香に、アリスは眉を吊り上げて反論した。 「ッカー! ダメだね、そんなんじゃあ! スタチューバーたる者、どんな時でもカメラを回して動画のネタ集め――これ鉄則だろうに! まさか、こんなにも意識の低いメンバーが紛れていたなんてな……これはもう、明日の殿堂入りも望み薄なのでは!?」 「アンタいい加減その、なんでもかんでも動画に収めたがる職業病なんとかしなさいよ!? だいたいもう、授賞式どころじゃあないでしょうが!」  わざとらしく額に手を当てて天を仰ぐ陽香と、キャンキャンと甲高い声で捲し立てるアリス。  こんな非常事態にも関わらず、平常時と変わらぬやりとりをする二人に、綾那は苦笑を浮かべた。そうして言い争う彼女らの間に割って入ると、アリスに「それで?」と話の続きを促す。 「家の外を見ると、周りに黒いローブみたいなのを被った人がたくさん居たの。その内の一人が、「奈落の底へ送ってやる」って――そう言ってたわ」 「奈落ぅ……?」  陽香は(いぶか)しむような表情になって、首を傾げた。綾那もまた、言葉の意味が分からずに頭を悩ませる。 「確かにギフトの発動者が一人だと、陽香の言う通り八畳が限界なのかも知れない。でも、もしここに集まってた人、全員が「転移」のギフトもちだったとしたら――? あれだけの人数が集まって力を合わせれば、家だって転移できちゃうのかも」  転移が発動する瞬間を思い出したのか、アリスは己の両腕をぎゅうと抱きしめて、体を震わせる。陽香と綾那は、彼女の説明にますます首を捻った。 「それで――渚はどうしたの?」 「勿論、渚にも知らせに行ったわ。でもあの子、ギフトを発動中だったのか起きる気配が全くなかったの。それで、このままじゃあ二人揃って転移させられると思って――私だけ家を飛び出したわ。敷地から出るのと同時に、家と一緒にローブの人達も消えてて……代わりにこの、大穴が」 「ギフト――なるほど。あの子のギフト、一度発動すると本人の意思でなきゃ目覚められないから……」 「そうなの。さすがに私だけの力じゃあ、運べなくて……本当にごめんなさい、私じゃなくて綾那が居たら、抱えて逃げられたのに」 「ううん、仕方ないよ……怖かったね」  終始泣きそうな顔をしているアリスの頭を撫でながら、綾那は小さくため息をついた。  ――さて、これからどうするべきか。  果たして何をどうすれば、自分達の日常は戻るのか。そもそも、そう簡単に戻せるものなのだろうか? ひとまず動揺しているアリスを宥めて、警察に相談して。四重奏の保護者をしている人に報告をして、それから――それから?  綾那は、頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。  この際、なくなってしまったのなら家の事は仕方ない。しかし、渚は「仕方ない」では済ませられない。メンバーであり、家族でもある渚。彼女の存在を永遠に失ってしまったかも知れないとは――仮定であっても、考えたくはない。 「なあアーニャ、『奈落の底』ってどこだと思う?」 「え?」  いつの間にかスマートフォンのカメラで大穴を撮影し始めたらしい陽香が、綾那にレンズを向ける。彼女の問いかけに、綾那は即答できなかった。  奈落の底。  言葉通りに考えれば、奈落とは地獄の事だろう。「奈落の底に送ってやる」とは、地獄に送ってやる――つまり「殺してやる」という意味にも取れる。しかし、果たして「転移」のギフトで人殺しが可能なのだろうか。  まず、人も転移可能らしいという事すら、今アリスの口から初めて聞かされたのだ。お手軽にそんな事ができるとしたら、とっくに世界中で同様の事件が起きているだろう。国からも「転移のギフトもちを見かけたら、110番!」なんて注意喚起が出されるに違いない。  綾那は浮かんだ疑問をそのままに口を開いた。 「シンプルに考えたら、地獄の底かな。ただ――」  続けようとした言葉は、陽香によって遮られる。 「じゃあその、地獄の底とやらに行った事はあるか?」 「えっ」 「見た事でもいいぞ。アリスはどうだ? どこにあるか……どんな場所か、知ってるか?」 「何バカ言ってるのよ。地獄なんて、見た事も行った事もある訳がないでしょう?」  胡乱(うろん)な目をして否定したアリスに続き、綾那も黙って頷いた。  なぜならば、綾那達は現世を生きている。過去、事故や病で死にかけて三途の川を見たなんていう、臨死体験をした事もない。  二人の反応に、陽香もまた頷いた。 「あたしも奈落の底――地獄がどんな場所なのか知らない。物語やテレビで見聞きする地獄なんて所詮は想像の産物で、生きてる人間が本物の地獄の場所を知ってるはずがないんだ」 「地獄の場所……」 「そもそも「転移」のギフトって、転移先の座標をしっかり指定しなきゃ発動しないはずなんだよ。『奈落の底』なんて、そんなふんわりした空想上の場所へ家を――それも人間ごと転移するなんて、まず不可能だと思う。まあ『奈落の底』は、単に何かの隠語か比喩なのかも知れないけど」  再び大穴へレンズを戻した陽香に、アリスはポカンと呆けた顔で口を開く。 「詳しいのね、アンタ……「転移」もちでもないのに」 「言ってなかったっけ? 弟が()()なんだよ」  目も合わせず、何でもない事のようにさらりと答える陽香。アリスは呆けたまま、「アンタに弟が居た事すら、初耳だわ」と呟いた。  陽香は穴の傍にしゃがみ込むと、スマートフォンのレンズをその外周部へ近づけた。そして何事か思案するように沈黙したのち、再び顔を上げる。 「で、本題なんだけどよ――()()、どこに繋がってると思う?」  その問いかけに、綾那とアリスはハッと息を呑んだ。そして陽香のすぐ傍まで移動すると、同じようにしゃがみ込む。 「え、嘘でしょう? この穴、まだ転移陣として機能してるの? アンタ憶測で適当言ってんじゃないでしょうね」 「失礼な、見てみろアリソン」 「アリスよ」  陽香が指差したのは、大穴の外周部だ。  見ればその外周は、穴の中心に向かってじわりじわりと――亀の歩みのごとくゆっくりと縮小している。まるで、超常的な力で抉れた大穴を、塞ごうと修復しているようにも見えた。  どうも「転移」の力で抉れた部分が塞がると、ただの地面に戻るらしい。あと数時間もすれば、この場所は更地となるだろう。これは、今もこの大穴が奈落の底とやらに繋がっている証拠なのかも知れない。 「今ならまだ、ナギを追いかけられるかも――」  珍しく真剣な表情の陽香に、アリスはギョッと目を見開いた。 「お、追いかけてどうするのよ。もしこれが、本当に奈落の底と繋がってたら? 全員死んじゃうかも――」  陽香はどこか困ったように眉尻を下げると、曖昧な笑みを浮かべた。 「一人居なくなった時点で、もう死んでるんだよ。四人一緒じゃなきゃ、四重奏は終わりだろ?」  陽香の表情と言葉に、誰も何も言わなかった。それは、口にせずとも全員が同じ事を考えているという事に他ならない。  やや長い沈黙が流れたのち、やがて綾那がパンと拍手(かしわで)を打った。やたら大きく響いたその音に、アリスはびくりと肩を揺らして、陽香が再びレンズを綾那に向けた。 「とにかく、人が転移する陣なんて前例がない訳だから、何が起こるか全く分からないよ。もし別々に飛んで、それぞれ違う場所へ転移させられると困るから――三人で手を繋いで飛び込むのが良いと思うんだけど、どうかな?」  その提案に、辺りがしんと静まり返った。しばらく沈黙が続いたのち、やがてハッと我に返ったらしいアリスが勢いよく立ち上がる。 「――とっ、飛ぶのは決定なのね!?」 「さすが、アーニャは肝が据わってんなあ」 「笑い事じゃなくない!?」 「あと飛び込む前に、師匠にだけは連絡を入れておこう」  四重奏の後見人――保護者役の別称を口にすれば、陽香は大きく頷いた。 「そうだな。あの人ギフトに詳しいから、例えあたしらがとんでもねえ所へ転移させられたとしても、何かしら解決策を見つけて助け出してくれそうだ」  青白い顔で「飛ぶの? 本当に?」と穴を覗きながら震えているアリスと、撮影のためにスマートフォンを手放さない陽香。  綾那は彼女らを一瞥した後、師へ連絡するために己のスマートフォンを取り出そうと、鞄に手をかけた。  ――と、その時。突如大穴から、凄まじい風圧と共に勢いよく()()が飛び出した。 「きゃあ!?」 「――おわっ、な、なんだ!?」  底の見えない、真っ暗な穴から出てきたのは――丸太のように太く、汚れ一つない真っ白な一本の触手だった。
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